鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

敗戦記念日

2007-08-15 23:50:19 | 思いつくまま

 誰がなんと言おうと、今日は敗戦の日です。終戦ではありません。敗戦があっての終戦です。すり替えはやめましょう。

 

 一昨日でしたか、NHKで放送された「水木しげるの戦争」はご覧になったでしょうか。

 我が家では”ゲゲゲの鬼太郎”に代表される水木しげる漫画のファンですので、彼の本は漫画ばかりではなくいろいろ持っています。

 今回テレビドラマ化されたものも漫画でよんでいますが、ドラマの中に鬼太郎やねずみ男を登場させたりして、なかなか凝ったつくり方をしています。

 

 またまた長くなりそうなので結論を急ぐと、前から時々言ってきているように62年前のアジア太平洋戦争の死者は”犬死”、無駄な”強制された死”が大半というか圧倒的な多数ではなかったかと言うことです。

 そのことを、敗戦の日に改めて再認識すべきではないでしょうかといいたいわけです。英霊に対して何ということをいうのかと反論する人もいるでしょうが、事実はそうです。

 少しもカッコいい死ではなかった。戦地や内地での空襲、原爆等で亡くなった人は310万人ですか。東京大空襲や広島・長崎での原爆死は、およそ人間の死に方ではありません。虫けら以下の死です。だからこそ「仕方がなかった」ではすまないわけです。済ますわけにはいかないわけです。

 兵隊の死については、大半が餓死や病死です。そして水没死です。軍人として対等に米軍等と戦って死んだのではありません。圧倒的な物量の前に精神論なんか吹っ飛び、敗残兵は餓死するか病死するより他はなかったのです。何しろ”捕虜になるな”、”生きて虜囚の辱めを受けず”ですから。精一杯戦った後は降参して捕虜になるという訓練がありませんでした。

 戦うべく派遣された異国の地で、戦うのではなく逃げ惑い、現地の人から憎まれ、ゲリラと米軍の包囲網をかいくぐり、ジャングルを徘徊、彷徨するよりほかはなかったのです。

 餓死や病死の前ということになるのでしょうか、無能な上官の命令による”玉砕”という名の強制された集団自殺、自決がありました。名誉の戦死、家族が地域で胸を張って生きられる・・・。

 水木さんは玉砕を命令されましたが、奇跡的に生き残りました。兵団本部は、大本営に・・部隊は全員敵陣に切り込んで壮絶な玉砕をしたと打電した後に、まだ生き残っていた中隊があったことを知り、愕然とし、再度敵陣に突入して玉砕せよと命令する。それを確かめるためにわざわざ参謀を派遣して寄越す念の入れよう。そして参謀は突入直前になって、様子を兵団本部に報告するからということでその場を去るのです。

 偉い奴ばかりが生き延びるのです。ラバウルは歌にも歌われましたが、ここに何万という日本兵がいましたが、ここは自給自活の生活をしながらも米軍が上陸してくることがなかったためにたくさんの軍人が結果的に助かりました。

 孤立し、救援を待っている部隊がいることを知っても自主的に助けに行くということはしないのが日本軍の伝統のようです。硫黄島の戦いでさえ、各部隊に何処そこの陣地を死守せよという命令が出れば、当選攻撃されている部隊は戦いますが、別の陣地に布陣している部隊は友軍として、攻撃している米軍を攻撃することはなかったということらしいですし。

 陸軍同士でさえ部隊が違えば協力はしないし、ましてや陸軍と海軍となるとまったくと言っていいほど共同連携の作戦はなかったといいます。

 補給にしても、粗末な徴用船で途中で米潜水艦に撃沈されることを想定して、その倍の人員を輸送したそうです。その兵隊も大半の人は海の藻屑となりました。辛うじて上陸しても武器弾薬がないもので、戦うどころではない。逃げ惑い食料がなくなり餓死か病死という運命をたどるだけ。いかにひどかったかは人肉食までせざるをえなかったという事実が明白に物語っています。

 いろいろととりとめのないことを書いてきましたが、要は戦争で死んだ人は、民間人にしろ軍人にしろ決して英霊なんかではない、幽霊となってまだジャングルの中をさまよっているのではないかということをいいたかったわけです。

 日本は世界第2位の経済大国になったとか浮かれているやからもいますが、今もって戦争で死んだ(殺された)兵隊の遺骨は一杯残っているのです。遺骨を収集しようとすれば出来ないはずはありません。それをしもしないで、靖国の英霊にお参りするだけでいかにも死んだ人たちのことを思い追悼しているという風を装っていることは私には許せることではありません。 

 われわれ日本人は、先の戦争でなくなった人達は、これ以上無惨な死に方はないという死に方をせざるを得なかったということを改めて再認識し、深くその思いをいたし、平和のありがたさを感謝し、戦争のない、戦争のできない、戦争をしなくてもいい国づくりこそ目指すべきではないでしょうか。

 と同時に、被害者でもあったけど、アジアの国々にとっては加害者でもあったという事実も直視しなければ成りません。そこからこそ真の友好関係が成り立つものと考えます。

 

 写真は、堤防に咲いているひまわりです。


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