津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

松岡正剛もたまには間違う

2008-05-21 20:06:32 | 歴史
 松岡正剛の「横井小楠」を読んでいたら、間違い発見、徳富蘇峰が横井時雄(小楠長男)の子供に化けていた。
【横井大平や横井時雄は明治4年に熊本洋学校の設立に動いた。有名な話だろうが、アメリカからL・L・ジェーンズを招いて、花岡山を拠点に「熊本バンド」を結成、そこから海老名弾正(日本のキリスト教運動の指導者・同志社大学総長)、徳富蘇峰、横井時敬(のちの東京農大学長)らが育った。ジェーンズ解雇ののちは、この花岡山バンドがこぞって同志社に移った。同志社大学をつくったのは新島襄と京都の有志と熊本実学党なのだ。横井時雄は明治13年には「共立学舎」もおこし、その長男の蘇峰が「大江義塾」を開設したことは、付言するまでもないだろう。】

 松岡氏が文中に使われた図書が、以下のように上げられている。
【「日本思想大系」第55巻(岩波書店)、「日本の名著」第30巻(中央公論社)、山崎正薫『横井小楠遺稿』(日新書院)、山崎正薫『横井小楠伝記』(明治書院)、圭室諦成『横井小楠』(吉川弘文館・人物叢書)、三上一夫『横井小楠の新政治社会像・幕末維新変革の軌跡』(思文閣出版)、三上一夫『横井小楠・その思想と行動』(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー62)、山崎益吉『横井小楠の社会経済思想』(多賀出版)、源了圓ほか『横井小楠のすべて』(新人物往来社)、徳永洋『横井小楠・維新の青写真を描いた男』(新潮新書)、童門冬児『小説横井小楠』(祥伝社)等々。】

 童門冬児も本当は冬二が本当だがご愛嬌だ。これだけのものを読破した上での執筆だから、その速さたるは驚異である。いつも拝見するものとしては(地元の人間ということもあるが)この間違いはいただけない。ご推薦の図書だと肝に銘じて私もチャレンジしようと思う。



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ING

2008-05-21 16:56:14 | memo
同時並行でいろいろやっていると、全てが未完となる。
何をやっているのか、自分でも分からなくなったので一応まとめる。

 ■細川忠雄(内膳家)家譜----訓下・活字化(4割完)
 ■米田家臣中山宗俊覚書----  同上   (4割完)
 ■T家先祖附及び諸達扣----  同上   (9割完)
 ■上田休兵衛「日録」----  白文の活字化(完了の見通し立たず)
 ■益城甲佐八丁村次郎兵衛志書・他 

 ■大日本近代史料・細川家史料「人物索引」作成中、対象20巻の内11巻完了
              UPについては東大史料編纂所の要了解
 ■嗣蔭令----タイピング中(気合を入れればすぐ終わるが、ずっと休止中)

 待機中
 ■沼田家記
 ■沢村大学介覚書 
     その他いろいろ、種々雑多
 

 
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細川家家臣・堀尾氏

2008-05-21 09:03:22 | 歴史
 HARIMAYAさんの武家家伝_堀尾氏を読むと、天武天皇の皇子高市親王の子・長屋王に遡るとある。・・・すごい・・・ひところ黒岩重吾の一連の作品にのめり込んだことがある。判官贔屓で高市親王や長屋王の悲劇については、涙腺が緩んでしまう。

 細川家家臣・堀尾氏を調べると、四代目が茂助を名乗り次のような記載がある。
「茂助(夫右衛門)千石 拾挺頭 宝暦十一巳十一月十四日当役 帯刀先生吉晴ヨリ出」
帯刀先生とは、松江二十四万石城主・秀吉三家老の一人、堀尾茂助吉晴の号である。茂助吉晴の直系は絶えたとされるが、どういうつながりがあるのか興味深い。千石の扶持を得て主要な職を勤めているが、細川家仕官の経緯も知りたいところだ。果たして先祖附はどう記しているのか、調査課題が又一つ増えた。
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