今日の朝日新聞の番組欄の記事です。
TBS系で放送の「情熱大陸」は”桂小米朝”とか。 読んでみると、彼は4日に5代目”桂米団冶”を襲名したそうですが、そもそも彼は今は人間国宝である”桂米朝”の長男だそうです。
以上は、前口上として、本の整理中、またも懐かしいものが出てきました。
落語ファン、とくに関西落語ファン、ということはないですね、上方落語ファンにとっては少しは興味があるのではないかと思い、これから時々何回かに分けてお知らせしていこうかなと思った次第です。
このブログでも過去に書いたことがあるのですが、昔々私が大阪で働いていた頃、仕事の帰りにミナミにできた”島之内寄席”で何回か落語を聴いてきました。
昭和47年、西暦1972年の2月にできた、上方落語協会念願の常設の寄席です。 今から36年以上も前のことです。しかもこれが島之内というキリスト教の教会の中にできたのです。
上の写真は第1回の「島之内寄席」のプログラムの表と裏の表紙です。見れば分かるとおり二つ折りです。
とここまで書いてきて間違いに気がつきました。すみません。「第1回」と書きながら、上の写真は「第2(弐)回」のプログラムでした。
でも、下の出番の案内は「第1回」のものです。「第一回島之内寄席出番」と書いてあります。第1回ということもあり、内容は盛り沢山です。2月21日から25日までの5日間の公演となっています。
写真からは読み取れないでしょうが、当時の上方落語界の重鎮は”桂米朝”と”笑福亭松鶴”、この二人の師匠でした(と思います)。 もちろんその他にも、”桂小文枝”もいました。 この3人は記憶にあるのですが、”橘ノ円都”、”桂春団治”の二人ははっきりとは思い出せません。
何にしても錚々たるメンバーが”主任”としてトリを努めています。それだけ協会としても力を入れていることの表れでしょう。
長いのですが、「乍憚口上」を写させていただきます。
『 梅香り、花便りもきかれる候と相成りました。
四方の皆々様方には益々御清祥の段心よりお慶び申し上げます。
而て此度我々上方落語協会年来の夢でありました『はなし』の定席を得る事になりました。
わずか、月のうち5日間だけの興行ですが、決して高望みは致しません。此の島之内寄席がいしずえとなり、此後大阪に一軒でも、二軒でも定席がふえる事が、我々の大きな夢でございます。
併せこうして今日晴れて初日のふたを開けられる様になりましたのも、偏に上方落語を愛し、我々落語家を御支援、御指導を被下れました皆々様方の御蔭と衷心から我々一同厚く御礼申し上げます。
今後皆様方の御期待にそむかぬよう芸道にはげみます故何卒尚一層の御引立と御支援の程を偏に御願い申し上げます。
どうぞ毎月『島之内寄席』の提灯が揚がりましたなら皆々様、御誘い合わされ、賑々しく御越し被下る事をひたすら御願い致します。
昭和四十七年二月吉日
上方落語協会会長 笑福亭 松鶴 』
この頃、上方落語は低迷といいますか、辛うじて何とか存在し続けているような最悪といってもいい状態だったように思います。 落語よりは漫才、上方漫才のほうがまだしも人気があったように思います。
そんな中、なんとか定席寄席を設けることができた喜びと決意が表れているのではないでしょうか。