鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

この頃あったこと等

2013-07-23 14:45:09 | お知らせ

 まずはイギリス王室に敬意をこめて、ウイリアム王子、男児誕生おめでとうございます。3800グラムということですが、大きい赤ちゃんです。

     バラが相応しいかと・・・。

  比べるのもおこがましいのですが、我が家の長男は3500グラム、次男は2800グラムでした。 出産が遅れたので胎内で大きくなったのではないか、とは家の神さんのお言葉です。

 

 きょうのアブラハヤです。

         

  

 

 そうそう午後の草取りをしていた神さんが捕まえてきました。このまえ鳴き声を聞いたばかりですが、きょうは本物を手にとってみることができました。 

 ピンボケですが、アブラゼミです。 オスです。 鳴きます。 でもなんか全体に小柄という感じがします。 もちろん逃がしてやりました。 少しでも長生きしてほしいですね、短い”セミ生”で、鳥に食べられないように精一杯生きてほしいです。

       

 きょう午後のトンビです。 いい写真が撮れました。

     

 

 広瀬川の状況は濁りは少なくなりましたが、まだ水量多めで冷たいです。きのうの夕方まさかダムが放流するくらい上流で雨が降るなんて思いませんでした。

            

 

 

 19日の新聞記事によると、12日作家の高橋たか子が亡くなったとのことです。 個人的には彼女よりも彼女の旦那さんだった高橋和巳に、青春時代は大いにお世話になりました。 もちろん作家兼大学の先生、中国文学者としての高橋和巳であり、こちらはたんなる一地方の愛読者という関係でしたが。 (敬称は略させていただきます。)

 奥さん(たか子)は81歳でした。 自分の年齢を考えればさもあらんということになるのですが、それでもそうか80歳を超えているのかと思うと感無量です。 高橋和巳もその歳ということですし。 たか子の方は夫の和巳が亡くなってから、本格的に作家活動に入ったはずです。 「空の果てまで」や「ロンリー・ウーマン」は読んだと思うのですが、その後はついていけませんでした。 何と言うかキリスト教精神に向かっていったためか、感覚的に受け入れられなかったと思います。

 新聞記事を読んで、たか子が和巳について書いた本を思いだし、見つけました。 2冊あります。

 (① 1977年出版) 

  (② 1997年出版)

 ①は和巳の死後5年目に、「構想社」から発行されました。懐かしい出版社の名前です。今は聞かれませんが。 埴谷雄高や武田泰淳の本も出版したりしていました。880円

 ②は①の20年後、和巳没後25年目に書かれた本です。こちらは「河出書房新社」出版です。1545円(消費税込・本体が1500円なので、消費税は3%の時です。)

 私は和巳の大ファンで、それはそれは出版されると貪るように読みました。時代がそうさせたとしか言いようがありません。ある意味個人的な救いのようなものを和巳に求めていたのかもしれません。それだけ物理的にも精神的にも大変な時代でしたから。

 覚えていますか、和巳が ”苦悩教の教祖” とまで言われたことを。 『邪宗門』や『憂鬱なる党派』なんかは、小説なのに線を引きながら読んだ記憶があります。

 二つの本をぱらぱらとめくってみましたが、両方から見つけたのは「虚無僧」という言葉です。 ①の帯にはそのものずばり「高橋文学は本質的に虚無僧の文学である」と謳っていて、目次の最初も「虚無僧」からとなっています。

 『結婚する前、主人は虚無僧になりたいと言っていたことがある。・・・・。主人が残しているいい作品はみな虚無僧風な印象をもつ。学園紛争で主人が行動的であったということは、余白の部類に属することであり、これを高橋和巳ぶんがくのポイントだと思いこんでいる読者があれば大変な間違いである。そのことを私はしつこく何度でも繰り返して言いたい。 深い編笠ですっぽり顔をおおって、ただ一人で、一軒一軒の門前に立ち、そこに住む人には通じようもない思想を、悲哀の音色にのせて尺八で訴えて歩くーーそうするのが一番ふさわしい人が人間・高橋和巳であり、また、それが高橋和巳文学の姿でもある。』

 ②の最後の方では 『・・・、一言だけ、もう一度言っておきたいこと、それは、若かった和巳が自分は虚無僧になりたいと昔から思っていたのだ、と言っていたこと。  小説家などにならずに虚無僧になっていたほうが彼はふさわしかったように思われる。』 と。

 下の写真はゴム印です。就職したての頃に作ったものです。 つまりは、①の本が出る前に作っていたものということです。実は私もその昔むかし若かりし頃、虚無僧的な考えに傾いていたことがありまして、それをもとに、今思うと恥ずかしくて言い出しにくいのですが、いわゆるペンネームなるものを作ったということです。 それがこれです。 42,3年前くらいですか。 誠は、もちろん新選組にも通じる 誠 です。 サインはKyoushirouと横文字で書きなぐっていたりして、見る人になんだこれは?と興味を抱かせるようにしました。(ということは、本来の意味の虚無僧とは異なるものとなってしまいますか。)

             

 いまは大昔の物語でした。

 

 16日のブログで、町内の道路のガードレールについてボルトが外れているのではないか、またはもともとなかったのかと、このブログで行政にお知らせできればという思いから写真を掲載しました。 その後すぐに行政の方で対応してくれたようでこうなっていました。確認したのは18日です。

  (16日のブログの写真です。)

 ボルトナットの穴が3段になっていました。 

 18日のガードレールの様子です。 2段目のボルト(ねじ)のひとつがボルトナットになり、3段目の右側に新しくボルトナットが設置されました。

               

 2段目と3段目を拡大するとこうなります。 もともと新しい方のガードレールと前からのガードレールは仕様が異なっていたようです。 同じ仕様のものがなかったのでしょうか。 

  見た目はよくないですが、仕様が異なるのであれば、これ以上の要求は無理というものでしょうか。 素早く対応していただいたことに対しては感謝です。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする