鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

中国残留孤児について

2006-12-03 22:21:40 | 思いつくまま

 よくやった!神戸地方裁判所!!近頃の裁判所は、どちらかというと、行政の追認ばかりで独自性はなく、どこが、何が三権分立?とあきれ、嘆くことばかりが多いですが、12月1日の神戸地方裁判所の判決は素晴らしいの一言に尽きます。

 

 だけど、政府は、厚生労働省は残念ながら当然控訴するでしょう。かって、ハンセン病の判決を受け入れ、控訴しなかったのは数少ない小泉のよかったことですが、果たして安倍が判決を受け入れるかどうか、受け入れれば評価が一気に高まり、郵政造反議員の復党問題で支持率を落とした分を取り戻す以上に、来年の参議院選挙にも有利に運ぶことになるでしょうが、・・・。

 

 中国残留孤児の訪日調査が始まったのは1981年ということです。そんなに前になるのですか。私も含めて、かなりの人が忘れてしまっていたのではないでしょうか。

 

 1981年に訪日した残留孤児たち、その時はテレビも、新聞も大きく取り上げました。私も、新聞で孤児になった状況を読み、孤児たちが、支援者と一緒にテレビで家族・親族が名乗り出てくれるように涙ながらに訴えている場面をみて、もらい泣きをしてしまいました。

 

 しかし、それも回数が増え、時が過ぎるとともに、マスコミの取り上げ方も少なくなり、国民の方も関心が薄くなってしまいました。恥ずかしいことです。先月も何人かの孤児が訪日しましたが、その後どうなっているのでしょうか。「訪日」という言葉もよくない。「帰国」、または「里帰り」とか言うべきではないでしょうか。

 

 それと、昨日の朝日新聞の「天声人語」にありましたが、作家の井出孫六さんが「中国『残留』日本人孤児」という呼び方は、言葉の厳密さを著しく欠くといっています。全くその通りだと思います。自らの意思で残ったわけでは決してありません。本当にやむを得ず、死ぬよりはましだろう、どういう状態でも生きていて欲しいということで、中国人等に子どもを預けたわけでしょう。

 

 井出さんが言うように、「中国に『置き去り』にされた日本人孤児」が正しい言い方でしょう。こうしないと責任の所在もはっきりしません。

 

 本当に、権力の中枢にいる日本人は(には限らないのだと思いますが)、言いかえがうまい、責任を曖昧にすることに長けている。小泉のはぐらかしも、一種の天才的なものだった。日本軍の撤退や玉砕ということばもそうです。

 

 置き去りということでは、「蟻の兵隊」もそうです。本にもなったし、映画にもなり、新聞でも取り上げられたりしたので、ご存知の方も多いかと思いますが、彼ら数千の日本軍も上官の無責任な言動で、命令で、中国に残され国共内戦に巻き込まれ、死ななくてもよかったのに、かなりの人は戦いの中で死んで行きました。そのときの上官は日本に帰り、責任をとろうともしなかった。

 

 「置き去り」ということは、「棄民」と言い換えてもいいのかもしれません。棄民といえば、満州開拓団の悲劇があります。最強の関東軍に守られていると信じ込まされ、ソ連軍の侵攻が始まると国境付近の開拓団や守備軍を置き去りに、関東軍や満鉄の高級軍人や官僚たちは、家族もろとも真っ先に逃げ出してしまった。日本人を、同胞を見殺し同様にしてしまった。これが棄民でなくてなんでしょうか。本当に軍隊は自国民を守ってくれるのか?満州だけでなく、沖縄の戦いはどうだったか。

 

 また、この前ようやく決着がついたようですが、外国への移住という棄民政策があります。日本という国の人減らしということもあったのでしょうが、はっきりいって政府が嘘を言って、国民を騙して、中南米に移住させた。広い土地が待っている、耕せば自分のものになるとかの甘い言葉で移住させた。ハワイだって、ブラジルだってそうだったのではないでしょうか。移住地で辛酸をなめた人たちの気持ちを代弁した小説もありました。『ワイルド・ソウル』。移住とは言っても、これも棄民です、違うでしょうか。

 

 現代の棄民はなにか、棄民に代わるもの、それは『格差』とはいえないでしょうか。考えすぎでしょうか。バイト・パート等の非正規社員の増加、使い捨て、人間の使い捨て。交代要員はいくらでもいるからという人間性の軽視、正社員は正社員での重労働の現実。企業ばかりが儲かって、働くものには還元されない仕組み。政治経済の政策として、人間性の放棄を迫ることは「棄民」と同じと私には思えてしまうのですが。

 

 テンプレートを代えてみたのですが、またもとに戻します。なんといっても、『ブログの作成・編集』の欄がずーと下の方にあって、これではとても使いづらいから。

 これからも、竹のようにあらゆることにしなやかに対応できればいいのですが、それを願って、元に戻します。


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