鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

光のページェント(続き)

2007-12-16 23:32:53 | お知らせ

 早いもので、14日の赤穂浪士の討ち入りの日も終わって、今年も後残すところ2週間余となりました。

 

 風邪が流行っています。くれぐれもご注意あれ。

 

 写真は15日に酔っ払って撮った写真です。土曜日ということでしょうか、繁華街はものすごい人出で、歩くのもままならない感じでした。若い人たちが圧倒的でしたが。

 

 何でも、これが光のページェントのシンボルツリーだそうで、高さが約30メートルもあるヒマラヤ杉を、8万個の電球で飾っています。

 今年は発光ダイオードの色を青色系から白色系に変えたということです。

 シンボルツリーの点灯は4回目だそうです。

 

 ヒマラヤ杉というと皆さんはどういうイメージを持ちますか。針葉樹で落葉しない木でしょうか。

 クリスマスが近いというのに、クリスマスで賑わい盛り上がっているというのにナンですが、個人的にはいいイメージを持っていません。

 小学校の頃か、どこからともなくというべきか誰からともなくというべきか、西公園で首吊り死体があるといううわさが流れ、何人かで走って見に行ったことがあります。物好きな連中でしたから。

 澱橋を渡って行ってみました。西公園にも高いヒマラヤ杉の木が一杯あります。その中の高い木に人だかりがしていて、近付いて見ると、木の高い部分、木の中腹くらいか、そこに首を吊って、ぶら下がっている男の死体がありました。下から見上げる形でみたもので、怖いという感じはなかったです。あんな高いところで首を吊ったのではとても助からないだろうな、よく登っていったものだ、よくロープが切れなかったものだというようなことを思ったような気がします。(どこまで正確かはなんとも保証の限りではありません。)

 

 学生時代に読んだ大江健三郎の小説の中にも首を吊った物語があり、そんなものかと納得したようなしなかったような気になったりしました。

 

 そして現在は死刑執行について賛否両論があり、法務大臣の機械処理のような発言があったりして、つい最近も3人ですか、処刑されたというか刑が執行された、そしてその名前が公表されたりして、死刑執行が話題に上っています。

 

 死刑執行に際しては、3人か5人くらいの執行官がボタンを押すそうですね。ひとりではないというところがみそ。つまりは誰が押したボタンによって死刑囚が落下したかが分からないようになっているということです。少しでも、死刑執行官の精神的な負担を軽減しようということなのでしょう。

 団藤重光という刑法学者で、最高裁判所の判事も経験した学者が、反骨のすすめみたいな新書を対談という形式で発行しています。彼は死刑廃止論者です。日本のように先進諸国の中で死刑制度を残しているのは少数派になっています。考えさせられる本です。個人的には私はどっちつかずでしょうか。以前は死刑制度は必要と思っていましたが、この本のせいではないですが、どちらがいいのか自信をもっていえる状態ではないです。

 

 被害者の身内の立場に立てば殺しても足りないくらいと思うでしょうし、世の中には本当に心も体も極悪人としか考えられないような人間がいるようですし、何度も同じ犯罪を繰り返す輩もいる、治る犯罪と治らない犯罪があるし、それを国家権力が代執行するようなものでいいものか、それを職務とする人をどう待遇すべきなのか、依然として後を絶たない冤罪事件(これが一番大きいか)、中には本当に改心して聖人のようになった死刑囚もいるでしょう、そういう人を処刑してなんになるのか、殺されたから殺す(直接被害者側が手を下すのではなくても)というのでは、どこまでも悲劇を繰り返す(江戸時代の仇討ちのように)でしょうし、被害にあった側の人間は苦悩の果てに諦観、達観いや悟りを開くくらいに自分自身を高めなければならないのかもしれないとも思ったりして、考えはまとまりません。

 

 「人間は(戦争も含めて)人間を殺してはならない」、ということに尽きるのでしょうか。

 

コメント (1)
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