度支彙函1032に「細川楽眞老(文政十年)正月十五日死去ニ付、今日一日御穏便之段、二月十一日御達」という記事がある。
楽眞老は本名孝應(タカマサ 雅楽之助・勇吉・君中・蘭崖)、宇土細川家・和泉守立禮(本家に入り齊茲)の次弟である。姉・埴姫は本家の治年夫人であり、立禮が治年の跡を相続したため、その子立之が僅か四歳で立禮の跡式を相続した。このため與松立之成長まで後見役となる。寛政十一年十一月本家より米五百俵進せらる。享年67歳。喜連川家に養子として入った孝常は孫である。
後見をした立之は文政元年に先だっている。立之の嫡子・立政は15歳で遺領を相続するも本家齊樹の死去に伴い本家相続した。齊護公である。宇土細川家は立政の弟・熊之丞之壽を養子として、跡式相続した。行芬(ユキカ)公である。
楽眞老の感慨如何ばかりであったろうか。