津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

艶福家・宣紀

2008-05-11 21:23:41 | 歴史
 大名家の子沢山は、藩の財政破綻の要因ともなる。宣紀はそういう意味合いに於いて、いささか「お過ぎ」になられたようだ。

    *小野田太郎左衛門女 與幾(ヨノ)
         男子・竹之助(夭折・三歳)
            萬次郎(夭折・一歳)
         女子・亀(夭折・六歳)
            名世(夭折・五歳)
    *鳥井氏女 際
         男子・八三郎(夭折・六歳)
            宗孝(七代)
            龍五郎(家老・木村半平戸豊持養子・夭折三歳)
         女子・蔵(夭折・六歳)
            富(夭折・三歳)
            喜和(宗対馬守義如室)
            千代(安藤対馬守信尹室)
    *姓氏不詳
         女子・村(夭折・三歳)
    *安野氏女 民
         男子・興彭(長岡図書興行・養子)
         女子・勝(夭折・三歳)
             花(松平讃岐守頼恭室)
            衛世、悦(長岡助右衛門是福室)
            津與(小笠原備前長軌室)
    *岩瀬氏女 利加
         男子・重賢(八代)
         女子・豊、常、岑(織田山城守信舊室)
            幾、常、成、軌(細川大和守興里室)
    *友成氏女 佐衛
         男子・紀休

 正室は認められない。六人の女性に男子八人、女子十三人を成さしめた。内十人が夭折している。宗孝の時代庶民の困窮振りに、吉村文右衛門が上書を上げる。綱利・宣紀の時代の「つけ」が大きくのしかかり、財政は破綻状態になる。宗孝の不幸な死により後を継いだ重賢の、若い頃の貧乏振りはつとに有名だが、時代は人を求め彼を待ち望んだのかもしれない。宣紀もよい跡継ぎを残し艶福家の責任は果たしたという所か。
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よだほり爺の目覚め

2008-05-11 12:45:52 | 徒然
 一昨日、昨日と「よだほり」が続き、今朝は10時過ぎの起床と相成った。睡眠時間五時間弱、咽喉の渇きと空腹に耐えかねての起床である。昨日は風が強く横殴りの雨の寒い一日だったが、今日はよい天気、但し風は相変わらずである。お決まりのトースト二枚とコーヒー、そして新鮮なトマトのサラダを頂戴して今日の行動を思案する。二日続きの睡眠不足が災いして、いささか眠く体がフワフワする感じ。図書館へ出かけようかとも思うが、この風では自転車もろとも吹き倒されるかもしれない・・・史料を読むと致そうか。
 PC脇の脇机は、積み重なった史料の山で手の付けようがない・・・掃除をすると致そうか。
 仕事柄、残業・徹夜は毎度の事と過ごしてきたが、さすが66爺ともなると疲労がぬけない。・・・よだほり一家の事ゆえ、よだほり爺のよだほり振りなど知ったことではないという感じだが、「お腹が落ち着いたら昼寝でもしたら」奥方の優しい心遣い(?)に敬意を表して・・・一時間ばかり横になるか。
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