本丸御殿の完成や、永青文庫の公開で熊本城人気が加速している。熊本城参観者は既に10万人を越したという。結構なことではないか。今後は単なる見世物ではなく、どう有効的に利用するかという命題も残されている。費用対効果が問われる現実的課題である。
明治期、熊本城の破却を言い出した人たちがいる。
1、藩主護久、弟・護美らの政治的配慮
1、実学党政権による経済的不用論
「馬鹿な考えだ」と一喝した人がいる。このことについて、私はまったく知識を持っておらず「一人の外国人」とのみ承知していた。さすが外国人の観る目は違うと思い込んでいた。5/3の熊本日日新聞は「400年のまち・熊本城下を歩く」と題し、「お城解体の危機・新聞の父が見た明治四年の御殿」という記事を載せている。新聞人ジョセフ・ヒコなる人が、廃城を申し出て間もない熊本城を見て、「賛成しかねる」と強く主張したという。私が「外国人」と思っていたその人こそ、このジョセフ・ヒコであった。アメリカに帰化した浜田彦蔵という人であった。翌年西国巡幸の明治天皇は「名城」を感嘆された。明治十年の西南の役に於いて、熊本城がなかったならば官軍の勝利は有り得ただろうか。「破却」を言い出した人たちも、首筋に寒さを感じたかもしれない。
熊本城をどう育てていくのか、熱しやすく冷めやすい熊本人の真価が問われる。
明治期、熊本城の破却を言い出した人たちがいる。
1、藩主護久、弟・護美らの政治的配慮
1、実学党政権による経済的不用論
「馬鹿な考えだ」と一喝した人がいる。このことについて、私はまったく知識を持っておらず「一人の外国人」とのみ承知していた。さすが外国人の観る目は違うと思い込んでいた。5/3の熊本日日新聞は「400年のまち・熊本城下を歩く」と題し、「お城解体の危機・新聞の父が見た明治四年の御殿」という記事を載せている。新聞人ジョセフ・ヒコなる人が、廃城を申し出て間もない熊本城を見て、「賛成しかねる」と強く主張したという。私が「外国人」と思っていたその人こそ、このジョセフ・ヒコであった。アメリカに帰化した浜田彦蔵という人であった。翌年西国巡幸の明治天皇は「名城」を感嘆された。明治十年の西南の役に於いて、熊本城がなかったならば官軍の勝利は有り得ただろうか。「破却」を言い出した人たちも、首筋に寒さを感じたかもしれない。
熊本城をどう育てていくのか、熱しやすく冷めやすい熊本人の真価が問われる。