津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

あと四週間

2008-05-25 21:55:27 | 熊本
 六月廿一日開催の「藩校サミット」まで、一月を割った。関係者のご苦労が伺える。今日は当日の実働隊の打ち合わせ会、50名ほどが顔を合わせた。1,500名の参加を目指し、又そのお客様をいかに疎漏無く暖かくお迎えするかの一点に尽きる。

 会場は熊本市民会館、熊本城は目の前である。楠若葉が美しく、復元された本丸御殿を見ようと、この一月で20万人をこえる入場者があったという。完成行事は一応終幕を迎えたが、それに続く全国的イベントとして「藩校サミット」開催は意義深いものがある。そしてこれを機会に、新たな熊本文化創造の蠢動がみられるものと期待している。多くの皆様のご来場を期待したい。
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座班と家格

2008-05-25 21:33:25 | 歴史
 嗣蔭令は、一門、一ニ三家老、家老、中老、備頭・側大頭・留守居大頭并同列、組外并同列に続く座班として「着座」を置く。夫々の家格の嫡男、次三男・末子、弟などについても、詳しく定められている。
 さてその着座だが、これは夫々「家」を特定して定めている。すなわち、松野主馬、木下平馬、津川平左衛門、三渕志津馬、楯岡源太左衛門、下津久馬、氏家甚左衛門、沼田熊五郎、小笠原備前家は「上席着座之上席」として「世々上席」と定めている。
「上・中・比着座」などこまやかな決まりが定められているが、上記九家のほかに個人名が挙げられているのは、三宅平太郎家の定席之次席、西山大衛、槙嶋半之允家は世々比着座同列末席と定められている。

 これらの家々が何故「家」を特定して座班を定めたのかを調べているが、これまた資料を探し得ないでいる。一ついえるのはその家柄だろうか。松野は「大友家」、木下は「豊臣家」、津川は「管領家・斯波家」、三渕は「藤孝の実家」、楯岡は「最上家」、下津は「下津棒庵に遡る」、氏家は「興秋の舅家」、沼田は「藤孝室実家」、小笠原備前は「ガラシャ夫人に殉死した少齋家」である。三宅は「明智氏」であり、西山は「足利将軍家」、槙嶋は「忠興の朋友・云庵」の家である。例え役職に恵まれずとも、「着座」の家格が担保されている。
 小笠原多宮家(忠利夫人実家)、清水家(綱利夫人実家)、沢村家などがはずされているのも興味深い。
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