津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

八代未来の森ミュウジアム「なるほど八代城」展

2013-08-03 12:04:02 | 展覧会

                               

                      暑いさなかの展覧会だがこれは出かけねばなるまい。帰りにあちこち尋ねようとルート設定を楽しんでいる。

 
 

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若御前さま御流産

2013-08-03 09:31:47 | 史料

 治年公は若くして(29歳)で亡くなるのだが、三男二女を得られたがすべて側室の腹による。
度支彙函の「明和より天明迄法令條論」(藩法7・熊本藩)をみていたら、天明三年の項(354)に「若御前様八月六日御流産之段、八月廿五日御達」とあった。(p626) 
若御前様と呼ばれるのは若殿の正夫人の事であるから、治年公夫人・埴姫であり、その埴姫が流産されたことを示している。

埴姫は宇土支藩藩主で名君として知られる興文公女である。三歳七ヶ月年上の姉様女房で、結婚は天明二年四月十一日である。わずか五年ほどの結婚生活であり、再び子をなすことはなかった。側室の男子も幼かったため、埴姫の実弟・宇土支藩藩主立禮を養嗣子とした(齊茲)。

わずか一行の記事を見付け出し、その事実を確認して思いを馳せると、埴姫の無念さがひしひしと胸に迫ってくる。 

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