津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

講演会

2008-05-09 16:23:28 | 歴史
 熊本市立図書館で開催された「郷土史講座」に参加。今回は「清正公と5人の妻たち 」講師は【加藤清正「妻子」の研究】の著者、歴史研究家の福田正秀氏である。この著書は、備後福山藩・下総結城藩の水野家のご子孫・水野勝之氏との共著によるものだが、今年二月「熊日出版文化賞」を得られた。今まで伝えられてきた清正の妻子に関する事柄は、お二人の研究により真実が解き明かされた。
 熊本市の市民便りや、図書館のHP位での広報だが、歴史フアン200人ほどが参加して熱心に聞き入った。何度も目を通したはずの著書だが、著者の生の声を聞くことは行間に現れない本音なども聞けて楽しい。
 清正については、未だ色々な本が世に出ているらしいが、妻子のことについては旧態依然たる書き方が今も続いているらしい。編集者は勿論勉強をすべきだし、歴史家も真実を受け入れる寛容さを示してもらいたいものだ。

 
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細川家家臣・清田氏

2008-05-09 08:10:45 | 歴史
      (系図は削除・5/12ブログに掲載)

 先のブログの加来家や、今回の清田家の血が宇土細川家に濃く流れている事は、大友一族の血とも言える。ガラシャの血は治年で途絶えた。忠興の大友一族への接近は、特別意図したものではなかろうが、非常に興味深い。

 清田掃部鎮忠の継室は大友宗隣女・ジェスタとされる。かっては一条兼定の室であった。宗麟の嫡男義統は石垣原の戦いで敗北し、大友家を滅亡に追い込んだが嫡男正鎮、宗麟二男親家(利根川道孝)、三男親盛らは細川家家臣となった。女子はジェスタの他、久我三休室・臼杵統尚室・小早川秀包室らがいる。

 七助乗栄(石見守)については、数日前のブログ(4/28傍証)に書いた。圓通院弟・与三右衛門は忠興により、刑部家に附けられる。忠興は圓通院との子、宇土の立孝は溺愛したが、興孝との間柄は険悪である。幼い時分五郎大夫は、忠興から興孝の処分(死・・?)を依頼されている。五郎大夫にとって興孝は姪の子供に当たる。必死の説得があったのであろう。その故を以って刑部家があるといっても過言ではない。

 石見は島原の乱で負傷している。領地である菊池に在宅し亡くなった。継嗣外記は病弱であったようだ。石見の江戸証人となった二男主馬が跡目し、次ぎを石見の弟が跡を継ぎ、主馬嫡男がその跡を継いだ                                  
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