津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

継嗣問題

2008-05-01 16:08:03 | 歴史
 細川家の継嗣問題は色々ある。忠興の三男忠利の継嗣は徳川の圧力であろう。光尚の継嗣・六丸(綱利)は幼少であり、藩の存亡が危惧された。その綱利の継嗣は、自らの男子の死去、柳沢吉保三男を養子とする事の頓挫を経て、弟利重(新田支藩)次男宣紀を養嗣子とする事で落着した。九代治年は病を得て緊急の継嗣問題が浮上した。舟田義輔氏の「肥後藩主細川斉茲の誕生」に詳しいが、宣紀・宗孝・重賢・治年とつづく新田支藩の血を慮って、指名を受けた宇土細川家七代目立礼(宗家に入り斉茲)は躊躇している。その尻を叩いたのが、重賢の妹(宇土細川家五代藩主興里)幾であったと言うのが面白い。治年には寅次(年和)という男子が在ったが幼少であった。斉茲の跡は、年和と言うこともありえたのであろうが、廿歳で歿した。斉茲の跡は、二男斉樹、斉樹には継嗣がなく兄(宇土家八代)立之の息立政が宗家を継いだ(斉護)。立之は父立礼が細川宗家を継いだ時、宇土支藩藩主となるが、僅か四歳である。弟斉樹とは五つ違い、斉樹は父斉茲が宗家に入ってからの子であり、二人が子供らしく遊びまわったという事はなかったのだろう。そのときそのときに人を得て、現在の細川家がある。
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勢至菩薩

2008-05-01 13:59:41 | 書籍・読書
  【智慧の光を持って一切を照らし衆生が地獄・餓鬼界へ落ちないように救う菩薩】(Wikipedia) 

 生まれの干支に応じて、お守りいただく仏様があるのだと聞いた。私の干支は午であり守り本尊は勢至菩薩である。地元の新聞社が、西村公朝氏の仏画のリトグラフを販売すると知って、購入したのはもう十数年前のことである。かわいい漫画チックなお姿が大変親しみやすくて、私の座右にいつもいらっしゃる。こういうことには必ず「けち」を付ける人がいて、これは旧暦で考えるものだから一月十九日(私の誕生日)は十二月で考えるべきだという。「いらぬお世話だ・・・」私を守っていただくのは、勢至菩薩だと決め込んでいるのだ。

 購読している月間文芸誌「波」(新潮社)の五月号に、「父・公朝の遺稿が発見されるまで」という一文が紹介されている。公朝師の著「仏の道に救いはあるか」の発行にかかわるお嬢さん(大成栄子さん)の文章だが、師が描かれるかわいらしい仏様のお姿のように、文章も又親しみあるものではないかと、その著を読んでみようと思っている。

 宮本武蔵曰く「神仏を崇びて神仏を頼らず」 私の宗教観でもあるのだが・・
「地獄はお許しいただきたい」

 
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リンク集再編中

2008-05-01 11:38:12 | 徒然
 わがサイト内の「リンク集」の見直しをやっている。ここ二年ほどまったく手を入れていないから、新しい情報も取り入れたいと考えての事だ。アドレスの変更の修正もあるだろうと、現在登録中のリンク先をクリックすると、閉鎖されたサイトのなんと多いことか。改めてサイトの維持の難しさを痛感するし、もう見ることが出来ないのかと思うと一抹の寂しさを感じる。元気に増殖しているサイトもある。【 ~世界帝王事典~ネタ家系図 地獄の顔写真入り徳川氏系図 】等を見つけて、一人で声を上げて笑ってしまった。
  http://nekhet.ddo.jp/neta/
 最近笑った事がない方には、一見をお勧めする。

 しかしまあ、よくぞこんな事をしたもんだと我ながらあきれ返っている。何かお役に立っているのかしらと首を傾げざるを得ないが、今更撤去とは参るまい。ならばと再編成をと言うわけである。連休中には終わらせたいと思うのだが、私にも少々のお休みを賜りたいから・・・・完了時は未定とさせていただく。
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