鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

戦後70年目の日に

2015-08-15 16:17:20 | 提案・要望

 今午後4時20分、NHKFMでは加山雄三が電話で出ています。 外は眩しいくらいの陽気。でも朝からの天気を振り返ってみると何ともめまぐるしいくるくると変わる天気でした。

 くもり、暗黒、小雨、豪雨、晴れ、強風、陽射し、・・・・・、昼前に河原に行ったら、その前に降った豪雨が強い陽射しを受けて熱風となって吹き付けてきました。 でもそこはさすが河原です、熱風のあいまにとっても爽やかな冷風と言ってもいい感じの風も吹いてくるのです。

 これは、これからの激動の、波乱に富んだ時代の襲来を暗示しているのでしょうか? それとも70年間の出来事を振り返る、振り返ることによって忘れないようにとの啓示なのでしょうか?

 

 みなさん安倍談話、読みましたか? 何となんとナント朝日新聞では丸まる一面に安倍談話を取り上げていました。しかも政府による英文まで付けて、英和対象の談話です。 至れり尽くせりですね、ここまで来ると。

 newoneは垢ならぬ赤ボールペンを握って、河川ならぬ下線を引きながら読みました。 第一印象は、印象的なことは何も残らなかったということ。 何か歴史の教科書を読まされているような感じで、良くも悪くもさっぱり独裁者安倍らしからぬ文章となっていました。

 おまけに100年前以上の世界史から話しはじめるなんて、驚きです。 だから長すぎます、冗長です。まるでnewoneのブログの文章のようです。 なんでもかんでも取り込みすぎて、関係する国国すべてにいい顔をするようで、平坦なつまらない訴えるものがない、ただただ長いだけの談話となってしまいました。

 とてもとても感銘を受けるような談話とはお世辞にも言えません。 ここまで(構想懇談会の影響でしょうが)教科書的な文章にするくらいなら、徹底的に自分の信念を貫いた談話にするか、それとも談話を中止するかどっちかにした方がよかったと思います。むりやり村山・小泉談話を踏襲しようと無理をしています。

 

 東大名誉教授 三谷太一郎氏の結びの言葉が全てを語っています。

『・・・過去に対して主体意識がないために、現在と未来に対する展望を自らの言葉で語れないのだろう。その結果、終始、冗長で毒にも薬にもならない談話になった。』

 

 ただ、冒頭発言と読み上げた後の発言で言っている言葉には、空いた口が塞がらなかったです。それこそ自分自身に対する戒めではないかと、ここまで堂々というということはまさに自虐そのものではないかと笑ってしまいました。

 『政治は、歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。・・・。政治は歴史に謙虚でなければなりません。』

 『私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。・・・。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく。』

 歴史に対して”謙虚”でないのはどこのどいつなのでしょうか?!ここまで言うとは呆れて、呆れ果ててしまいました。 やはり独裁者とは対話が成り立たないのだと、残念ですが思ってしまった次第です。 

 

 戦後70回目の8月15日です。心を落ち着かせてまずはこの和歌を読んでみてください。

 仙台市指定歴史資料です。

 『入そめて 国ゆたかなるみきりとや 千代とかきらし せんたいのまつ』 (原文)

 『入り初めて 国ゆたかなる みぎりとや 千代と かぎらじ せんだいのまつ』

 そうです、仙台藩祖伊達政宗の歌です。 正式には、伊達政宗和歌詠草「入そめて」 です。

 内容は、仙台の末永い繁栄を願って詠んだものですが、仙台城への移転にあたって、これまでの千代(せんだい)の文字を仙台に改め、千代(ちよ)という限定をせず、無限の繁栄を期するという、、仙台に対する思いを伝える数少ないものだそうです。

 なんとなく「君が代」に似ていますね。

 その歌を作曲し、舞にしたものがあります。 去る13日の夕方国宝大崎八幡宮で見て聴いてきました。 『雅楽の夕に、』というものです。 何とも意味深長な題ですね、

    

 実はこの行事は知ってはいたのですが失念していまして、ある市民センターへ行ったときにチラシが目に入り、丁度時間的にもよかったもので帰りに寄ってきたものです。

 「伶楽舎(れいがくしゃ)」という雅楽演奏グループの演奏も大変興味があり、じっくりと聞かせてもらいました。

 これが「青葉の舞 神楽歌 『入り初めて』 急」です。これは観客に対して歌唱指導があり、実際に後半に入ってみんなで歌いました。 ハ長調だし、高低差が少ないので歌いやすい歌ではあります。 とくに太枠で囲んだ部分、ここが雅楽らしいところだというわけです。

 

 確かにそうなのですね、ただ伸ばして歌うのではなく、半音下げてまたすぐに戻すというところが雅楽の雅楽らしいところです。 そして素晴らしかったのは二人の巫女さんによる舞です。

 じっくりとご覧ください。

                          

      

    

  

       

      

                        

 

                  

 

                       

           

 

  

                        

 

 どうでしたか? うまく説明を付けながら写真をアップして行ければよかったのですが、そこまでのゆとりは全くなかったです。 後半は歌わなければならなかったし・・・・。

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