モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



涅槃会の法会に行ったワケではありませんが 町内の大願寺さん(浄土宗)に、お邪魔しました。 初めてです。

涅槃のイラスト(❔) ご住職はご不在で このお話を聴けませんでした。涅槃像は去年 法隆寺五重塔の特別展で拝観しました。 

 

今日2月19日は 一昨年の暮れに 94歳で施設で亡くなった友人の誕生日 です。彼女は八幡東区の明専寺に眠っていますが (明専寺の)ご住職の娘さんの嫁ぎ先が 大願寺さんだと 以前から お話を伺っていました。

 

涅槃画の意味は 浄土宗の友人から教えて貰いましたが また大願寺をお訪ねしたいです。

 

本堂です。 私は右側の庫裏から 入らせて頂き 明専寺の娘さんである奥様に お会いして お茶を頂きながらおはなししました。

 

お庭です。因みに お釈迦様の入滅は2月15日(旧暦)  だから・・・なんですね。

   願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ (西行法師)

 

鐘楼と 右端 山門です。

 

山門まで下がって 本堂を見た所です。

 

御門から出たらこのお言葉  思い立ったが吉日 思案だけでは 何も生まない 

なるほど 何年も前から明専寺のご住職とお話していたのに 思い立って お参りしてよかったです。

 

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前回ご紹介の来迎寺の隣です。 不可思議山明善寺をご紹介します。ここも2回目 前回は石橋のみ その石橋です。

 

真新しいです。 近年 建て替えられたようです。真宗大谷派のお寺さんです。

 

香春町採銅所・不可思議寺・細川興秋が宗順として1615年から1632年まで住職を務めた

細川 興秋(ほそかわ おきあき)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。 細川忠興の次男。 [生涯] 母玉が味土野(現京丹後市弥栄町)幽閉を解かれて、大坂に戻った天正12年(1584年)に生まれた。(ネットより)

(玉は後のガラシャ夫人です。)

 

鐘楼です。

不可思議寺、来迎寺、髙座石寺の3寺は、香春における中核をなすキリシタン寺だった。また1627年(寛永4)以来、中浦ジュリアン神父を興秋は不可思議寺に匿い、中浦ジュリアン神父は興秋により、脳梗塞の治療を受けて快復。
細川藩が肥後へ転封される1632年(寛永9)12月まで、6年間、この寺を本慮として豊前、豊後、筑前、筑後を宣教していた。(ネットより)

 

中浦ジュリアンは 天正少年使節 4人の内の一人です。 13歳でした。下の本の写真の 【天正少年使節】の帯には

信長の時代に長崎からローマへ船出し、秀吉の時代に帰国した少年たちの物語 

 

盟友の伊東マンショ神父が残した豊前のキリシタンの世話を中浦ジュリアン神父が引き受け、慰めと希望と信仰を維持するように励まし続けている (ネットより)

 

三つの寺のもう一つ 高座石寺 これまた 私は 石橋しか見てないのです。 知らぬ事とはいえ もったいない・・

高座石禅寺鐘楼前の橋 (福岡県香春町)2007年4月2日

 
 
今回 採銅所行きで 思いがけず 天正少年使節 に出会う 私は 長崎で浦上天主堂 26聖人の資料館 西坂の教会などで ずいぶん色々見学し、本も買って読んだのを思い出しました。
それにしても少年使節 わずか4人、その中の2人が関係してるなんて すごいことですよね。
 
天正少年使節・・・・私は大河ドラマにして欲しいです。
 
 
 
この前お正月だったのに 今日で1月も終わりですね。
 
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まだ採銅所が続いています。 往き道で気になっていた所 帰りに寄りました。お天気のいい14日です。

 

奥に見えたら気になりますよね。来迎寺(らいごう寺)です。

 

山号は 引接山(いんせつ山) 石橋があります。浄土宗のお寺さんです。

緑色分 追記しました。ネットより 

来迎寺の創建は1625年(寛永2)。1615年(元和元)以来、隣の敷地は不可思議寺であり、興秋が匿われている寺である。細川藩の最高機密に相当する興秋隠蔽の寺の隣に、仏教寺院が創建されること自体、まず領主の細川孝之が許可するはずはなく、間違いなく来迎寺はキリシタン寺として建立されている。不可思議寺、来迎寺、髙座石寺の3寺は、香春における中核をなすキリシタン寺だった。

 

 

以前に来た時には 石橋だけをUPしています。

 

門内から見た鐘楼門です。 

 

大きくしますね。

 

鐘楼門の横にありまして お花をよけて観たいのですが、庫裏に近いほうになるからできませんね。

 

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1月16日、鎮國寺に行った帰り道、山田不動尊に寄りました。鐘楼です。中国製梵鐘 明正徳九年一五一四年と書いてあります。  

ネットで年号調べたら 中国, 時代・年代世紀明時代・正徳9年(1514) でした。 幾何学模様です。

 

本堂のご本尊は 六地蔵と書いてありますが 戸は閉まっていて拝観できませんでした。

 

これはマンリョウですね。 人の姿もなく寂しい中 とっても鮮やかでした。 

 

階段の上は 菊姫のお墓 この日の連れは妹、実は二人とも臆病で肝が細い でもそんな振りせず行ってみようか

 

宗像氏の家督を巡る争いに巻き込まれ、悲劇的な最期を遂げたことで知られる。その死後の数々の伝説が残された。Wikipediaより 興味のある方は 宗像氏 菊姫 ウイキペディア で検索してくださいね。

私は運動神経鈍いけど 逃げ足は速いから 先に階段を降りました。(話を知っているから)

 

オットー 多分ジョウビタキ オス  妹は キビタキ と思っています。 いつもです。 写真入れ替えました。

 

近づいたら逃げるから 写真だけ拡大します。

ブログ友のどんこさんが教えて下さいました。紋付の紋のようなのがあるのは ジョウビタキだと。確か【尉】だったような・・

 

遠いのに私にしては上出来 自画自賛 です。

 

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家から岡垣町を抜けて宗像市、 車で20分 鎮國寺さんです。 妹と行きました。仁王像 阿像の後ろ 桜が咲いてますが これはずうっと咲いている十月桜です。

 

パーッと咲いているのは【梅】で 左側は 熱海桜 【桜】なんです。 もう少し咲いたら きっとメジロが集まってきます。

 

シンボルの梅の花 左は本堂 右は 大師堂 です。 

 

本堂です。お堂に上がってお参りしました。

 

広くはなく 何方もいらっしゃらないけど 撮影禁止だから 撮ったことはありません。左から 阿弥陀如来 薬師如来 (中央)大日如来 釈迦如来 如意輪観世音菩薩

ゆっくり お参りしました

 

石橋の池の周囲に 多くの仏像があるから 1円玉のお賽銭をあげながら 回りました。

 

小さな滝があって 不動明王 ここでお参りしました。

 

護摩堂です。 大きいからここでお参りして帰る方もおられます。

 

駐車場の奥には 聖観音様 二人でお参りしています。色んな思い出があります。

 

入口には桜美苑と書いてあり 両側に色んな種類の桜があり 時季になると素晴らしい眺めです。

一本だけ咲いていた・・・桜美苑だから 桜だと思うけど・・・

 

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姉妹でバスツアー 最後にお参りしたのは 文殊仙寺 私は今年3月にも行って3度目です。

今回はバスツアーですから 時間が限られています。 楼門近くまで楽々 バスで行ってます。楼門は内側から観ています。

 

3月の写真 324段の石段を登っています。外側からの楼門が見えています。(今回はバス)

 

今年は卯歳でした。(ウサギ年) 卯年の守り本尊『文殊菩薩』に、また逢えました。 その上、今回は一願成就の護摩焚き。 

ツアーで1人1人護摩木を頂いて願い事を書いています。一人一人の名前を読んで願い事は短くして 文殊菩薩様のお口である炉の中に投入されます。テレビにも出られるお馴染みの御坊様です。

 

文殊堂です。姉妹4人 並んでいました。 出発の時 めんどくさいと思った事を反省 なんだか胸がいっぱいになりました。

 

後ろのほうは岩の中なんですよ。

 

ツアーの料金は1万3800円 むかーし 歌の文句にありました。 月給が13800円で暮らせたんですね。昭和32年の歌でした。 

クーポンが3000円あったから実質10800円 それが精いっぱいの高齢者姉妹です。

姉妹4人の旅 75歳から83歳 この記念の日付 いつもの御朱印より 有難かったです。

そんなウサギ年最後の満月 12月27日 月の出が東から少し北寄りの為 道路に出て歩道橋から見ました。

今年 私の一番の出来事は・・・3月 77歳になり 退職したことです。数字ばかり見た長い長い時間ですが仕事が嫌だと思った事はありません。誰からも、えこ贔屓され幸せな時間でした。

 

月と言えば うさぎ  この次のうさぎ年は 12年後 私は89歳 きっと生きているでしょうが 月の番人できているかな?

                     

ここを訪問して下さる皆様 この一年間 ありがとうございました。どうぞ輝かしい新年が 皆様を待っていますように・・・。

 

 

コメント欄は閉じています。 気ぜわしい大晦日に お越しいただき有難うございます。



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昨日 岩戸寺をご紹介をしましたが 講堂の襖絵が主でした。 目で見た景色を残したいと思い記事を追加します。講堂までの道です。右は六地蔵さんかな?

 

 

仁王像です。

 

散った紅葉の美しい12月7日のことです。扁額は、『大権現宮』 です。

 

私にはこれがね~ 罰が当たりそうですが 動物や人が色々見えるのです。

 

六所大権現の鳥居をくぐります。

 

この左側に講堂があったのです。 これから先 手すりもないし 上りはいいけど下りが怖いので 姉2人と私はやめて 妹だけが行きました。

 

下りです これくらい広い段なら 気を付けて下ることができます。

 

国東の紅葉は12月上旬が 良いようです。 

 

観音様が見守って下さいます。

 

臨時便で 投稿しました。 コメント欄は閉じています。 お越しいただきありがとうございます。



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姉妹の国東半島バスツアー 幽霊の掛け軸の次は 公開前の襖絵の見学です。(12月7日)両端に仁王像が見えますか?

 

石立山岩戸寺さんです。ここも私は2度目です。でも今回は講堂が改修されています。

 

今までの講堂です。 修正鬼会(しゅじょうおにえ)が行われる場所です。

 

中に入って説明をお聴きします。

 

国東塔です。 富貴寺でも見ましたが ここの国東塔は国宝です。

 

そして今回のメイン 新しい講堂の襖絵です。修正鬼会をイメージして描かれているそうです。

 

そして 反対側のふすま 鬼がいなくなった仏の里の春の花 と仰ったかな? 素晴らしくきれいでした。

 

こちらも春です。 建物全景を撮れなかったけど 室内の様子がわかるかと思います。とにかく襖絵が美しい・・・写真で色が出せないのが残念です。

 

御朱印を頂きました。

 

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六郷満山のお遍路で ここも以前訪ねてますが ドライバーさんに誰からともなく拍手がわきました。そんな狭い道です。

 

久保山 長慶寺さん 12月だというのに 晩秋の風情でした(7日)

 

仁王像は その隣にありました。国東は石像が素晴らしいです。 ちょっと写真はまずいけど・・・

 

そして本堂です。 上の姉は 「夢を見るけ 幽霊は観らん」 と言ってました。

 

ご住職の法話は とても惹かれる話し方 でも みんな 幽霊がどこにあるのかキョロキョロ(私だけかな?)

口調はゆっくりで 何か 怖いのです。 ここは御接待があって お茶・お菓子・梅干しの他にポケットティッシュも。ご住職様は この絵に似ていらっしゃいます。

 

そ・し・て・・・・ 幽霊にご対面 観らん と言った姉は 一番に行きました。

いや~ 足がないとか 手がだらり とかじゃないのです。 口角少し上げて まるで微笑むようです。

片手に持っているのは 夫の愛人の首 怖い 怖い・・お顔は美しく観音様みたいでした。 写真はほんとの聖観音様です。

 

境内から  お寺を守ってきた地元が見えていました。幽霊さんもここに居られたのかな?

 

4人でお寺参り 父が亡くなった時 一周忌の平成元年 に 篠栗さんに行った時以来です。

記念に 国東参りのこの日を記載した御朱印を頂きました。

 

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東大寺・法隆寺・中宮寺・海龍王寺・法華寺とお参りした後 近鉄西大寺駅で下車。  目の前に、安倍元首相が凶弾に斃れた場所がありました。 なぜあんなところで・・?    そして もう見える西大寺四天堂。

 

山門は どこも大体こんな感じでしたね。秘佛秘寶特別展のお知らせです。 

 

本堂です。 十一面観音菩薩 四天王立像があります。

 

【八十八面観音巡礼】の本は スキャンできないので 写真を撮りました。 遠慮して?少し小さめにしました。

 

そして御朱印です。 お気づきになったと思いますが 八十八面というのは八ケ寺の十一面観音像という意味です。

専用の参拝朱印帳があり形が決まっているのです。

 

愛染明王堂です。秘佛愛染明王の御開扉と書いてあります。 入ってみました

 

愛染明王像です。手持ちの写真集からコピーしました。直目で拝観して素晴らしかったです。

これで今回の奈良の旅 お参りを終えました。魅惑の仏像を拝観して興奮続きでした。

 

なのに・・・ホントに恥ずかしいミスをして 自己嫌悪に陥って しょんぼり帰ることになったのです。初回に書いた通り フェリーのお風呂には入りたくなかったけど 出航前に一番風呂だからと・・・ 乗船して荷物を置いてすぐ 浴室に・・その荷物を置くベッドを私は間違っていた。。 お風呂から上がって 部屋にも帰らずに 今度はバイキングの席がいっぱいになるからと そのままレストランへ。このリーダー裕子ちゃんがいて たくさんの仏様に出会えたのですが 忙しい・・

そこで 呼び出しがあり 私が 他人のベッドに荷物を置いていると。 ロビーに行ったらカウンターに置いてある・・でも部屋に戻ろうにも部屋も分からない だって 乗船したばかりですよ。 友人が来てくれて・・・食欲無くしてたけど済ませ 眠れないけど寝て・・

翌日の朝 朝食のバイキング 

 

 

もうすぐ 北九州に到着します。 失敗を生かして 今度から他人任せにせず しっかり自覚して行動しよう・・・

そして もう来年の 奈良行きも 決まったのです。 Cちゃん 裕子ちゃん ありがとう。

 

現地一日だけの旅を 9回にも分けて記事を投稿 お付き合いくださった皆様 ありがとうございます。

 

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