田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道開拓使の洋式建築の特徴

2022-10-17 18:11:58 | 講演・講義・フォーラム等

 私のような門外漢にとってはなんともマニアックな講座に参加した。北海道開拓に多大な貢献をしたアメリカを中心としたお雇い外国人は札幌市を中心としてたくさんの洋式建築を建設した。その特徴についての解説を伺った。

   

 10月14日(金)の夜、北海道開拓使が遺した代表的建造物である「豊平館」において、「豊平館と幌内炭鉱庁舎の類似」と題する講座が開講された。講師は北海道職業能力開発大学校の特別顧問であり、建築史家として著名な駒木定正氏が務められた。

   

   ※ 講義が行われた豊平館の2階大広間です。いかにも時代を感じさせる室内の意匠です。

 駒木氏はお雇い外国人による北海道開拓の歴史に触れながら、表題である「豊平館」と「幌内炭鉱庁舎」の共通性について紹介してくれた。ところが豊平館は現存しているが、幌内炭鉱庁舎は小樽手宮構内にあったということだが、とうの昔に解体されている。手がかりは残された写真だけである。しかし、駒木氏は残されていた写真と、北海道立文書館(現在、北海道立図書館に併設されている)や北海道大学附属図書館に赴いて平面図や解説文に接し、その類似性に迫ることが出来たという。

   

   ※ 講義を担当された駒木定正氏です。

 その類似性とは、まず外観に共通性があるという。具体的には①左右対称、②中央に玄関。③下見板張に共通性が見られるとした。さらに平面に共通性が見られるという。それは、①本館と付属家、②正面ポーチ、③玄関から廊下で付属家に接続、④廊下に階段、⑤居室の配置、など、実際に写真と図面をもとに説明された。

   

               

      ※ 豊平館の平面図です。

 駒木氏の探求はそこで止まらなかった。そもそも北海道の洋風建築の始まりは1873(明治6)年に完成した「開拓使本庁舎」(現在「北海道開拓の村」内に再現されビジターセンターとして活用されている)である。駒木氏はここに北海道の洋風建築の原点があると推察したのである。なるほどその平面図を見ると、付属家の配置に若干の違いはあるものの、その他の点では合致している。   

    

   ※ 小樽市手宮構内に建てられた当時の「幌内炭鉱庁舎」です。

        

        ※ その幌内炭鉱庁舎の平面図です。

  また残された古文書の中で遠藤明久氏という方が次のような言葉を残しているという。「札幌本庁舎と豊平館は、共に開拓使営繕課の設計で、札幌に建ち、アメリカ系の建築様式を基調とする木造建築である。いうなれば開拓使の正統派の建築である。特に豊平館は、開拓使の総決算的な内容をもち、開拓使正統派建築のピークに位置する作品である」と述べている。

   

     ※ 北海道開拓使の初代の「札幌本庁舎」です。

        

     ※ その「札幌本庁舎」の平面図です。他の建物とは付属家の配置が異なっています。(平面図の中央付近の縦線は頁境目がコピーの際に付いてしまったもので、平面図とは関わりのない線だそうです)

 こうした正統派建築の流れは、もちろんその他の建築物にも大いに影響を及ぼした。庁舎としては、工業局庁舎、煤田開採事務係、炭鉱鉄道事務所、北海道庁本庁舎(赤れんが庁舎)等々、その他お雇外国人官舎、手宮鉄道官舎、外国人のための一般住居などにもその特徴が表れていると駒木氏は指摘した。

 このような特徴が特に炭鉱と鉄道事業関係の建物に目立つのは、開拓使にとって最も重要な事業が炭鉱開発と鉄道敷設であったことを示すものだ、と駒木氏はまとめた。北海道の開発にとってお雇い外国人の存在がいかに大きかったかを示す一つの傍証として興味深いお話を伺うことが出来た講座だった。