鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

青島幸男の死

2006-12-20 23:40:14 | 思いつくまま

 今日20日、青島幸男が亡くなりました。74歳。男の平均寿命にはまだ1、2年あったのに、残念です。

 

 青島幸男といえば、「シャボン玉ホリデー」、「意地悪ばあさん」が思い出されます。そのことは、たくさんの人がいろいろな思い出を書くことでしょうから、そちらに譲ることにして、個人的な思い出をつづって、哀悼の意を表したいと思います。

 

  (その1)はじめて参議院議員選挙に立候補しました。全国区でした。120万票という大量得票で当選しましたが、そのときのベニヤ板に張られたポスターを持っています。

 当時私はまだ学生で、面白い奴が立候補したものだと思い、彼に投票したことを記憶しています。

 

 投票が終わってから、どこかのフェンスにかかっていた青島幸男のポスターをはがして持ち帰りました。投票前なら、違法行為になるでしょうが、多分投票後だと思います。ずーと保存していたのですが、今はどこに保管されているかは分かりません。どこかにはあるはずなのですが。

 

  (その2)同じく彼が若い女性と組んで放送していたラジオ番組、番組名は思い出せませんが、お昼前11時半前後の15分から30分くらいの番組でした。TBSラジオだったかな。

 

 (今で言うと、永六輔がやはり昼前か遠藤保子?(やすこ)さんと掛け合いでラジオ番組「誰かとどこかで」を放送していますが、それと同じようなものです。)

 

 (注)ここからは成人向きにつき、18歳未満の方は読み進むことのないようにしてください!!)

 

 彼が番組の中で”替え歌”を紹介していました。それをまだ覚えているんだなあ。

 曲は「北上夜曲」です。「におい優しい白百合の、濡れているようなあの瞳、思い出すのは、思い出すのは北上河原のせせらぎよ」(あやふやです。)

 どこをどう変えるか?

 前述の歌詞のうち、「白百合の」「あの瞳」「せせらぎよ」を全て「臍の下」に代えるというものです。

 

 うまいこと代えるなあと感心しながら聞き、その後何十年と経っているのに、いまだに覚えています。

 こんなことで、供養、追悼になるのでしょうか。

 でも、極楽で笑っているのではないかと、勝手に思うことにしています。

 合掌

コメント (1)
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