家祖氏家直元(卜全)は美濃三人衆として高名、長島陣で討死。二男元政近江15,000石と代官所
50,000石を預かる。関ヶ原で西軍に付き高野山立退き、興秋舅の故か慶長六年召出。元高は父の死の際はわずか四歳にて跡目。嗣陰令がいう甚左衛門は五代頼久と思われる。沢村大九郎友朗の二男である。
細川忠興---+---忠隆
|
+-----興秋(与五郎)
| | 末子
+--忠利--------------------------元知
| 南条元信室 ↓
|-----------鍋 ==元知
| |---米田元庸
氏家卜全---+--元政---+--女 米田是長---吟
| | 室・南条元信女
| |
| +--元高---元将==元広==頼久(甚左衛門)
| |
| +--女・松野右京室
|
+--行広
元政女が細川興秋室、忘れ形見の鍋は南条元信室となり、細川忠利末子・元知を養嗣子とする。綱利による陽明学徒の追放にあたり諫言、不興を買い永蟄居。息元庸は綱利命により母方の米田家(家老)を家督、南条家は絶家となる。興秋の血は米田家に継承された。
50,000石を預かる。関ヶ原で西軍に付き高野山立退き、興秋舅の故か慶長六年召出。元高は父の死の際はわずか四歳にて跡目。嗣陰令がいう甚左衛門は五代頼久と思われる。沢村大九郎友朗の二男である。
細川忠興---+---忠隆
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+-----興秋(与五郎)
| | 末子
+--忠利--------------------------元知
| 南条元信室 ↓
|-----------鍋 ==元知
| |---米田元庸
氏家卜全---+--元政---+--女 米田是長---吟
| | 室・南条元信女
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| +--元高---元将==元広==頼久(甚左衛門)
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| +--女・松野右京室
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+--行広
元政女が細川興秋室、忘れ形見の鍋は南条元信室となり、細川忠利末子・元知を養嗣子とする。綱利による陽明学徒の追放にあたり諫言、不興を買い永蟄居。息元庸は綱利命により母方の米田家(家老)を家督、南条家は絶家となる。興秋の血は米田家に継承された。