きょうは5月21日 水曜日です。一気に気温は下がりました。あさから雨です。氷雨といってはちょっと言い過ぎのようですが、気分的にはそんな感じです。 きのうの最高気温は23.4度。きょうの気温は予報では16度くらいでした。
(午前10時10分頃)
旧暦で言うときょうから25日までは、【小満 初候】 だそうです。 『蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)』 解雇が桑の葉を盛んに食べだす時期とのこと。 風物詩としては、蚕豆(そらまめ)、薔薇、芍薬(しゃくやく)です。
(午後2時45分頃)
日中我が家ではコタツに火を入れていました。 といっても電気コタツですから、火とは言っても電気ですが。 掘りごたつですので、少しでも火が入れば足が暖かくなり、そうすると体の方も何とか動きやすくなるものです。
氷雨みたいな雨で寒いくらいなのですが、きのうの楽天の試合も寒いものでした。もう話しになりません。DeNAファンには申し訳ないですが、DeNAに負けるようでは正直もう望みはありません。 交流戦の第1戦がDeNAでよかったと思ったのです。よもや昨年の日本一のチームがセリーグのお荷物球団(失礼)に負けるはずがない、丁度いい組合せとなった、DeNAに勝って勢いをつけることができれば、もしかして泥沼から這い出せるかもしれないなどど思ってしまったのですが、甘かった!、それさえ甘かった!! もうどうしようもないということになるのでしょうか?
きょうも午前10時頃にサイレンが鳴りました。この地域でのサイレンは上流の大倉ダムが放水するというお知らせです。2,3日前ですか我的太太がいっていました、サイレンの修理というか点検をしていると。 そのためでしょうか、きょうのサイレンはいつもよりもはっきりと大きく聞こえました。 でもやはりサイレンの音は気分的にいいものではないですね。
ということできょうはそのサイレン塔をご紹介します。いままで一回も紹介はしていませんでした(と思います)。
結構高いですね。許されることなら1回は登ってみたいものです。 サイレンは二つ付いています。アンテナもあって、一見すると火の見やぐらのように見えないこともないです。
きのうの朝日新聞で大きく取り上げていました、老親の介護の問題。 それも認知症の高齢者の介護の問題です。 見出しは、『母ひとり 子ひとり 介護の泥沼』 『認知症の母支え10年 一度たたいた男性逮捕』 『休業制度ない自営業』 『逃げ場のない悪循環』 『仕事抑制⇒収入減⇒施設入れず』 というものです。
この見出しだけをみても大体の見当はつこうかと思います。 この長い記事を読んでいてとても他人事とは思えませんでした。 誰だってこういう事態になってしまったら起してしまう問題です。 自分の母のことを思ってもこの男性には十分同情できます。
とくに夜中に徘徊されたら寝ていられません。一日、二日くらいならまだましです。でもこれが毎日となると、正直お手上げとなります。 この男性(52歳)の母親(86歳)の場合も夜中に何回も起きてはトイレに入り、その都度トイレットペーパーを撒き散らかしたり、トイレットペーパーと思ってか自分の部屋の服等を散らかしたりの繰り返し。 ふとんに寝かしつけたと思ってもまた起きて動き出します。
とうとう抑圧していた感情がはじけて、母親の頬を2回平手打ちしました。10年介護して初めての(止むに止まれぬ)暴力です。 母親は心臓病を患っていました。翌朝の様子は元気がないので、救命救急センターで診断してもらったところ、心臓病はもう限界にきているとのこと、食欲もなくその夜はおとなしく寝てくれたのですが、翌日目が覚めたときには母親の息はなかったということです。
かれが警察の事情聴取で母親を叩いたことを話すと、暴行容疑で逮捕されたといいます。警察としては暴行によって死に至ったのではないかという容疑でしたが、暴行と死との因果関係は認められず、逮捕34日目に保釈され、その後は暴行の罪で罰金15万円の地裁の判決が下りたそうです。
自分に置き換えて読んでしまいました。 施設にお世話になる前の母と息子との関係をありありと思い出して、私なら何回暴行罪で逮捕されることになってしまったことかと、正直空恐ろしくなりました。 何が一番困るかといえば、”夜中に徘徊する元気な、言うことを聞いてくれない年寄り”です。
こっからは、私の場合の話しになります。 足腰が元気なうちは家中を徘徊するのは当然、夜中に家を脱走したことも数度ありました。雨の日とか雪の日に脱走するのです。 交番や民放ラジオのお世話にもなりました。 一番困ったのは「夜中におとなしく寝てくれないこと」です。2階まで上がってきましたし。
これは早く寝させ過ぎたということもあるなと考えて、ケアマネか先生の助言で睡眠剤を遅く飲ませるようにしたら、少しは良くなったのですが、それでも夜中に起きて動き回ることはなくはならず、どうしたかというと、(ベットに縛り付けるとかはしませんでした、)1階の母の部屋の入口の床に人が踏むと音がするマットを敷きました。
その音を聞いたら2階の我々夫婦のどちらかが1階に下りて行って様子を見るということにしました。交代で交互に下りていくようにしました。 そして何とか寝かしつけようと努力したのですが、そううまくはいきません。何しろ元気がありますので、すぐに起きだします。
食事の内容もそれまではほとんど食べなかった肉類を摂るようになりました。栄養状態はいいですし、日中うつらうつらしているので、夜は眠くなくなります。 部屋から出てトイレに入っていたり、シャツのままお風呂に入っていたり、1階をうろうろ動き回ります。
そういう時は力も強くなります。無理に寝せようとするとびっくりするくらい激しく抵抗します。おしめを交換するときなんか大変です。 咬みつこうとすごい形相になったりもしました。そういうときです、ついつい手が出てしまうのは。こっちはまだ現役世代で、少しでも寝ておきたいし焦ります。
わたしの場合は一人ではなく、夫婦での対応だからまだましだったといえるかと思います。それでもついついかっとなってしまいます。手をあげてしまいます。でも決してこぶしで殴るということはありませんでした。平手打ちです。一度に2回ということはなかった。それでもあざができて翌日は全く合わせる顔がなく、それでもデイサービスに行ってもらったこともありました。
叩いた後は激しい後悔の念に襲われます。自分で自分が本当に嫌になります。ひどい自己嫌悪に陥ります。こどもが親に手をあげてしまった、何てことをしてしまったのだ、あざまで作ってしまった・・・。肝心の母本人は夜に叩かれたことは覚えてはいないようなので、逆にさらに申し訳ないという気持ちが強くなって、直接本人には言わないのですが、心の中で何度詫びたことか。叩いた手の感触があとあとまで残るのです。
この親子の場合は親子の二人だけの生活ということで関係はすぐに煮詰まってしまいます。距離をおくことが必要だったのですが、周りにどれだけ助けを求めたのか、周りの人たちは気がついていたのか、何とかしようとしたのか、社会福祉関係者・団体は知っていたのか、どう動いたのか、かれを責められません。私にはとても彼を暴行罪で逮捕するなんてことはできません。裁判員裁判で、私が裁判員になったらどうするか、罪には問えません。こういう悲劇はなんとかしてなくしたいのですが。
我々があと10年後後期高齢者になったとき、一体日本の高齢者福祉はどうなっているのでしょうか。 福祉はとうに消えて、役立たずは、高齢者虐待、高齢者排除、高齢者収用、高齢者収監、高齢者隔離、高齢者遠島を申し立てられることになるのでしょうか。 積極的平和主義、集団的自衛権なんてことをいっている余裕があるのですか?そんなことにお金を使う余裕があるのですか? 我々を隔離するのだって大変なんですよ。後期高齢者の集団決起、一揆が起きるかもしれませんよ。集団で反乱を起こしたらもう大変ですよ。 もう怖いものはないのですから、死ぬだけですから。 兵役につけないものは生きる価値なし!という世の中になってしまうのではないですか、もしかして・・・。(この部分は妄想も入っています。)