田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

シェフ(料理長)はただ調理をするだけの人ではなかった…

2023-06-20 21:18:06 | 講演・講義・フォーラム等
 お一方はスペインで修業した経験を活かし、函館の西洋料理界を、さらには国内の料理界を牽引しようと活躍されている方だった。そしてもうお一人は、日本の郷土料理の素晴らしさを世界に喧伝しようと活躍されている人だった。
  
   ※ セミナー前に主催者のご好意でSLを模した遊覧バスでさとらんど構内を一周させていただきました。
 何にでも興味関心を抱く田舎おやじである。今度は料理の世界を垣間見てみたいと思った。昨日19日(月)午後、サッポロさとらんど交流館で開催された北海道ガストロミックサイエンス研究会主催のセミナーに参加させてもらった。 
 そもそも「ガストロミック」とは、一般人にはまだ耳慣れない言葉であり、私も初耳だった。そこで調べてみると、ガストロミックとは、料理を中心として様々な文化的要素を総合的に考察する、すなわち食や食文化に関する総合的学問体系を指す言葉だそうだ。したがって「ガストロミックサイエンス」とは「食を総合的に科学する」とでも訳することができそうだ。う~ん。何とも難しそうである。
 セミナーは二つの講演とパネルディスカッションで構成されていた。
講演Ⅰでは函館市でレストランバスクを経営し、シェフを務める深谷宏治氏が「料理人にできること」と題して講演された。
 講演Ⅱではクリエィティブオフィスキュー所属のシェフ塚田宏幸氏が「北海道の素材 オムレツと私」と題して講演された。
 その後のパネルディスカッションの方は、私に所要があり参加できなかったので講演についてのみレポートすることにする。
  
  ※ 講演をする深谷宏治氏です。
 講演Ⅰでお話された深谷氏は大学卒業後に定職には就かずにフランスへ調理修行に向かったが、思うようにはいかなかく呻吟していたところ、偶然にもスペインのセバスチャン市において某レストランに紹介され、そこで2年半に及び料理人として修業に励んだという。
 セバスチャン市はスペインバスク地方で最も有名な観光地で、バスク料理と美食の文化で知られた地方都市だそうだ。そこで出会ったレストランのシェフが深谷氏にとっては生涯の師となったという。かなり幸運に恵まれた深谷氏であるが、修行から帰国して師の教えに従い首都圏ではなく深谷氏の故郷である函館市において「レストランバスク」を開業したそうだ。
 やがてレストランは軌道に乗ったそうだが、それで終わらないのが深谷氏の真骨頂のようだ。深谷氏は仲間を募り「食に関するプロ同業異種の会」を構成し、その発展として「スペイン料理フォーラム in HAKODATE」を開催し、前夜祭として一夜のバル街を市内の飲食店を巻き込んで実施したという。さらには、諸外国からも料理関係者を招聘し、「世界料理学会 in HAKODATE」を10回も開催し、昨年は関東でも開催したそうだ。それらの開催に当たって行政の支援は一切受けずに開催してきたという凄腕の方のようだ。
  
  ※ 講演をする塚田宏幸氏です。
 続いて講演Ⅱを担った塚田宏幸氏であるが、塚田氏はレストランを経営するのではなく、クリエィティブオフィスキューというプロダクションに所属し、北海道、さらには我が国の豊かな食文化の発信に努めている方のようだ。演題の「オムレツと私」というのは非常に比喩的な表現のようだ。塚田氏はモン・サン・ミッシェルの有名なオムレツを食したが特別美味しいとは感じなかったという。むしろ卵料理では日本料理の卵焼き(ジャパニーズ・オムレツ)の方が恋しかったという。このことで諸外国の料理を数多く試食を重ねた塚田氏にとって、もっと日本の料理、特に日本の郷土料理を諸外国に紹介していくべきではないかとの感触をもったということだ。塚田氏は「日本の郷土料理を諸外国にもっていくことによって思わぬ価値を生む」と強調された。そして塚田氏自身そうした働きかけをあらゆる媒体を使って広めているとのことだった。
 塚田氏は強調する。「この50~100年の間に食の多様性が失われつつある」と…。効率性が重視され、歴史上家庭で料理をもっともしない時代になったと嘆いた。
  
  ※ さとらんど構内に一角は「市民農園」として市民に開放されていました。
 全てのメモすることはできなかったが、塚田氏は今松前町の「三平汁」、石狩市の「石狩鍋」、遠軽町の「ばたばた焼き」、小樽市の「カジカ汁」などなど、郷土料理を伝承するとともに、それらをアップデートすることによって郷土料理の価値を高めたいと語った。
 お二人のお話を十分に咀嚼したものにはなっていないけれど、二人のシェフのお話からシェフがただ美味しい料理を提供するだけではなく、「ガストロミックサイエンス」の担い手として食文化を発信していこうとする強い意志を感じさせられたお二人の講演だった。
  
  ※ さとらんど構内ではさまざまな作物が栽培され、市民の収穫体験に供しているようです。
 なお、フォーラムの前に主催者のご好意で「サッポロさとらんど」内の広い敷地をSLを模した構内遊覧バスで一周していただき、その広さを実感するとともに、農業王国北海道を広く広報する役割を「サッポロさとらんど」が担っていることを知る貴重な機会となった。


映画 №361 幸せの黄色いハンカチ

2023-06-19 20:06:32 | 映画観賞・感想
 名作は何度観ても素晴らしい!そう思わせてくれた「幸せの黄色いハンカチ」だった。主演の高倉健にとっても、助演の武田鉄矢にとっても、それぞれのターニングポイントともになった同映画の最終シーンは何度も観ても涙が止まらない名シーンである。
      
 6月16日(金)夜、共済ホールにおいてAFCアサヒファミリークラブ主催による「映画と握手」上映会が開催され参加した。今回取り上げられた作品は高倉健、倍賞千恵子主演の「幸せの黄色いハンカチ」だった。
 「映画と握手」上映会とは、映画ライターの新目七恵さんが上映する作品を選び、上映前に新目さんが作品の背景などについてレクチャーした後に映画観賞に入るというスタイルの映画会である。
  
 新目さんはさまざまなエピソードをお話してくれたが、その一つを紹介する。高倉健さんは無類のコーヒー好きとして知られていたが、札幌へ来ると必ず寄る喫茶店があったという。(現在は閉店してしまったそうだ)その喫茶店のコーヒーがすっかり気に入り、高倉さんと喫茶店の合作でブレンドしたコーヒーが袋詰めされて現在販売されているそうである。
 さて映画の方であるが、私はこの「幸せの黄色いハンカチ」を何度観たことだろうか?映画館などの大スクリーンではもちろんのこと、テレビでの放映も何度か観た経験がある。諸兄の中にもそうした経験がある方が多いと思うのでストーリーの紹介は割愛したい。
 その上で私の感想であるが、私はこの映画は「主演の高倉健の映画というより、助演の武田鉄矢と桃井かおりの二人の映画ではないか」というのが正直な感想である。武田鉄矢のコミカルな役と、桃井かおりの少々軽薄な役柄をそれぞれ好演し、勇作(高倉健)と光枝(倍賞千恵子)が再会するための重要なキューピット役を演じていた。
  
 少しオーバーに言えば、高倉健はただ立っているだけで高倉らしさが滲み出ていた。そして高倉健の周りを賑々しく動き回る二人が実はこの映画の良さを決定付けていたように思えるのだ。
 高倉健のファンからはお叱りを受けるかもしれないが、特に武田鉄也のあざとく見えるほどのコミカルな演技が観客の苦笑を誘い、それが独特のアクセントとなって、高倉健の良さを引き出していたようにも思えた。さらにはおせっかいとも思える桃井かおりの役柄が、この映画にはなくてはならない存在となっていた。
 高倉健はこの映画によって、ヤクザ役の高倉健からのイメージを脱することができ、その後国民的俳優の道を歩み始めるキッカケとなった。また、武田鉄矢はこの映画が初演だったが、以後は俳優としての才能を発揮し始めるキッカケともなった記念碑的映画である。
 またこの「幸せの黄色いハンカチ」は、1978年に始まった「日本アカデミー賞」の記念すべき第1回の作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優・女優賞などを総なめにした作品である。それも納得の映画の素晴らしさを私たちに与えてくれた名作だった。
※ この投稿に使用した写真は全てウェブ上から借用したことをお断りします。

ヘルシーウォーキング⑨ in 田園風景とスウェーデンヒルズの丘、ロイズタウンウォーク

2023-06-18 17:19:09 | JRヘルシーウォーキング
 最近高温傾向が続いていたので心配したが、田園を吹きわたる風が心地よく、気持ち良くウォーキングを楽しめた。それにしても元気なお年寄りが多いなぁ、というのがヘルシーウォーキングに参加しての正直な感想である。(13.0km)
     
 本日(6月18日)、ヘルシーウォーキングの8回目(イベントウォークは5回目)に参加した。
 今回のスタート&ゴールとなる「ロイズタウン駅」は、昨年(2022年)菓子メーカーのROYCE’ が建設費を負担して開業した駅である。周りに住宅などは皆無で、田畑が広がる中に忽然と姿を現したかのような印象を受ける。駅設置の理由はROYCE’ 従業員500人の通勤に供するということだが、それと同時にROYCE’ の工場に併設した見学・体験施設「ロイズカカオ&チョコレートタウン」や工場直売店に来場する人たちの交通の便を提供したのではと思われる。
  
  ※ 新設された「ロイズタウン駅」です。無人駅です。
 今回のコースはマップを見てお分かりの通り、典型的な方形のコースである。基本コースはそれにスゥエーデンヒルズに寄る形であるが、ショートコースはまったくの方形のコースである。北海道の農村地帯にはよくある道路の形である。
 「ロイズタウン駅」をスタートすると、希望者はROYCE’が提供するペットボトル飲料を受け取り、ガラポン抽選会に参加するために「ロイズタウン工場直売店」に寄るサービスがあった。もちろん私も寄らせてもらったが、ガラポン抽選会は見事に外れだった。
  
  ※ ロイズタウン駅をスタートした参加者たちです。向こうの白い建物はロイズタウン工場です。
  
  ※ 当別町が産んだ小説家・本庄睦男の記念碑がロイズタウン工場の近くに立っていました。
  
  ※ ロイズタウン工場の全景です。
  
  ※ 工場の前庭にはバラ園がありました。
  
  ※ 手前で飲料をいただき、奥でガラポン抽選会が行われました。
 直売店を後にすると、ひたすら田園地帯を真っすぐに歩くコースである。コースの両側には秋蒔き小麦と田植えを終えた水田が広がる光景だった。単調な光景は歩くものには辛いのだが、吹きわたる風が心地よく、それが救いだった。
  
  ※ 水田と麦畑が広がる中のウォーキングです。
 方形コースの2辺を歩き終えると、コースはスウェーデンヒルズの丘へと導かれる。当別町のスウェーデンヒルズは、当別町と宅地業者が共同で開発し、特徴のあるスウェーデンハウスのみが立ち並ぶ住宅地である。
 私もこれまで何度か訪れたことがあったが、こげ茶の壁と白枠で統一された外観に大きな特徴がある。ただ、スウェーデンヒルズから離れた丘の下の方では、建物自体はスウェーデンハウスなのだが、壁の色はかなりカラフルな色遣いをしている家が目立った。
  
 ※ ヒルズから離れたところに建つスウェーデンハウスの壁の色はカラフルでした。
 ヒルズの丘を上り、スウェーデンヒルズ管理センターのところで折り返すコースだったが、この日はちょうどスウェーデンヒルズでは「夏至祭」が行われていた。(夏至祭はスゥエーデンヒルズだけではなく、道の駅「北欧の風」でも開催されていた)私が通過した時間は午前10時を過ぎたばかりとあって、祭りが始まったばかりの時刻で本格的行事が始まる前だったようで、盛り上がる前の雰囲気といった感じだった。
  
  ※ スゥエーデンヒルズの丘に向かって長~い坂を上ります。
  
  ※ こちらは伝統的な色遣いのスウェーデンハウスです。
  
  ※ スウェーデンヒルズのメイン通りですが、緑いっぱいです。
  
  ※ スウェーデンヒルズの中心地域の近くにある「スウェーデン公園」です。
  
  ※ コースの折り返し点です。できれば、担当者がいて励ましの言葉かけていただければ良いのではと思ったのですが…。
  
  ※ センターハウスのところで行われていた「夏至祭」は古れからといった感じでした。
  
  ※ 当別町と姉妹都市を提携しているスウェーデンのレクサンド市との提携記念の「レクサンド公園」です。
  
  ※ その公園内にあったスウェーデンの民芸品のも木製の馬が展示されていました。
  
  ※ レクサンド公園からは当別町(太美地区?)の街が望めました。
 ヒルズの丘を下り、再び直線道路のコースに戻った。この直線コースは意外にも道路の両側には住宅が立ち並んでいた。ちょうどその先には「ロイズタウン駅」の次の駅「太美駅」があった。一帯は当別町の太美地区ということのようだ。
  
  ※ 太美駅近くの通りです。
  
  ※ スウェーデン風の雰囲気を纏った「太美駅」の駅舎です。
 「太美駅」を過ぎると再び田畑の広がる田園地帯となる。距離も10キロを過ぎて疲れが貯まってきた。前を行く女性の軽やかな足運びが羨ましく感じる。また、私と同年代、あるいは年上と思われる方が私を軽々と追い抜いていく人がいる。このヘルシーウォーキングに参加してみて、元気なお年寄りが多いなぁというのが率直な感想である。私も彼らに負けないように頑張らなくては、との思いを新たにしてくれているヘルシーウォーキングである。
  
  ※  コース上で唯一学園都市線の踏切を渡りました。
  
  ※ コースの途上、当別町の道の駅「北欧の風」が道路向かいに望めました。
 そうしているうちに、遠くに「ロイズタウン駅」が見えてきて、列車が停まっているのも目に入った。けっこうな疲れを感じながら13キロを歩き終えた。
  
  ※ 遠くに「ロイズタウン駅」が望まれ、列車が停車していました。

北海道神宮例祭の神輿渡御に遭遇しました!

2023-06-17 19:48:39 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 思わぬ形で北海道神宮例祭の神輿渡御に遭遇した。昨日午後、某講義を受講し地下鉄を降りて地上に出ると、なんとそこに北海道神宮例祭の神輿や山車が長々と列を作って行進していたのです!
   
 例年、北海道神宮例祭の神輿渡御は私の住むマンションのところを通過するので今年も楽しみにしていた。ところが事前に調べたところ、今年は昨年とコースが違い、別コースを通ると知りガッカリし、すっかり諦めていた。
それが偶然とはいえ、遭遇することができたので、私は神輿渡御が通り過ぎるまでおよそ30分間、カメラを構え続けた。
 報道によると、今年は昨年が規模を縮小して実施したのとは違い、例年通りに約1,300人の方々が行列に参加したという。神輿は4基、山車は9基だったという。神輿や山車の間には笛や太鼓の音色を響かせながら隊列はゆっくりと進んだ。
 行列がいかにも現代的だと思われたのは、私には何の役なのか分からないのだが、行列の先頭を比較的お歳を召した重臣役のような方たちが外車のオープンカーの後部座席に乗り、それが10数台連ねて行進していたことだ。日本の古来ゆかしき行事に “外国車” というのがなんともそぐわない気もしたのだが…。
 それにしても1,300人もの人たちが神輿渡御に関わるとは、その動員力(?)に驚いた。北海道神宮のHPによると、一部はボランティアの方々が応募しているようだ。若くて体力のある方にとっては、たとえ無償でも北海道神宮の神輿渡御に関わるということは己にとって意味あることだと考える人が多いということなのかもしれない。
 私が目にしたのが午後4時近くということで朝から炎天下の中の行進が続いて、行列に加わる人たちはかなり疲れていたのだろう。その表情からは緊張感が失せ、しかたなくやっている感が伝わってきたのはちょっと残念な光景だった。
 北海道神宮例祭の神輿渡御は明治11(1878)年から途中、戦時中やコロナ禍を除いて延々と続いてきた歴史的行事だそうだ。その重みを行列を見ている人たちに伝えていこうという意気込みを見せてほしいと願ったのは、贅沢な望みなのだろうか?
 以下、撮り貯めた写真の中から何枚かを掲載することにしたい。
(撮影地―大通西18丁目付近)
   

   

   

   

   

   

   

   

   

   
   
   

   

   
   



今年も北海道神宮フォークうたごえまつりを聴いてきました!

2023-06-16 16:48:45 | ステージ & エンターテイメント
 さすがに人前で歌おうとするだけあって、堂々とした歌いっぷりだった。とはいっても当然歌い手によって歌の巧拙はある。懐かしいフォークやポップスを歌い上げるアマチュアミュージシャンの歌声に耳を傾けた。
  
 
 昨夕(6月15日)、昨年に引き続き北海道神宮例祭の奉納行事の一環として行われた「北海道神宮フォークうたごえまつり」を聴いてきた。
 北海道神宮の境内にはたくさんの出店が出て大賑わいだったが、フォークうたごえまつりの方もそれなりにたくさんの聴衆が集まり盛況だった。
  
 フォークうたごえまつりは、今年で19回目ということで神宮例祭の目玉行事の一つになっているようだ(?)運営は地域FM放送の「三角山放送局」が担当して、アマチュアミュージシャンがいわゆるフォークソングのカバー曲を披露するという条件で希望を募り、15組が選ばれて出演しているということだった。
  
  ※ ステージの進行・司会は三角山放送局のベテランアナ山上淳子さんが務めた。
 私はご丁寧に(?)出演するミュージシャンの名前(ステージネーム)と曲名をメモしながら、15組の歌声に耳を傾けた。
 披露された15曲を元歌の歌手名と共に紹介すると…、
 ①松山千春「大空と大地の中で」、②伊勢正三「なごり雪」、③泉谷しげる「眠れない夜」、④ダウンタウンブギウギバンド「身も心も」、⑤堺正章「さらば恋人」、⑥ハッピーエンド「風を集めて」、⑦井上陽水「少年時代」、⑧中島みゆき「地上の星」、⑨チューリップ「青春の影」、⑩さだまさし「案山子」、⑪長渕剛「乾杯」、⑫かぐや姫「神田川」、⑬井上陽水「恋はハーモニー」、⑭中島みゆき「ファイト!」、⑮斉藤和義「歌うたいのバラッド」、以上15曲です。どうでしょう?私たち世代だとどの曲も懐かしく、あるいはたくさんの思い出を宿している曲もあるのではないでしょうか?
  
  ※ 聴衆は歌い手同様ややお歳を召した方が多かったが、盛況でした。
 さて、肝心の歌唱力、楽器(主としてギター)の演奏レベルはどうだったかというと、リード文でも触れた通り、みなさん堂々とした歌いっぷりは見事でした。ただ、多くの聴衆に感銘を与えるほどの歌声だったかというと、そこは当然絞られてくる。
 私が聴いていてベストスリーだったと思える歌い手は、⑧番の「地上の星」のまさひろさん、⑫番の「神田川」の小笠原たくみさん、⑭番の「ファイト!」のたくろうクラブさん、ということになろうか。
 「地上の星」のまさひろさんは、明らかに60代と思われるのだが、なんと原曲よりオクターブ以上高いほどの高音で歌い切った。その高音は特異な音色といって良いほどだった。
  
  ※ 素晴らしい高音を披露したまさひろさん(北広島市在住とか)
 続いて「神田川」の小笠原たくみさんであるが、ステージに登場した時にはサングラス姿で、あるいは甲斐よしひろの曲でも歌うのかな?と思っていたら、なんと「かぐや姫」の曲だった。この方はもうプロ並みと言って良いほどの歌唱力で会場を圧倒した。南こうせつとは違った優しさに溢れる声質は聴いていてうっとりとするほどだった。
  
  ※ 明らかにこの日一番のステージだった小笠原たくみさんのステージです。
 最後の「ファイト!」のたくろうクラブさんはクラブと称しながら一人で活動しているらしいが、外見からして吉田たくろうになりきっていて、その声質までそっくりさんだった。さらに驚いたのは彼が70歳を超えているということで再び驚かされた。
  
  ※ 外見も、声質もご本家よしだたくろうになり切っていたたくろうクラブさん。
 その他の方々についてもコメントしたいが長くなるので割愛するが、私にとってはとても楽しいひと時だった。
 15組が終わった後は、恒例の五十嵐浩晃さんのオンステージである。巧妙なトークと共に、彼のヒット曲「ペガサスの朝」、「愛は風まかせ」など5曲を披露して楽しませてくれた。
       
       ※ ご存じ五十嵐浩晃さんのステージです。
 このステージは自分の若き日に帰ることができる貴重な機会である。できれば来年も楽しみたいと思っている。
 

御朱印収集巡り №18 発寒神社

2023-06-15 15:27:51 | 神社参拝・御朱印収集関連
 発寒神社は、旧社格では「無各社」であるが、札幌では2番目に古い神社だと言われているそうだ。明治8(1875)年に屯田兵が入植したことにより発寒神社も隆盛していったという歴史ある神社である。
    
 発寒神社はJR函館本線の「発寒中央駅」の直ぐ近くに立地する交通至便の地に立地している。
 リード文でも触れたが、旧社格では「無格社」だったという。「無格社」とは、神社の中で最下位の社格ということだが、この社格制度はあくまで戦前のことであって、現在は他の神社となんら変わることのない神社の一つである。(北海道神宮を除いて)
  
       ※ 南側の鳥居から見た本殿です。
  
  ※ こちら側が確かに正面だと見ました。
  
  
  ※ 賽銭泥対策でしょうか?賽銭箱は固くガードされ、お賽銭は小さな投入口から入れるようになっていました。
 発寒神社を訪れた時に、神社の社殿の造りがちょっと特殊なのに気が付いた。というのは、おそらく正式な入口は南側なのだろうと思われる。南側には鳥居が建ち、その前方に本殿の正面がある。ところが、神社の西側が発寒地区のメイン通りとなっているため、そちら側にも鳥居が建っている。私は当初こちらが正面だと勘違いしていた。というのも、西側から見た本殿も一見正面のように見えるのだ。しかし子細に見ると、それは屋根の形が南側から見た時と同じように見えるのだが、正式な正面は西側には無いことが分かったのだ。面白い造りであるが、神社が置かれた地域的事情に配慮した建て方したのだと類推したのだが、はたして真相は???
  
  ※ こちらは神社西側に立てられた鳥居です。
  
  ※ その鳥居を進むと、ご覧のように一見神社正面のように見えますが、正面は写真右側面の方なのです。お正月など混雑時は二正面作戦なのでしよう???
 もう一つ面白いと思ったのが手水舎である。手水舎に水は流れていなかった。ところがそこに注意書きがあった。「手をかざすと水が流れ出ます」と…。注意書きどおり手をかざしてみると、なるほど水が流れ出てきた。コロナ対策であろうか?センサーを活用するところは神社も現代文明を巧みに取り入れているということなのかもしれません。
  
  ※ センサー付きの手水舎です。手をかざすと竹筒の先から水が出てきました。
 さて肝心の御朱印の方は、残念ながら書置きだけということで納得していただいて来た。 
【発寒神社 情報】
◇旧社格:無格社
◇所属:北海道神社庁
◇住所 札幌市西区発寒11条3丁目1-33   
◇御朱印:あり(書置き 初穂料500円)
◇参拝可能時間:24時間
◇社務所受付時間: 9:00~17:00  
◇例祭日:春季 5月15日/秋季 9月15日
◇駐車場:有り
◇アクセス:JR函館本線「発寒中央駅」北口から徒歩約3分(約240m)
◇創建: 1856年(安政3年)    
◇代表的ご利益: 〇商売繁盛 〇五穀豊穣 〇夫婦円満・家内安全 
         〇技芸・武芸・芸能  〇開運厄除け
◇御朱印記帳日 6月7日

札幌市の葬送事情を学ぶ

2023-06-14 16:54:25 | 「めだかの学校」関連
  “葬送” などについて考えることなどほとんどなかったし、積極的に考えようともしなかった。しかし、人生の終焉が視野に入って来た一人として無関心ではいられない。ふだんは聴くことができない貴重なお話を伺うことができた。
  
 拙ブログで何度か触れているが、私が所属する「めだかの学校」では、現在二つのテーマで学習を進めているが、その一つが終活学習「人生のフィナーレを悔いなく」である。その第3回講座が6月12日(月)午後開講された。今回の講座は札幌市の「出前講座」の一環として開講されたものである。
 今回のテーマは「葬送について考えてみませんか?」と題して、札幌市保健所の係の方からお話を伺った。
 お話は、◇地域ごとの葬送の風習と札幌市の背景◇札幌市の墓地の歴史◇墓地に関する課題と取組◇札幌市の火葬場の歴史◇火葬場に関する課題と取組◇昨今の葬儀事情◇終活について、と多岐にわたったがどのお話もとても興味深いお話だった。ここではその全てをレポートすることは困難なので、「火葬場に関する課題と取組」と「昨今の葬儀事情」の二つに絞ってレポートしてみたい。
 まず、札幌市の「火葬場に関する課題と取組」であるが、現在札幌市には「山口斎場」と「里塚斎場」の二か所があるが、心配されることとして施設の老朽化があるという。高齢社会を迎え火葬件数が増加傾向のある今、もしどちらかの火葬場が施設更新などで休まねばならない状態となるとたちまちパンク状態になるという。そうした状態を回避するために担当部局ではパンク状態とならないようにするためにはどのような方法があるか対策を練っているという。
 その他の課題として、「友引明け」の午前中に火葬が集中する傾向にあるとか、葬儀の小規模化などにより火葬場収入が減少傾向にあることも課題となっているとのことだった。
 現在、札幌市の担当部局として数ある課題の中から、課題解決に取り組んでいる例として、一つは「火葬場予約システムの導入」が挙げられるという。札幌市の場合、現在は火葬場に到着順で火葬が行われているが、順番待ちのバスが車列を作って待つ状況があるという。予約システムを導入することでそうした状態を解消したいということだった。
 二つ目としては現在「友引」の日は休場としているが、「友引」の日に対する抵抗感が薄れてきた現状から、「友引」の日も開場することによって火葬場の混雑を解消することを検討しているとのことだった。
 東京の町田市に住んでいた私の学生時代の友人が退職後まもなく急逝したが、そのときに火葬場が空くのに1週間も待たされたことがあった。札幌市においてそうした状態だけは是非とも避けていただきたいと念願している。
  
 続いて、「昨今の葬儀事情」であるが、このことについてこのシリーズの他の講義でも伺ったが、葬儀の小型化、簡素化が急激に進んでいるとのことだった。いわゆる家族葬、一日葬、直葬、などである。それに伴い葬儀の参列者の減少傾向も顕著であるという。時代の変化、人々の考え方の変化が著しいということだろう。こうした現状に対して、札幌市では「火葬場・墓地のあり方推進協議会」を設置して、時代の変化を視野に入れながらより良い火葬場のあり方、墓地のあり方について検討協議を続けているとのことだった。
 前述したように、葬儀や葬送に関して多岐にわたるお話はとても興味深く拝聴することができた。一緒に受講した他の「めだかの学校」の会員の方々も一様に「ためになるお話を聴けた」と感想を述べていた。
 「初めての出前講座です」と話された保健所の係長さんだったが、どうしてどうしてベテランの講師のお話をお聴きするようにお話の内容がすーっと入ってくるような素晴らしい講義だった。 

ウポポイ(民族共生象徴空間)をちょっと覗いてきました

2023-06-13 16:48:14 | その他
 白老町まで行ってウポポイを見ないでは帰られない。とはいえ、白老を訪れた第一の目的はヘルシーウォーキングだった。そのウォーキングが雨によって予定変更を強いられたために時間的余裕がなくちょっとだけ覗かせてもらったウポポイだった。
  
 ウポポイが開業して3年目。新しもの好きを自認する私だが、どうも足が遠かった。今回はウォーキングが第一の目的とはいえ、白老に足を踏み入れてウポポイを見ないでは帰られまい。ウォーキングの途中だったが、それを一時中断してウポポイを覗いてみることにした。そのため駆け足ではあったが、全体を把握することを目的にウポポイ全体を回ってみた。
 ウポポイについてまったく不案内なまま入場したのだが、ウポポイは大きく分けて5つのエリアからできていることが分かった。それは①体験学習館、②体験交流ホール、③国立アイヌ民族博物館、④工房、⑤伝統的コタンの5つからなっていた。
 
 最初に驚かされたことがあった。なんと歩行者用の入口から入場ゲートまでがとても長かったことだ。長いだけではない迷路のように入り組んでいるため、私など大いに迷いながらようやく入場ゲートに辿り着けたほどだった。こんなところに国立の施設の大袈裟(?)なところを見せつけられた思いだった。
  
  ※ エントランス棟から入場ゲート、その後ろに「国立アイヌ民族博物館」が建っています。前面に立っているのはキャラクターの「トゥレッポん」だそうです。
 入場券(大人1,200円)を購入し、入場ゲートを通るとすぐ目の前が「国立アイヌ民族博物館」の立派な建物である。アイヌに関する展示ホールは2階にあったが、これもこれまで見たアイヌ施設に比べると、広~い空間にディスプレイされた展示の仕方は一味違うなぁ、との印象を持った。ただし、展示されているものをざーっと見て回ったが、これまでも同種の施設を何度も見ている私にとっては格別興味をそそるものは無かったように感じた。
  
  ※ 博物館2階の展示室です。かなりスマートにレイアウトされていました。
  
  ※ 博物館の2階から眼前のポロト湖を眺めたところです。
 博物館一階シアターホールで放映されていた「世界が注目したアイヌの技」という映像を観たが、意外に多くのアイヌ関係の文物が外国の主要博物館に所蔵されていることを知った。
  
  ※ この光景を見て、ディズニーランドの清掃人を思い出しました。
 博物館を出た後は、ウポポイ内をざーっと見て回るだけだった。工房も伝統的コタンも体験プログラムとか、実演を見て初めて意味あるもののようだったが、何せ時間がなかった。特にウポポイを訪れた際に外せないのは「体験交流ホール」における伝統芸能上演や短編映像上映などであろう。一つくらいは体験たいと思ったが、時間が合わなかった。また、「体験学習館」の方はやや遠方にあったために立ち寄ることすら断念した。
  
  ※ 工房で作業をしている方がいました。
  
  ※ 北海道の各地様々なところで目にしたコタンの風景です。
  
  ※ 晴れた日などはこのステージで舞踊や楽器演奏がされるのかもしれません。
  
  ※ 体験交流ホールの入口です。次回はぜひ体験したい施設です。
 こうしたほんとにザーッとしか見て回らなかったのだが、ウポポイを味わい尽くすにはやはり一日日程で訪れるべきだと思えた。
 次回、訪れる機会があったとしたら入念にスケジュールを立てて、味わい尽くしてみたいと思った。 
  
  ※ 体験交流ホールの裏手になぜか動物たちの彫塑像が立ち並んでいました。

ヘルシーウォーキング⑧ in ポロトの森と湖畔周遊、仙台藩陣屋跡・白老ウォーク

2023-06-12 19:39:44 | JRヘルシーウォーキング
 白老にはなんといってもウポポイ(民族共生象徴空間)という武器がある。しかし、そこは有料施設のためにコースには含まれていない。それでもポロト湖周遊と仙台藩陣屋跡という魅力的な見どころを含んだ素晴らしいコースだった。(約13.0Km)
     
 今回のミニ遠征は雨と付き合う遠征だった。前日の「うかわウォーク」に続き、6月10日の「白老ウォーク」も雨と付き合わねばならないものとなった。
 夜通し降り続いた雨は朝になっても止んでいなかった。雨の中を出てゆく勇気は持ち合わせてはいない、ひたすら雨が止むのを待った。そうしたところ私の思いが通じたのか、午前10時近くになって雨が小止みと状態となったので、「それーっ!」ばかりに雨装備を整えてスタートした。
  
  ※ コースのスタート&ゴールとなった「白老駅」です。
  
  ※ 白老駅の駅前通の様子です。
 スタート地点の「白老駅」から駅前通りを行くと、「白老町役場」の庁舎が目に入った。すると庁舎には「北海道遺産認定 仙台藩白老陣屋跡」と書かれた大きな幕が壁面に掲げられていた。 歴史に疎い私は「へぇ~、陣屋跡は白老にとってそんなに大切なものなんだ」と、その時初めて仙台藩陣屋跡に興味を抱いた。
  
  ※ 白老町役場です。右側の壁に仙台藩陣屋跡が北海道遺産に認定されたことを祝う垂れ幕が下がっています。
 踏切を渡り、白老の住宅が密集する地域に入っていった。歩き始めて間もないのに、レインウエアを着ていると蒸れて暑い。雨は止んでいなかったがレインウエアの上を脱ぎ、傘で雨対策をして歩き続けた。住宅街を抜け、小高い丘に向かって「陣屋通り」を進んだ。
  
  ※ 仙台藩陣屋跡に続く陣屋通りです。 
 陣屋通りに入って1キロも進んだころ、森の中に導かれた。その入口には仙台藩陣屋跡についての説明板が設置されていた。それによると「江戸末期の安政2(1855)年、幕府から蝦夷地警備を命じられた仙台藩は警備に適した場所として白老ウトカンベツを見出し、翌安政3年に元陣屋を築き、蝦夷地警備の本部とした」と概略書かれていた。
  
  ※ 陣屋跡一帯の入口に立てられた看板です。
  
  ※ その看板の横には陣屋跡についての説明板が設置されていました。
 説明板のところを離れて中へ進むと高い土塁が築かれていた。その一角には内部へ通ずる「御門」と呼ぶ大きな門を潜り抜けると、そこは「外曲輪(そとくるわ)」という藩士たちが訓練をしたり、下級藩士たちが寝泊まりしたりする長屋跡があった。
  
  ※ 高い土塁に囲まれて外曲輪に入る「御門」です。
  
  ※ 外曲輪の一角には下級藩士が寝泊まりする長屋跡が示されていました。
 さらに進むと掘割を巡らせた内曲輪(うちくるわ)に導かれる。そこは陣屋の中心部で、本陣・勘定所・兵具蔵・火薬庫などの跡地が記されていた。後で聞いて分かったことだが、この仙台陣屋跡は、海岸から2キロほど奥地に入った小高い丘の上に築かれている。その理由の一つは海岸線を警備するために高いところに陣地を据える必要があったこと。さらには陣屋跡の東西に河川が走り、自然の要害となったということである。
  
  ※ 外曲輪から内曲輪に入るための橋です。
  
  ※ 内曲輪内の一角です。土塁が積まれています。
  
  ※ 内曲輪内の本陣の跡です。
 陣屋跡の史跡の直ぐ横には「仙台藩白老元陣屋資料館」が建てられていた。思わぬ史跡の存在に感激した私が寄らないわけがない。資料館の中に入ると、素敵な出会いが待っていた。それは、地元の白老東高校の生徒さんがクラブ活動の一環としてボランティアでガイドをしているのでぜひ利用してほしいとの要望だった。断る理由などまったくない。私は喜んでガイドをお願いした。白老東高校の女子生徒さんは実に誠実に展示物について説明してくれ、私の陣屋跡への興味関心をさらに深めてくれた。さて白老仙台藩元陣屋が構築されたのは安政3年という江戸末期であった。慶応4(1868)年、戊辰戦争の最中に仙台藩士たちは白老からの撤退を決め、決死の覚悟で仙台へ帰還したという。白老での北方警備の任は僅か12年間という短い日々だったそうだ。
  
  ※ 「仙台藩白老元陣屋資料館」の外観です。
  
  ※ ボランティアでガイドをしてくれた白老東高校の生徒さんです。(右端)
  
  ※ 陣屋跡の内曲輪を再現したジオラマです。中央が本陣跡です。
 ウォークとは直接関係のない記述が多くなってしまった。コースはまだ序盤である。先へ急がねば…。
 「仙台藩白老元陣屋資料館」を後にした私は再び住宅街を歩きポロト湖を目ざした。住宅街を通る「桜が丘通り」は市街地にも関わらず緑豊かな気持ちの良い通りだった。
  
  ※ 道路の両側に住宅が連なる「桜丘通」です。道路が雨に濡れてますね。
  
  ※ はっと気づいたら、白老駅に近いポロトミンタラという私が駐車した所でした。
 コースはスタートした「白老駅」の近くを通り、ポロト湖畔に立地するウポポイを目ざした。ウポポイの脇を通り、いよいよポロト湖畔周遊の始まりである。周遊は湖の周りを時計回りに巡るコースである。コースに入って間もなく湖面を見ることができた。そこからはウポポイの施設も望むことができた。
  
  ※ ウポポイの柵を横目にポロト湖一周のウォーキングに出かけます。
   
  ※ ポロト湖の湖面と向こうにウポポイの建物が見えます。湖は浅いようですね。 
 コースに入って1キロも進んだろうか、湖畔に「インフォメーションセンター」があったので寄ってみると、職員から「熊鈴は持っているか?」と問われた。登山の際はいつも携行しているのだが、この日は持ち合わせてはいなかった。「熊が出るんですか?」と問うと「知らない」となんだか無責任なことを言う。まあ、「気を付けて歩きなさい」ということだろうと解釈し、そのまま前に歩を進めた。コースは舗装され、歩道も完備されていて、周りは鬱蒼とした森林になっていて、森林浴には絶好の環境だった。
  
  ※ インフォメーションセンターの建物です。
  
  ※ カヌーを楽しんでいる人がいました。(インディアンカヌー?)
  
  ※ こうした鬱蒼とした森が続く道路でした。道路は舗装してあります。
 ポロト湖畔周遊に入って3キロも進んだころに今度は「ビジターセンター」が現れた。ここで持参のおにぎりを頬張り、またまた施設を管理する職員に尋ねた。「ポロト湖畔一周でどれくらいの距離があるのですか?」と…。すると職員は「分からない」と言う。関係者が肝心の知識を持ち合わせていないということは残念なことである。
  
  ※ 湖の最奥部に近いところにあったビジターセンターです。
 ビジターセンターはポロト湖周遊の最奥部に近いところである。そこからは一路ウポポイのある周遊のスタート地点を目ざしてのウォーキングとなった。コースの状況は一変し、舗装も一部途切れるなどワイルドな感じのコースとなった。
  
  ※ 対岸の帰り道の方は未舗装のコースでした。
  コース中で非常に目立ったのが、大きく成長したミズバショウの葉である。一枚の葉の長さが80cm~1mもあるまるでお化けのような大きな葉が密集して生息していた。白いガクが咲き乱れる時期は壮観ではないかと思われるほどだった。
  
  ※ お化けのように大きく育ったミズバショウの葉です。
 コースの周囲は変わらず鬱蒼とした森林だったが、コース脇に立てられていた掲示板を見ると、けっこう人工林の割合も多いようだった。そうした中、古木もけっこう多いようで、それらについて案内する掲示板も設置されていて、訪れる人には親切な配慮がなされていた。
  
  ※ ポロト湖周遊のゴール地点。(反対のスタート地点)熊注意の看板が目立ちます。
 一説によると湖畔一周はおよそ7キロとも言われているようだが、なんとか無事に一人旅を終えることができた。湖畔周遊のスタート地点に戻った私は、ウォーキングをいったん中断してウポポイ(民族共生象徴空間)の中を見学することにした。(そのレポは明日に)
  
  ※ ウポポイの施設の外壁に大きく表示がされていました。
 ウポポイを出るとゴールの「白老駅」はすぐ傍である。あちこちに寄り道をしながらも午後3時半すぎに「白老駅」に着き、駅員から参加証明のスタンプを押していただき、「ヘルシーウォーキング in 白老」を無事終えることができた。                 

ヘルシーウォーキング⑦ in 人と自然が輝く清流と健康のまち、むかわウォーク

2023-06-11 16:44:56 | JRヘルシーウォーキング
 雨にたたられたむかわ町ウォークだったが、コースは終始田園風景が広がる中を歩くコースだった。コース後半はシシャモが産卵するという鵡川を横目に見ながらのウォークとなった。(基本コース 約12.5km)
    
 6月9日、10日と特に予定もなかったことから、JRヘルシーウォーキングの「いつでもウォーク」のコースが設定されているむかわ町と白老町のコースを歩こうと思い、早朝むかわ町に向かった。
 ところが途中から雨が降り始め、午前9時前にむかわ町に着いたときには雨に風が付いていてとてもウォーキングを楽しむコンデションではなかった。しかたなく、文庫本を読みながら雨が降り止むのを待つことにした。
 お昼が過ぎて1時近く、ようやく雨も風も弱まってきたので、基本コースは無理でもせめてショートコースだけでも歩こうと考え、雨装備をしてスタートした。スタートしたのは「道の駅 むかわ 四季の湯」だった。というのも、JRの「鵡川駅」は駅員が配置されていない無人駅のため、ヘルシーウォーキングの参加証明スタンプは道の駅で押してもらうことになっていたからだ。
  
  ※ コースのS & G地点となった「道の駅 むかわ四季の湯」です。
  
  ※ 道の駅のすぐ傍に建っていた「むかわ町役場」庁舎です。
 スタートして鵡川の街中を少し歩くと「鵡川駅」に導かれる。とても立派な駅舎だったが、駅舎内を改めるとやはり駅員の姿はなかった。そこにちょうど地元の方がいらっしゃったので「日高線は鵡川で終点となりましたが、この後廃線になる計画はあるのですか?」といささか地元の人には失礼な質問をさせてもらった。すると「赤字とは聞いていますが、廃線の計画は聞いていません」とのことだった。(私がこの文章の中で「むかわ」と「鵡川」を使い分けているのは、もともとは鵡川町だったのだが、2006年に隣町だった穂別町と町村合併したさいに名称変更があり「むかわ町」と改められたために町を表す場合は「むかわ町」、今回歩いた鵡川地区を表すには「鵡川」と使い分けています)
  
  ※ 鵡川駅前の商店街通りです。
  
  ※ 立派な駅舎の「鵡川駅」ですが、無人駅とは少し寂しいですね。
 駅から鵡川駅以降が廃線となった踏切の跡を渡り、住宅街へと入ったがそれも間もなく終わり近くなったところに「鵡川高校」があった。鵡川高校というと高校野球ファンには知られた学校である。小さな田舎町の学校であるが、なんとこれまで3度もの甲子園出場を果たしている学校である。おそらく町の人たちにとってはとても誇れることではないだろうか?ただここ10年ほどはやや不振が続いているようである。鵡川高校野球部の復活のニュースを聞きたいものだ。
  
  ※ 日高線は鵡川駅以降は廃線となり、線路が切断されていました。
  
  ※ 非常に立派に見えた鵡川神社の本殿です。
  
  ※ 北海道野球界の名門(?)鵡川高校の校舎です。
 鵡川高校を過ぎてからはただただ田園風景が続くコースとなった。雨は上がったものの、鉛色の空が広がる中のウォーキングはなかなか辛いものがあった。せめて晴れ上がっていればまた違った感慨も湧いてきたのではと思われたのだが…。そんな中、唯一私が関心を抱いたのが、田畑の間に縦横に走っていた「潅漑(かんがい)溝(こう)」だった。潅漑溝の中を勢いよく流れる水流を見た時、とても良く整備された日本の農業事情の一端を見た思いがした。
  
  ※ 鵡川高校を過ぎるとご覧のような農道が続きました。
  
  ※ 歩道は人が通らないために雑草に覆われ、歩きにくくなっていました。
  
  ※ 道路を折れ曲がると歩道も無くなってしまいました。
  
  ※ 右に潅漑溝、左に水田が広がっていました。
 そうした風景が続く中で、路傍に「株式会社 I Love ファーム」という看板が目に入った。周りを見ると広大な敷地にビニールハウスが数えきれないほど建っていた。最近はこうした会社組織の農業形態が増えていると聞いていたが、それにしても「I Love ファーム」とは言いえて妙なるネーミングのように思えた。
  
  ※ 株式会社 I Love ファームの看板とビニールハウスです。
 コースは残り5kmのところで鵡川沿いの堤防上のコースとなった。堤防上はイタドリの茎が大きく伸び、鵡川の川面がなかなか見えなかったが、時折り覗いた鵡川の様子をカメラに収めながら進んだ。鵡川(川の名)は鵡川(地域の名)の名産であるシシャモが遡上して産卵する川ということだが、鵡川は一級河川ということで、それに相応しい大きな川だった。
  
  ※ 鵡川の堤防上の道路はイタドリに囲まれていました。
  
  ※ イタドリの隙間から見えた鵡川の流れです。
  
  ※ 鵡川を跨ぐ「日高自動車道」の「清流鵡川大橋」を走るトラックです。
 鵡川沿いを歩き市街地に近い川辺には、これも鵡川地区の名所である「たんぽぽ公園」が広がっている。残念ながらたんぽぽの花の時期は終わっていたためかただ緑の広場があるだけだった。
  
  ※ 花の時期は終わってしまった「たんぽぽ公園」です。
 その「たんぽぽ公園」と道路を挟んだところに照明施設が整えられた「鵡川スケートセンター」があった。正式な400mコースのようだったが、陸上競技場との兼用ではなくスケート専用設備らしく、コンクリート舗装がされていて資料によると年間を通して利用可能(夏季間はローラースケート)
  
  ※ 照明付きの立派な「鵡川スケートセンター」です。
 雨模様ということもあり、一度も休憩をとることなく2時間40分をかけてスタートした「道の駅 むかわ四季の湯」にゴールした。