あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

枝豆の思い出

2017-08-13 23:07:00 | 思い出

今日は明日14日のお墓参りを前に
お線香を手向けに来られるお客様の為に
枝豆でも茹でて出そうかと豆取りをした。

どんよりとした蒸し暑い日だった。

 


お盆前のこの日になると、毎年追悼の番組がある。
日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日月曜日18時56分墜落事故のニュース。
それでも生存者は4名いたが坂本九さんは亡くなられたのだよね。
本当に大勢の被害者で心が痛む事故だった。

と共に思い出すのは、この時期の我が家。

当時、亡きばあちゃんは畑にたくさんの枝豆を作って
お盆を控え、枝豆を収穫してそれを売りに行ったりしていた。
自転車の後ろにコンテナを付けて、それに積んでいくのだから
たいした収入ではなかったとは思うのだが
それでも10日過ぎ辺りから、お盆に渡って結構な数を売りさばいて来る。

スイカの脇の土手の傍に植えた湯あがり娘!

そろそろ収穫時かな。

やっぱりノリスケが邪魔をしに来る。

次に控えしサッポロミドリ

午前中に売って来て、午後から亡きじいちゃんがテイラーで
豆を取って来る…そして、夕方ころか枝豆の葉っぱを取るのが日課だった。
私も夫も勤めから帰って来ると、豆の葉っぱ取りを手伝い
やぶ蚊に刺されながらも、薄暗くなるまで手伝っていた。

けっこうお得意さんがいたんだよね。
13日の日が一番注文が多く、私が会社がお休みの時は
軽トラックに積んで運んで行った事もあって
夫がお休みの時には夫が行った。

うん、なかなか良い塩梅かな。

ピトっとくっ付いてるラブラブ枝豆見っけ!!

退屈なのかちょっかいを出して来る。

その枝豆を売ったお金は孫の為にアイスを買って来たり
食事のおかず代になることもあってとても助かっていた。
だから枝豆の葉っぱ取りくらいは手伝わなきゃね!!

小屋の中にある小さいテレビで、いつもニュースとか天気予報とかが流れて
私は6時半すぎると夕食の支度を始める為に無罪放免になっていた。
小屋の中には葉っぱが取られた枝豆はグラムごとに計って仕分けられ
それをばあちゃんが束ねるのだけど、手伝おうかという私に
いやいや見た目があんだって、自分でやらないと気がすまない
そんな性分なんだったんだ。

葉っぱが丸まっている…なんか怪しいぞ!!

やっぱり~~ なんだろ? 何かの蛾の幼虫のようだが。

そういうとこ私と似てるような気がする。

枝から葉っぱをもいで、パンパンに実が入ってるのと
そうでないのと仕分けをして、良いものを売って
ちょっと売り物にならないような
いわゆるB級品は家で食べていたっけ。

…嫌になるくらい食べた(;・∀・)

生産農家はどこでも同じようだと思う。
ロスというもので、家で食べたり知人にあげたりする。
先日もそういうロス商品となった傷ついたり虫が入ってしまい
売り物にならない桃をたくさんいただいたが
そういうものだってだけで、味は最高に美味しかった。

塩ゆでした枝豆うまうま♪♪

ただ売り物にならないからって処分してしまうのは勿体ないし。

と、話は横道にそれてしまったけど
あの日あの時も、夕方に豆の葉っぱ取りをして
小さいテレビから流れるニュースを聞くともなく聞いていて
なんだか大変な事になったって、暫し仕事を休んでニュースに耳を傾けていた。
坂本九さんも犠牲になった墜落事故。

あれから32年経って三十三回忌になるんだねえ。
この時期になるとこの事故と一緒に
やぶ蚊に刺されながら豆の葉っぱ取りしたことが思い出される。

 

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