津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

朗読

2008-05-04 14:27:58 | 徒然
 妻が出払ったころあいを見つけて、栞をはさみこんでおいた随筆集の中の、泉鏡花の短文を声を出して呼んでみたりする。山本夏彦氏著の愛読書「完本文語文」に触発されての事だ。明治人の教養の豊かさ、観察力、表現力の多彩さ、臨機応変の語彙のマジックが、1,500字ほどの文章の中に集約されている。すらすらと読めたら素晴らしい事だけれど、ルビが振ってあるにもかかわらず、うまく行かない。三度目を読んでいると、妻が帰ってきた。あわてて又栞を挟んで本棚に納めた。

「森の紫陽花」     www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/4245_10284.html

 ふと過日送られてきた、新潮社の「CDブック」の案内を思い出した。芥川龍之介の「羅生門」を橋爪功が読み、幸田露伴の「五重塔」を日下武士が読んでいる。「断腸亭日乗」は高橋昌也、「にごりえ/たけくらべ」は幸田弘子、「阿部一族」をあの若山弦蔵が担当している。藤沢周平シリーズの「驟り雨/朝焼け」は柳家小三治、「静かな木」は柳家小さん、息子の花緑が「たそがれ清兵衛」と小さん一門も頑張っている。錚々たる人たちが読み手となっている、「CDブック」もなかなか面白そうではないか。本は自らが読んでこその「読書」と承知していたが、「朗読」という世界も理解できそうだ。
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100人の村の6人の人

2008-05-04 13:03:18 | 歴史
 細川家家臣の家禄の平均は、200石位だという事を聞いた事がある。どういう根拠なのか出典は何なのか、未だ見つけ出せないでいる。

 今日の新聞のコラムに、「世界がもし100人の村だったら」が引用されていた。
「全ての富のうち6人が59%を持っていて・・74人が39%を、20人がたったの2%を分け合っています」 

 私の2007/3/11のブログで、500石以上の家のリストを作ってお知らせした事がある。
500石以上133家、その知行の合計は255,478石である。侍帳にある人の約15%弱の人で62%程を占めている。さて「100人の村」と「細川家の家臣」と比べると如何だろうか。尤も、侍以外の数字はまったく無いので、比較の仕様も無いのだが・・・

 面白いのは、この高禄のお宅の困窮振りがいろいろ記録に残されている事だ。高禄だから優雅な生活を送っているのかと思うと、そうでもない。御家の名誉の為に列記する事は差し控えるが、「困窮極まり」等などの言葉が痛々しい。米の前借、銀子の借銀など日常茶飯である。(そしてこれが高利である) 当家では、「手元不勝手」で参勤をお断りすることなどが「先祖附」に見て取れるが、百石取りの下級武士の家ではそれが日常的なことで、別に不名誉な事でもなかったのだろう。困窮が極まり切腹して果てるものさえいる。身内は国払いである。一方では細川家に連なる某家が、藩庁に借銀し又貸しをしている。何時の時代にもあるいやな話。
  

 


 
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