「爪の端」という言葉があるが、国語辞典などをひも解いても出てこない。「細川は徳川将軍家の爪の端」というような使い方をするのだが、「徳川家の血筋の末端にある者」という意味であろう。忠利が将軍秀忠の養女(十一女)・千代姫を、正室に迎えているからそういわれている。正確を期すると、千代姫は小笠原秀政の息女である。生母は徳川家康の嫡男信康の女・登久姫である。家康の曾孫という事になる。信康は生母・築山殿(今川義元・姪)と共に、家康命により殺された。その原因となったのは信康正室(信長女・五徳)が、父・信長に今川氏情報をもたらした事による。登久姫は信長の孫、千代姫は曾孫である。
小笠原秀政 蜂須賀至鎮・室
|----+--万姫(家康養女)
家康---+--信康---+--登久姫 |
| | +--忠脩---長次(中津藩主)
| +--熊姫 |
| | |
| 本多忠政 |
| +--忠眞(小倉藩主・小笠原嫡家)
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+--秀忠---+--家光 +--千代姫
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| +--忠知(初・杵築藩主、三河吉田--岩槻
| | --遠州掛川--陸奥棚倉--肥前唐津藩)
| |
| +--松平重直---英親(杵築藩主)
| |
| +--その他兄弟略
+==千代姫
|
細川忠興------忠利-----光尚
「爪の端」は数えたらきりがない。その広がりは相当な数になっている事だろう。徳川将軍家の女たちの婚姻による族党支配は、【家康の実娘五人・養女十人、秀忠の実娘五人・養女十一人、下って家斉の実娘・二十七人、家慶の実娘十三人・養女二人などによる。(鈴木理生著「お世継ぎのつくりかた」から引用)】
細川家における「爪の端」という言葉が、何時頃登場したのかを調べているが、未だ正確な処に行き着かない。何れにしろ忠利、光尚代のことだろう。
蛇足だが鈴木氏の同著の中の、「家康を中心とした縁組一覧」なる図は、大名諸家との縁組を表しているものだが、忠利室・千代姫が本多忠政の娘であったり、加藤清正正室清浄院(家康十五女)が加藤忠広室とされていたり散々である。(校正がなってませんよー)
小笠原秀政 蜂須賀至鎮・室
|----+--万姫(家康養女)
家康---+--信康---+--登久姫 |
| | +--忠脩---長次(中津藩主)
| +--熊姫 |
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| 本多忠政 |
| +--忠眞(小倉藩主・小笠原嫡家)
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+--秀忠---+--家光 +--千代姫
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| +--忠知(初・杵築藩主、三河吉田--岩槻
| | --遠州掛川--陸奥棚倉--肥前唐津藩)
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| +--松平重直---英親(杵築藩主)
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| +--その他兄弟略
+==千代姫
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細川忠興------忠利-----光尚
「爪の端」は数えたらきりがない。その広がりは相当な数になっている事だろう。徳川将軍家の女たちの婚姻による族党支配は、【家康の実娘五人・養女十人、秀忠の実娘五人・養女十一人、下って家斉の実娘・二十七人、家慶の実娘十三人・養女二人などによる。(鈴木理生著「お世継ぎのつくりかた」から引用)】
細川家における「爪の端」という言葉が、何時頃登場したのかを調べているが、未だ正確な処に行き着かない。何れにしろ忠利、光尚代のことだろう。
蛇足だが鈴木氏の同著の中の、「家康を中心とした縁組一覧」なる図は、大名諸家との縁組を表しているものだが、忠利室・千代姫が本多忠政の娘であったり、加藤清正正室清浄院(家康十五女)が加藤忠広室とされていたり散々である。(校正がなってませんよー)