熊本縣史料近世編第二所収「部分御舊記二--賞賜并選挙部五」p469に、荒木左馬介(細田清印=栖隠)の消息が見える。
■細田清印へ為合力金小判三拾両當年より永可相渡者也
寛永拾九年五月十一日 御印
奉行中
■荒木左馬介殿へ為合力金小判三拾両當年より毎年被遣
之旨津川四郎右衛門殿を以被 仰出之条 御印之儀被
仰上被下候 以上
寛永拾九年五月十三日 御印 奉行中
御取次衆中
荒木左馬介(細田栖隠)は、家光室付奥女中・荒木局の養子となったが、荒木局が罪を得て流罪となり、左馬介は細川家預けとなったものである。先にご紹介した荒木村重系細田氏の祖である。
その時期が寛永十九年であったことが伺える貴重な史料である。
■細田清印へ為合力金小判三拾両當年より永可相渡者也
寛永拾九年五月十一日 御印
奉行中
■荒木左馬介殿へ為合力金小判三拾両當年より毎年被遣
之旨津川四郎右衛門殿を以被 仰出之条 御印之儀被
仰上被下候 以上
寛永拾九年五月十三日 御印 奉行中
御取次衆中
荒木左馬介(細田栖隠)は、家光室付奥女中・荒木局の養子となったが、荒木局が罪を得て流罪となり、左馬介は細川家預けとなったものである。先にご紹介した荒木村重系細田氏の祖である。
その時期が寛永十九年であったことが伺える貴重な史料である。