「藩校サミット・熊本」の開催(平成20年6月21日)が間近に成ってきた。当日の予定表を見ると、幼稚園児たちが論語の素読をやるらしい。熊本では幼稚園児を対象にして、論語を教えているところが数箇所ある。運営者の英断に敬意を表するところである。「論語に学ぶ会」 rongo.jp/ - 5k というサイトがある。時折このサイトを覗いているが、まったく頭に残らない。私は午とし生まれでどうやら元気にしているが、海馬の方はすっかりお疲れのようだ。海馬も刺激をすると補強は出来ないまでも、現状維持はできるらしい。本などの音読などもその一つだが、論語などをそらんじて声に出すというようなことが良いらしい。とすると、先の幼稚園児達の将来は、末頼もしいではないか。妻が買い物に出かけたところを見計らって声を出しているが、これじゃ~いかん。
玄祖父上田久兵衛家の初代、忠右衛門に関する消息がある。(細川家文書・御印之物 2-1)
明日上田忠左衛門出入御直ニ可被御尋旨被仰出候、左様二御座候ハバ忠左衛門二番めの世がれ加左衛門と申者平戸に忠左衛門弟居申候ニ養子ニ遣置申候が此中参居申候、又拾五六二成申せがれも壱人御座候、両人共二何もへ御預ケ可被成候処奉得御諚候、以上
二月九日 西郡刑部少(花押)
浅山清右衛門(花押)
飯田才兵衛殿
(裏面)
平戸のハ他国之者ニ候間人ニあつけ候事ハなりましく候、今一人ハ誰ぞニ見合あつけ可申候、平戸のもやと可有之候間、やとよりわきへ参ましきよし申付、其もいやニ候ハハ帰候へと可申候、以上
忠左衛門の二男とその息子が熊本にやってきている。知り合いのところへでも、宿をとろうとしたのだろうか。他国者だから其れは駄目だといっている(息子はよいらしい)「いやなら帰れ」というのが面白い。(もっとも上田家に於いては、二代目久兵衛を二男としているが・・・)
今一つは、あることがきっかけで分かった事だが、忠左衛門の奥方は松井家家臣・山本源五左衛門女である事が分かった。そしてその女が山本家に嫁いだらしい。ご子孫からのご教示である。400年以上の時空を越えて、ご先祖様の交流を垣間見た。
【山本武右衛門家】 当サイト「松井家御給人先祖附の人々」から
山本四代源五左衛門勝安養子宇土細川家家来見崎弥兵衛二男が、源五左衛門勝安の隠居料二百石を相続し、山本源左衛門勝命と名乗ったことに始まります。源五左衛門勝安は、先代源左衛門の二男です。初め生地家に養子に入り百五十石、加増されて三百五十石になりますが、山本嫡男四郎太夫が有馬陣で討死したあと、嫡子となり家督五百石を相続します。源左衛門勝行の三男が山口養子山口伝左衛門勝成、四男山本金右衛門勝為、五男山本弥左衛門金重、養子見崎家二男です。源五左衛門勝安隠居により嫡男源左衛門勝秀は、家督七百石を相続しますが病を得て死亡してしまいます。そこで、本知五百石が弟の五男山本弥左衛門金重へ下され、山本の家督を相続します。源五左衛門勝安の知行三百五十石は、山口伝左衛門に五十石加増、山本金右衛門勝為に新知として百五十石、山本弥左衛門金重に新知百五十石が下されます。隠居した源五左衛門勝安は山本土水と名乗り隠居料百俵拝領した後、二百石加増されます。この二百石を養子見崎奥之助(源五郎・源太夫)が拝領して山本源左衛門勝命を名乗ります。ですから、山本武右衛門家は見崎家といえます。
秀勝―――勝則――――勝行―――+―勝守
対馬守 源太夫 太郎助 | 四郎太夫
山入 対馬 宗斎 源太夫 |
源左衛門 +―勝安――――――(以下略)
| 武右衛門
| 源五左衛門
| 土水
| 生地甚左衛門養子
|
+―勝成
| 山口伝左衛門
|
+―勝為
| 金右衛門
|
+―金重
山本勝秀養子
(ピエールさんのサイト「白鷺×城下町」から引用)
明日上田忠左衛門出入御直ニ可被御尋旨被仰出候、左様二御座候ハバ忠左衛門二番めの世がれ加左衛門と申者平戸に忠左衛門弟居申候ニ養子ニ遣置申候が此中参居申候、又拾五六二成申せがれも壱人御座候、両人共二何もへ御預ケ可被成候処奉得御諚候、以上
二月九日 西郡刑部少(花押)
浅山清右衛門(花押)
飯田才兵衛殿
(裏面)
平戸のハ他国之者ニ候間人ニあつけ候事ハなりましく候、今一人ハ誰ぞニ見合あつけ可申候、平戸のもやと可有之候間、やとよりわきへ参ましきよし申付、其もいやニ候ハハ帰候へと可申候、以上
忠左衛門の二男とその息子が熊本にやってきている。知り合いのところへでも、宿をとろうとしたのだろうか。他国者だから其れは駄目だといっている(息子はよいらしい)「いやなら帰れ」というのが面白い。(もっとも上田家に於いては、二代目久兵衛を二男としているが・・・)
今一つは、あることがきっかけで分かった事だが、忠左衛門の奥方は松井家家臣・山本源五左衛門女である事が分かった。そしてその女が山本家に嫁いだらしい。ご子孫からのご教示である。400年以上の時空を越えて、ご先祖様の交流を垣間見た。
【山本武右衛門家】 当サイト「松井家御給人先祖附の人々」から
山本四代源五左衛門勝安養子宇土細川家家来見崎弥兵衛二男が、源五左衛門勝安の隠居料二百石を相続し、山本源左衛門勝命と名乗ったことに始まります。源五左衛門勝安は、先代源左衛門の二男です。初め生地家に養子に入り百五十石、加増されて三百五十石になりますが、山本嫡男四郎太夫が有馬陣で討死したあと、嫡子となり家督五百石を相続します。源左衛門勝行の三男が山口養子山口伝左衛門勝成、四男山本金右衛門勝為、五男山本弥左衛門金重、養子見崎家二男です。源五左衛門勝安隠居により嫡男源左衛門勝秀は、家督七百石を相続しますが病を得て死亡してしまいます。そこで、本知五百石が弟の五男山本弥左衛門金重へ下され、山本の家督を相続します。源五左衛門勝安の知行三百五十石は、山口伝左衛門に五十石加増、山本金右衛門勝為に新知として百五十石、山本弥左衛門金重に新知百五十石が下されます。隠居した源五左衛門勝安は山本土水と名乗り隠居料百俵拝領した後、二百石加増されます。この二百石を養子見崎奥之助(源五郎・源太夫)が拝領して山本源左衛門勝命を名乗ります。ですから、山本武右衛門家は見崎家といえます。
秀勝―――勝則――――勝行―――+―勝守
対馬守 源太夫 太郎助 | 四郎太夫
山入 対馬 宗斎 源太夫 |
源左衛門 +―勝安――――――(以下略)
| 武右衛門
| 源五左衛門
| 土水
| 生地甚左衛門養子
|
+―勝成
| 山口伝左衛門
|
+―勝為
| 金右衛門
|
+―金重
山本勝秀養子
(ピエールさんのサイト「白鷺×城下町」から引用)