津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

上着座之上席-3 津川平左衛門

2008-05-27 09:22:31 | 歴史
斯波義近---+---近利----近元---辰房
        |              ↓
        +---辰珍======辰房---+--辰之---辰貞==辰氏---辰陳(平左衛門)
        |                   |             ↑
        |                   +---辰則(辰氏)・・・・・・
        |
        +---親行(室・織田有楽女)
        |
        +---女
            |----津田三十郎
         織田信重

 斯波氏は管領家、義近の六代祖源義将が斯波治部大輔を名乗り従四位下侍従、将軍義詮に仕えて管領職についた。義近に至り織田信長と不和になり永禄二年官職停止、領地を没収され津川を称し豊臣秀吉のお伽衆と成る。二男辰珍が肥後津川家の初代、兄近利の孫辰房を養嗣子とした。一方甥津田三十郎の為に所領を内分するなどしている。嗣陰令がいう平左衛門は、六代辰陳と思われる。
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上着座之上席-2 木下平馬

2008-05-27 08:19:34 | 歴史
 豊臣秀吉正室高台院の実兄木下家定の一族である。

 +---木下家定---+---勝俊(長嘯子)
 |           |
 +---高台院    +---利房(備中足守藩主)
      |      |
    豊臣秀吉   +---延俊---+---俊治
             |       |
             |       +---延次(寄合交代衆)
             |       |  
             |       +---三郎左衛門----平馬---佐学---伊織---廣之助---平馬
             |
             +---小早川秀秋


 嫡子勝俊は、長嘯子を名乗る文人大名、幽齋の弟子でもある。
二男利房は、備中足守藩主代々相続して明治に至った。
三男延俊は、細川藤孝の女(加賀)の婿である。二人の間には五人の子供があるが、俊治・延次・三郎左衛門共に妾腹である。忠興・忠利との懇意ぶりはつとに有名である。延俊・俊治以降代々日出藩主。二男延次は五千石を内分され寄合交代衆となったが、豊臣秀頼の忘れ形見だとも言われる。たんなる噂であろう。
肥後細川家家臣木下家は延俊三男・三郎左衛門を初代とする。嗣陰令の平馬とは六代目と思われる。
四男小早川秀秋は、関ヶ原での行動が東軍の勝利をもたらした。
 
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