風が強い一日でした。朝方は雲っていましたが、その後は日差しもあり、春も間近かななんて思ったりもしますが、その気持ちをあざ笑うかのようにときおり強風が吹きます。
気温は毎正時のデータを見る限りは9.5度くらいが最高気温のようです。きのうは10.1度か。珍しく午前7時でも9.5度となったり、午後2時過ぎまでは9度か9.5度で推移しました。
今気象予報士が言っていました。今日の最高は10.4度とか。湿度がかなり低くなっていることに加え、花粉症が猛威を振るっているようです。まあ、私は鼻水がしょっちゅう出るくらいの症状で軽いのです、おかげさまで。
午後から車を運転したら、フロントガラスには花粉がびっしりとついている、こびりついているといった感じです。ワイパーをかけても、水では消えないようです。
『(日本舞踊の)師匠が言っていたんですが、もう震災を体験していない東北の子どもたちが育っています。彼らは被災地の外からは震災の当事者として扱われるし、それを演じなきゃいけないかもしれないが、震災を知らない非当事者でもある。』
『ここには、すごく重要な問題があります。戦争を語っていく時に、体験している人がいなくなった場合、どうしたらいいか。日本ではこれまで、有効な言説が出てこなかった。そのことの悪い効果が今、世の中に出ています。』
『当事者であれ非当事者であれ、お互いにオープンにその体験や歴史に向き合い、語り合う権利があるし、そうすべきで、そういう自由な言説のスペースを作らなければいけない。』
『当事者問題は表現に必ず出てくる問題ですが、当事者では語れないことがあるというのも事実です。・・・。そこにはきちんとした批評の場がなければならないと思います。』
『被災者への補償がどんどんなくなって、10年だからと区切りをつける方向にどんどん行っています。10年を超えたら、さらに語られなくなるじゃないか、と現地の人も思っています。』
『東北にも亡くなった方がたくさんいて、今も生きている人がたくさんいて、また別の苦しみを持っている人たちが別の場所にたくさんいる。お互いを想像でいたわりあうということは、すごく大事で、人間らしいことで、目指すべきことです。』
『今、僕は「被災学」をやりたいと思っています。災害が起きたときにメンタルケアはどうすべきか、被災された方がどうやって一時的に暮らすか。そういうことを東北の方々が主導して声を上げてほしい。100年かけてやる被災学というものの最初が、たまたまこの10年だったと思わないといけない。』
『10年経ったので終わります、ではない。ここからなんですよと。人間だから心があるよ、と。東北での学びが残り、それを東北の人たちが誇れるような被災学ができるといいと思っています。』
以上は、今日の朝日新聞の””明日へのLESSON””で、作家のいとうせいこうさんと朝日新聞DIALOGの対談で、いとうせいこうさんの発言を抄録しています。
””被災してなくても いたわり合える””
(以下の3枚はきのうのものです。)
いとうせいこうさんといえば、何と言っても「想像ラジオ」です。この物語ほど、静かにじわじわと心に訴えかけ、しみじみとした気持ちが心を満たし、心が温かくなり、生きていこうと思わせるものはないと勝手に思っています。
決して声高に叫ぶところはなく、それこそしんみりと?語りかけてくるのです。津波から生き残った人は、負い目を感じることはない、生かされた命を生き抜いてほしいというメッセージが伝わってきます。
その際大事なのは想像力を働かせる、想像し続けるということかな。まだ読んでいない方は、是非とも書店でお手に取ってお読みください。震災文学の金字塔と言っていいのかも。