細川藩士・田中八郎兵衛の帰国の途中袋井の宿で起きたこの事件は驚くべきものであり、「細川家譜--細川綱利譜」に特に記載されている。郷土資料としても雑花錦語集(巻百八十二)に 「7 田中八郎兵衛事」、 藻塩草 (巻76) に「 54 田中八郎兵衛斬徒僕 近代正説砕玉話」と夫々紹介されている。
(延宝)七年己未五月江戸留守居役田中八郎兵衛政盛遠州袋井ノ驛ニテ家人九人ヲ搦メ取彼地ニ於テ誅伐ス
先是八郎兵衛江戸表詰代リ發足ノ以前ニ家司自殺セリ 何心ナク出立セシカ袋井ヨリ二三宿前ノ駅ニテ年久シク召仕タル鑓持八郎兵衛カ厠ニ往クヲ伺ヒ小紙半枚ニ書タルモノヲ窓ヨリ投入テ立去ル ■テ披キ見ルニ家来共申合セ八郎兵衛ヲ殺シテ金銀ヲ分チ取ルヘキ巧ミ既ニ久シク先二家司モ悪徒共刺殺シテ自害ノ姿ニイタシタル由其身モ一味ニ加ラスハ忽チ殺サルへシト思ヒ詐リテ同心シ一度ハ物ノ用ニ立ヘキ歟ト書キタリ 八郎兵衛奇特ニ思ヒ夫ヨリ袋井マテ晝夜油断ナク既ニ熟睡セサル事三夜ニ及ヒ猶此上ニ労レテハ如何ナル不覺ヲ取ンモ測リ難シ サラハ今夜悉ク手討ニスへシト覺悟シ宿ニ至ル 此日同藩ノ稲津次郎兵衛・永田金左衛門江戸ニ赴クトテ同驛ニ泊リケルカ稲津は兼テ別懇ナルユヘ竊ニ右ノ子細ヲ語リ永田モ共二相謀リテ事故ナク不残搦メ取ル サテ八郎兵衛ハ此駅ニ滞リ次郎兵衛等は急キ江戸ニ至り右ノ由ヲ達スルニ綱利八郎兵衛カ壮気ヲ感シ早速公邊ノ許免ヲ蒙リ袋井駅ニ於テ九人ノ悪徒共ヲ誅伐ス 八郎兵衛ハ遂ニ熊本二歸着セリ
■ 田中八十郎 (南東22-22)
・田中勘右衛門(入道長胤)
・善左衛門
・五郎兵衛(初・岩松 八郎左衛門 平之允政重)
1、八郎兵衛・政盛
(1)御詰衆 五百石 (真源院様御代御侍名附)
(2)五百石 (真源院様御代御侍免撫帳)
(3)御使番衆 五百石 (寛文四年六月・御侍帳)