津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

下作

2008-05-07 13:34:16 | 熊本
 「げさっか」という熊本弁がある。趣味の悪いことに対し、断定の意味をもって言う。漢字を当てると「下作だ」ということだろう。「げさくさー」とも言うが、これはいささかニュアンスが違って、若干意味が弱い気がする。国語辞典でも見ることができるから、死語でも無さそうだ。当然古語辞典にもあるから骨董ものの言葉だと思われるが、古い時代熊本弁に組み入れられ、立派に一本立ちしている。

 洋服のコーナーで買い物をしている婦人に、連れ合いであろう老人が「そらちょっとげさっかばい」と言う。派手な色模様のシャツ(ブラウス?)を手にもった婦人は、「なんば言いよっと、こん位んもんが、何がげさっ(下作)かろかい」婦人はレジに向かって歩き出した。自分を納得させるように「なん、げさっかろうかい」と小声で言った。

 (それは少し趣味が悪いよ)
 (何を仰いますか、この位の(色や模様が)ものが、何で下作なものでしょうか)

 (下作じゃーないですよ)
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細川刑部邸跡地

2008-05-07 10:48:51 | 歴史
 水前寺成趣園から東1㌔ほどの所に、旧細川刑部邸「神水苑」がある。古い和風の建物が残っていたが、これは明治に入ってからの建物らしい。ある著書によると、ガラシャ夫人の住まいにあった欄間が使われていたというが、本当だろうか。のちRC造の結婚式場が建てられたが、数年前閉鎖された。湧水の綺麗なお庭がある、由緒あるこの場所がどう使われるのか興味があった。最近電車通りに面した正面の100メートルばかりに、スチール製の柵が設けられた。中を窺い知る事は出来ないが、結婚式場などが取り壊されたのではないか。噂によると、熊本一の高さ(25F・?)を誇るTマンションの、二号館とも言えるマンションが建つらしい。出来上がれば熊本のセレブ達に評判になることは間違いない。
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元和九年五月

2008-05-07 07:53:23 | 歴史
 福岡県史近世編・小倉細川藩における記録は、元和九年五月から初まっている。記録係は小篠次大夫、続平右衛門、加賀山主馬、仁保太兵衛、浅山清右衛門らの持ち回りのようだ。10日ばかりの主だった記録を一日一件でご紹介しよう。

朔日:「所々御番衆」に、暇であれば杮(こけら)葺用の竹釘を、一人一升当て削るように申し渡し。
二日:御なへ様(鍋、南條元信室・細川興秋女)が、粽(ちまき)を作られるについて、真菰調達の命
三日:節供(せっく)には御かこ(水夫)を休業させる事。(節句に於いては加子の休業は定例である)
四日:国東郡留木(富木)村の老婆(八十ばかり)が撲殺され、せんさく吟味が始まる。
五日:目医者分清の薬箱の漆の塗賃の支払い。(忠興の目の煩いは有名である。)
六日:小方甚左衛門なる人が長崎へ買物に出立。御鉄炮衆、御昇衆夫々一人が付き添う。
七日:手痛を起こした役人がいる。竹釘五合を削るように申し付け(半分って言う事?)
八日:山名藤十郎、藤掛蔵人、谷内蔵丞、加賀山主馬ら十名、潮をまって出帆(行く先は大坂か)
九日:北の丸路地掃除始まる。(幾日かかるのだろうか)
十日:横目(役職名)をだました者を誅伐、加えて大脇差の試し斬りが行われた。
    「あばら二枚かかり申候」とある。(この刀は打ち直し砥ぎに出され、後日
    (6/19)再度の試し切りがなされた。筒(胴)落候とある)

 385年前の今ごろの話しである。
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