モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



蓮華院誕生寺奥の院には若いころから数えきれないくらい行きました。その本院の方に南大門建設中です。

奥の院で場所を聞いて訪ねてみました。立派な物です。前の道路から見上げたところです。




場所は熊本県玉名市です。南大門側は道路より高いんですが 狭い道路を挟んで向かい側が高台になっています。

高さが同じだとこんな風に奥に五重塔が見えます。現在は工事用の車しか入れません。両側の柵の中は四天王のうち2体がはいります。




振り返って今度は門の内側から見たところです。こちら側の柵の中には四天王の残りの2体が配されます。

このたび再建される南大門は、高さ15m、横幅20m、奥行き1mに達する純木造の入母屋造りの二重門で、一層部分の四隅に四天王像がお祀りされます。



また振り返って・・・4月の落慶法要にあわせて南大門から本堂までの参道を急ピッチで工事中です。




その参道を歩いて また振り返りました。南大門が見えています。




蓮華院誕生寺本堂と五重塔です。 




五重塔は純木造です。






本堂におられました。増頂天です。後ろまで回ってみました。触らなければいいから後姿を拝観するよう教えていただきました。

4月に南大門に収まったら2度と後姿を見る事はできません




広目天です。 その後ろに持国天がありましたが撮っていません。多聞天は現在彩色中で、ありませんでした。

仏師は京都在住の今村九十九さんで 100年後には国宝になるだろうって。 この4体が南大門の東西南北を守ります。




奥の院で頂いたパンフレットです。




境内には 色々史跡がありましたが その中のひとつをご紹介します。地元では関白塔と呼ばれている五輪塔です。

皇円上人の祖、関白藤原道兼の菩提を弔うために造立されたと伝承されていて 右は東塔2.5m 左は西塔2.68m 二つの塔です。(案内板より)





南大門 四天王像の落慶法要は4月23日 24日 です。 23日には稚児行列もあるそうです。



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昨年末から流行っている、とっても長い歌 トイレの女神様・・・・トイレの話で申訳ありません。

狭い空間の中ですがちょっと広いです。。ここはトイレの中の(内側個室の)洗面所です。キレイでしょう?

右はレトロな手洗い器(水は入っていません) 昔はどこの家にもこんな上等じゃないけど、こんな形のが掛けてありましたね。





はい、女神様です。食べ物屋さんでお手洗いがきれいだと 食べ物も安心して食べられます。




調度品も レトロな感じです。テレビとか薬箱とか 雑誌とか食器 ビン缶 とか。。。。展示示してあるんですが 食事の場所ですからそうそう撮れません。

窓の外 なんだかこちらが観察されてるみたいです。




建物は古民家風で天井が高ーい。柱時計が観えますか?右側の・・・



お料理です。。 右下の黒い麺は 米粉のスパゲティー・・・米粉ならビーフンかと思うけど違う。

黒ゴマそばとも違う お箸じゃ食べにくい じゃーやっぱりスパゲティー でも全然違う 1番近いのは細めの丸いうどんの食感です。





ゴマをまぶしたのとグラスに入ってるのはお寿司です。トビコは食わず嫌いで食べられません。ご飯にマヨネーズが似合わないと思う。




さて お手洗いの話から始めましたが家から10分~15分、文化屋さんです。 あしや会の1月例会(?)です。一応新年会ですからいつもよりご馳走でした。





2次会は・・・・・ジョイフル 和風パフェ もう入らん…とか言いながら・・・・商品にはいちごはありません。

メンバーが持ってきてくれた あまおう をのせてます。。。お店の方に悪い? ウフフ お店のウエイトレスさんにもあげました。



 

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笑っちゃうんですけどね・・・・・ここを通ったんです。この橋を渡りながら通り過ぎざまに「鮎帰滝」の文字が見えました。

石橋の文字が見える部分はもう通り過ぎています。でも私 鮎帰橋を思い出しました。パソコンがないからniemonさんの教科書はありません。

車に積んでいる「熊本の石橋313」でみると大体の場所は分かります。峠の茶屋から下りる県道沿い・・辿り着いたらここです。

道標には 右 ふるみち 左 志んみち とあります。 



上流側左岸から観ました。鮎帰橋です。右端に架橋記念碑が見えています。




記念碑です。右は裏面 大正十一年四月建立 下には数十名の名前・・・寄付者かな? そして大きな文字で 石工 黒田金次郎って書いてあります。




記念碑の裏からちょっと民家の軒先に侵入させていただきました。上流右岸からです。



もう1まい こっちからの方がアーチがよく見えます。 




今度は下流側に行きました。左岸側しか降りられません。車はこちら側から通るから鉄骨部分しか見えません。奥がアーチ。



下に鮎帰滝があるから滝とアーチを一緒にと思ったけど 岩盤で角ばってないから危ない・・・もういけない。



鮎帰橋を ご紹介しました。 前回ご紹介した那古井館からはそう遠くありません。



続いては 八幡橋です。 近くに八幡小学校がありました。ブログ友 どんこさんの孫ちゃんチョロ2君の通う学校ですよねー。。

親柱に明治四十四年十一月架橋と刻まれています。亡父が生まれる4ケ月前です。



ここでも民家のぎりぎりせまいところから 真ん中に樹があったのを伐採してあります やったー




むこうは? 残念 草茫々




今回の石橋は  地元の方にも会ってないため 私のおしゃべりも少ない(?)から コメント欄を閉じています。またおこし下さいね 

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小天(おあま)温泉・・・・熊本県天水町、ミカンの産地です。ランチに寄った「那古井館」をご紹介します。玄関です。

ランチメニューは1種類 入浴料とランチで2000円です。 高いって言わないで これから私が何故高くないか・・・説明します。




お庭です。。 この日も庭師さんが来てましたよ。お庭の右の方に枠内の薬師如来像があります。
文豪夏目漱石がこの温泉を訪れた時、句を詠みました。温泉や 水滑らかに 去年の垢 




その句碑です。そしてこの時の事を後になって書いたのが「草枕」だそうです。私達の中学時代は誰もが暗唱した 夏目漱石「草枕」の冒頭です。

山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。 情に掉させば流される。 意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

それが書いてある ノレンの字が見えるかな? (漱石の写真の右側) 




蹲(つくばい)です。むかーし お茶の先生から 知足つくばい って習いました。足るを知る大切さを教わりました。 

真ん中の四角い穴の部分を口と言う文字と思って下さい  吾 唯 足 知 われ ただ たるをしる って読みます。




お料理です 私アンキモ(右上)は好きじゃありません。それ以外は全部頂きました。 デザートはリンゴの赤ワイン煮でした。




真ん中の大きなテーブル 草枕 や同じ熊本県の大野勝彦さんの画集もありました。BGMはセンチメンタルジャニー セントルイスブルース 懐かしいメロディーが流れています。




上の写真を拡大します。


ここで・・・・私 1番最高に びっくり・・・・感動しました。楽隊の人形が音楽に連動して動くんです。ずーーっと観ていました。

ピアノがなってる間はピアニストの手が動き ドラムはドラマー サックスも ベースも みんなです。終わったら手が止まります。

 


では最後に この那古井館の名前の由来をお店の方に聞いてみました。

草枕の中では小天温泉のことを 架空の地名で那古井(なこい)の里 と書いています。・・・・・んだそうです。



お値段 納得でしょう?  この日の石橋は次回ご紹介します。

もしも このお店に行かれたなら音楽に合わせて動く人形を探して下さいね。


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春吉眼鏡橋に行って・・・同じ小倉南区ということで訪ねました。niemonさんの教科書からです。上曽根宗像大社です。。 

鳥居の手前に地面に張り付いたような参道橋があってその奥に太鼓橋が見えています。。そのまた奥におたふくのお面があります。




少し近づきますね。太鼓橋です。




もっと近づくと・・・・なんとも懐かしい・・・わたしにそっくり・・ この奥に本殿があって笛太鼓が聴こえています。

交通安全のお参りの方のお祓でしが写真は撮りませんでした。私は秋月に続いて今年2つ目の神社でお参りをしました。




さっきの太鼓橋に戻ります。池の方から観ています。可愛いでしょう?




太鼓橋の手前にも石橋があります。境内東橋です。よく観ると右手前がさびしい。4枚の石のうち 1枚?石がとれています。。




私は記者にはなれませんね。上段は1枚石の無いのがはっきりわかるけど池の向こうに置いてあるのが石だと分からない。

下段の写真は おいてある石は分かるけど 足りない橋がよく見えない。アハハ1枚で足りる写真が2枚でもダメだ―。




同じ池にもう一つ小橋があります。御大典記念碑の横です。




今日は節分です。。前回の記事のどんぐりの鉢に 赤鬼と青鬼が棲みついています。今日は豆まきをします。。

福豆は他にも買ってましたが買うのが早すぎて おたふくが食べてしまいました。




明日は立春  暦の上では春です・・・ この“暦の上では・・・”という言いかたを私は大好きです。寒くても暑くても 暦の上では・・・で 待てます。




画像追加・・・・・御大典記念碑が大きすぎます。





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小倉南区の春吉眼鏡橋をご紹介します。ホントはひとりで石橋探訪するのは止めたんですが、小倉なら近いし再訪で危険な所じゃないから・・・

自宅から1時間くらい・・・・春吉眼鏡橋です。この写真じゃ石橋って分かりませんね。右側の石垣の下がアーチです。




橋の上から下流側を見ています。川は紫川です。水はきれいで野鳥もいそうです。でも結構高いです。




渡ったところ上流側右岸に石碑があります。石工の名前とか寄付者の名前とかあるはずなんですが見えません。

寄付金は春吉の58人 1574円 石工は春吉に隣接する道原の中山熊次郎、佐島榮冶 (青文字案内板より、以下同じ)





大正8年(1919)に完成した 長さ20.5m 幅 3.6m  石材は 玢岩(ひんがん) 輝緑凝灰岩などの紫川の川石が使用されている

わぁ この川の石で作っているんですよー。 アーチの中央の出っ張ってる部分は水きり・・・流れを緩衝する役目があります。




下まで下りました。 橋の上の人影 下流の景色を撮られています。通行人なら撮りたいけど早く渡ってくれないかなぁ・・・なかなか歩いてくれません。。

岩の上に板きれを渡しただけの板橋を使っていたが、大正6年子守の女の子が転落死しました。
静かな景色を観ながら 想像してあらためて橋の大切さを感じました。




建設費は悲劇を繰り返さないように願う春吉の人々が寄付金を出し合ったが第一次世界大戦のインフレによる物価高騰で苦労したと言う。
 



水に映った眼鏡を撮りたいんですが石が続いてない・・・上流はこうなってます。真ん中あたりの石にへっぴり腰で渡っています。

長靴持ってくればよかった・・・いつも積んでるけど 軽はトランクが狭いからタイヤチェーンを積む時におろしたんです。




あー もうここまで・・・ でもきれいに撮れました。自画自讃 いつまでも観ていたいけどふと気付きました。

カメラマンの・・・・今度は多分私が邪魔になるんです。。観光地以外はめったに石橋を撮る人に会わないのに・・・。




黙ってると怖いから声をかけました。 フィルムカメラでした。石橋の風景が好きだそうで暫く立ち話ししました。




そして下流側 これを撮るには よそんちの資材置き場 その端っこの畑に入っています。ごめんなさい。




時の流れの速さに加速度がついたみたい。。。。もう2月ですね。 どんぐりは身長は伸びず横に広がっています。私の子供ですね。





お近くの方・・・・もしも少し時間が余ったなら・・・・・ナビでマップコードを選んで・・・

16 102 661 と入れて下さい。 北九州市自慢の春吉眼鏡橋が待っていますよ。

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