あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

あれから…。

2014-03-11 21:49:55 | ひとりごと

3月12日 東日本大震災からマルッと3年が経った。
当時ばあちゃんが亡くなって3週間くらい過ぎた時で
まだ遺影が飾られており、生花だとか盛りカゴなどが並んで
午後から出勤だった夫が出掛けたばっかりの時
孫太郎と二人ウツラウツラとお昼寝タイムを始めたばかりだった。


処分品で買ったプリムラの花…葉はノリスケに食べられた(~_~;)

突然の地震に慌てふためき、まさかあのような甚大な被害があろうとは
夢にも思わずに、ただ孫太郎と抱き合うしか出来なかったのは
ホンの昨日の事のように思い出せる。

浜通りに住んでいた次女が、メチャメチャになった部屋で
停電と断水とに、心細い思いをしていても
助けに行く事さえも出来ずにいたっけ。

幸いな事に長女の旦那さんが、貴重だったガソリンを手に入れ
早朝から一日がかりで迎えに行ってくれ
家族の無事に手を取り合った事。


朝の通勤電車がゆっくりと通って行く…。

その年に行われるはずだった浜田省吾のコンサートも
会場がご遺体の安置所になり、延期となったが
次の年に行われ、省吾の歌う「悲しみは雪のように」に
あの日あの時にも、あの季節にしては珍しく
雪が降りしきっていたっけ…涙に詰まって歌えなかった。


我が家の松の木に出来たつらら

あれから3年、徐々に復興が見られるようになったけど
福島は原発事故の為に、遅々として復興が見られずに
未だかつて原発事故後の処理に問題が山積みとなっている。

テレビでは数日前から、災害の特別番組が放送されて
当時、映像を見て…目が痛くなるくらい流した涙が
今も変わりなく流れてしまう。


釣り鉢のゆりかごに乗ったようなメジロ

幸いな事に被害の少なかった会津だけど
未だに風評被害には苦しめられている。
そして、たくさんの被災者の為に仮設住宅が建てられ
我が地区のお寺にも同じ宗派の被災者の位牌などが
一緒に並べられて、土日ともなると訪れる人が多かった。


夕方の散歩道

今朝はいつものように、5センチほど積もった雪の散歩道を歩き
3年前にのんびりと…ばあちゃんのいない少しの寂しさを味わいながら
やっぱり、あの日と同じようにヒメの散歩をした。

2時46分に黙祷を捧げて、いろんな3年間を振り返り
コタツに入り、やっぱりあの日と同じように孫太郎がいて
普通の生活がこんなにもありがたい事なのだと思った。


朝ぼらけの磐梯山

昨日があって今日があり、また今日と同じような明日が来る。
そんな些細な幸せさえ手が届かないでいる人たちの為に
当たり前の幸せさえまだ見えないでいる人たちの事を
決して忘れてはいけない事なんだと言い聞かせた。

 


 

コメント (40)
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