津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

光琳寺通り

2008-11-14 15:23:12 | 熊本
 過日車で夜の繁華街に紛れ込んだ。脇道に入って近道し様と思ったのが、それがかえって災いし、にっちもさっちも動けなくなってしまった。若い男女が車が走る道であることを忘れて、勝手気ままに歩いている。
 夏目漱石が、「涼しさや裏は鐘うつ光琳寺」と詠んだかっての光琳寺町、いまは酔客で満ち溢れた歓楽の町である。江戸期の地図を見ると、現在の光琳寺通りはない。終戦後の都市計画で出来た通りだろう。両隣や裏の方は侍屋敷だが、道前は御長柄や中間の小さな家が立ち並んでいた。道筋は昔も今も殆ど変わっていない。今はただ下通り○丁目などという、旧郵政省の都合による町名に変わってしまった。光琳寺も太平洋戦争で焼失したとかで廃寺となって、今は全く其の痕跡を残していない。細川忠利に殉死したお犬牽の津崎五助のお寺であったらしい。
 通りを歩く酔客は、その通りの名の由来などまったく御存知なかろうし、漱石の俳句など論外の事だろう。不景気な世の中だが、酔客が集う街「光琳寺通り」である。
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宇土細川家藩主肖像画・三件

2008-11-14 11:19:41 | 新聞
                    「細川忠興像」(ウィキペディアより)
 
 今日の熊本日々新聞は、宇土市在住のH氏が宇土細川藩の藩主三人の肖像画を、宇土市に寄贈されたことを報じている。初代藩主・行孝公、九代・行芬公、十一代・行眞公だそうだが、写真をみたところ光永文煕氏編の「平成宇土・細川家系譜」に掲載されているものだと思われる。光永氏がH家所蔵の物を紹介されたという事だろう。この写真を見ると、行孝(立允)公の肖像画は、三齋公肖像画にそっくりだという事が分かる。親子だからありうる話ではあるが・・・。11/21から宇土市立図書館で公開されるというから、是非展観しておかなければならない。
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