誰とは記していないが多分重賢公のお食事であろうと思われる。
誠に質素なものだが、これは度支彙函の「寛延から文化迄節儉號令」にあるもので、侍を始め農町民にこれをしらしめることにより、みずからも節約に努めるようにとの意味合いが見て取れる。
一、上之被召上物、朝御膳は御茶漬之御飯・御香物・御焼味噌・梅干之類ニて被召上、御料理ものハ不及申、御汁も
不被召上候
一、御夜食前、御吸物外ニ御在合之輕キ御肴一種ニて御酒被召上、御夜食ハ御香物・御焼味噌迄ニて被召上候
右之通之御様子は當時之御定規ニて、御保養之為ニも可被為在候得共、兼て飲食之著侈と被遊御意候ニ付、御誡
旁々思召ニも可被為有難有儀御座候間、乍恐右之御様子御家中之面々は不及申、末々ニ至迄奉存候ハゝ、分々之
心得ニも可相成儀ニ付、今年柄之儀彼是組々えも無規度寄々可被申聞置候
「肥後諷刺文学」をみると、宝暦の改革の立役者たちをネタにした落書などが見える。
それは藪市太郎(従兄弟)であったり平井三郎太夫(義弟)であったりするのだが、これがごく近い血縁であったことを知って少々驚いている。
又政敵として重賢公に封書を上げて平太左衛門を攻撃した益田弥一右衛門は、娘婿の父親である。
藪 弥次左衛門---+---久左衛門----+--市太郎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (市太郎家)
| (槙庵) | (槐堂)
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| +--茂次郎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (小吉郎家)
| (孤山)
+---●
∥--------堀平太左衛門
堀 二郎大夫 ∥----------+---丹右衛門 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 堀家
+------● |
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平井杢之允----+---三郎太夫 |
+---民之助(木下氏)
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+---●
| ∥
益田弥一右衛門--------弥一右衛門 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 益田家
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+---● 西山弥次郎・室
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+---大八(松野亀右衛門養子・・病気にて離縁)