一、江戸ゟ御下國の刻岡崎の入口に廣き所茶屋有之候所に松平丹波守様御家来乗物引馬にて下馬仕居被
申候 拙者参候て其儘御召候へと申歸候得は唯今の者は家老と見へ申候 念を入れていねいにじぎ仕候や
先刻丹後(ママ)守殿供の侍共四五人下馬仕候刻何も手を土に付居申候 我は手を付不申候てじぎ仕候 定て乗
物にさわると存候て手に土つき可申と存たると思召候 併御意にて手よこれ申は不苦候侍の手を土に
つき居候時は何時も我も手をつき候てじぎ仕候へと被仰聞候 ケ様の事も能々心付可被申候 如御意
常に手よこれ不申様にと覺悟仕候事能く御覧被成候て右之通に被仰聞候と奉存候
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次も過去に単発で取り上げていたので、一応順番として再度ご覧いただくためにサイト内でリンクさせた。
(細川家・黒田家不仲の折、黒田如水豊前に忠興公を訪問の事)
■確執の中の細川・黒田両家
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一、或時神田橋の邊内へ御通被成候刻内ゟ乗物にて馬引せ三千石計の様子にて参候者下馬仕候 此方の御
先供其外見知り不申候 太守様も御駕すへ候得と被 仰候故御駕すへ候得と申付候處乗物ゟ急き下
りはたしにて走り/\其儘被遊候様に私は森美作守家来各務三右衛門と申の由申上候 私へ被仰
聞候は唯今のは森美作殿家老にて候惣躰皆か格にても唯今の様成家老共には駕すへ申様に源兵衛にも
申聞せ候へ今度道中にて堀次郎右衛門兒小姓共召れ候て松平右衛門佐殿に何も下馬仕候へは右衛門
佐殿も乗物より下り被申又舎人もとこやらにて下馬仕候へは乗物ゟ下りられたると御聞被成候由被
仰聞候時二郎右衛門は興津の宿にて御意の通に下馬何も仕候由舎人殿はさつた山にて下馬仕候由私
へ両人共に咄聞せ申候由申上候へはいかにも/\能覺居申由 御意被成候事
・ 森美作守の人物の特定ができないでいる。長継か!!!
・ 各務は「かがみ」とよみ清和源氏・義光流だとされる。
ガラシャ夫人に殉死した小笠原氏も加々美氏を称し清和源氏・義光流とされるから、ルーツをたどれば同根と云うことになる。
・ 松平右衛門佐は黒田忠之のことか・・・・・