津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

森鴎外著「堺事件」

2008-05-23 12:48:27 | 書籍・読書
 森鴎外の一連の歴史物の中に「堺事件」がある。
       青空文庫 www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2547.html
       堺事件  ja.wikipedia.org/wiki/堺事件

 当然のことながら小説であるから、いささかの脚色があることは当然であろうが、大岡昇平は、「森鴎外の『堺事件』は明治政府に都合のいいように事実を捻じ曲げていると批判し、国文学者と論争になった。そして自身で『堺港攘夷始末』の連載を始めたが、その中で鴎外が依拠した資料に既にゆがみがあったことが明らかになった。ただし『始末』は未完のまま大岡は死去した(九割方は出来ていた)」
                      Wikipedia-大岡昇平引用

 細川家はニ十人の処刑者の護送を命じられている、留守居・馬場彦右衛門、隊長・山川亀太郎の名前を文中に見るが、侍帳においては山川亀太郎は確認できない。ご存知のようにこの処刑は、十一名まで進んだ処で、立会いのフランス公使らが「驚駭と畏怖」とにより立会い不能となり中止される。残りの人たちは細川家並びに芸州浅野家に預けられる。大変丁重な待遇が成されたのは、赤穂浪士、井伊直弼襲撃の水戸浪士を預かった細川家ならではである。彼らは恩赦を得て釈放された。

       堺市・妙国寺 f-s-mahoroba.tsukaeru.jp/isinji/1868 SAKAI.htm
       幕末維新堺事件  www.geocities.jp/wbcjp/sakaijiken.htm
 ここには死者の碑を「御残念様」、生き残り者の遺品を入れた瓶を「生運様」と呼んで祀られているという。慶應四年、土佐はまだ攘夷の風の中に有った。
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細川家縁辺のこと

2008-05-23 08:09:09 | 歴史
 またまた、ぴえーるさんのブログからの拝借情報である。(お許しください・・)
兼見卿記・文禄五年十一月二日の条に次の記述があるという。
   「自丹後幽斎内義、息女廿四才、長岡平六女房衆也」
たったこれだけのことだが、貴重な情報である。幽齋の女「栗」のことだが、この人についての詳しい情報は少ない。例えば姉妹である吉田兼治室伊也(一色義有室・再嫁)や、木下右衛門大夫延俊室・加賀、小笠原長良室・千(長岡与九郎孝以室・再嫁)等に比べるとよく分からない。もっとも那仁伊に至っては余計分からないが・・・

 長岡平六とは幽齋の異母弟、山名(三渕)平左衛門好重のことである。
【母方名跡継、母は山名民部少輔一雲斎女 丹後にて賜千石
 元亀四年七月藤孝に従い青龍寺に移、長岡を称、慶長七年従五位下・伊賀守叙任
 豊前竜王居城 元和三年九月十五日小倉歿・五十七歳】

 栗は「文禄五年・二十四歳」と有るから生年は天正二年(1573)、
平六(兵六)は元和三年・五十七歳没」だから永禄四年(1561)生まれだろう。
十二違いの夫婦である。
 
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