一、綱利公は御幼少の時ゟ御三家にても御刀御差御通被成候由水戸様にて見申候 松平陸奥守様御刀御持
せ被成御通候其外は不及申候 尤御屋敷ゟ御出入 御花畑も御同然松平土佐守様御屋敷は御玄關にて
御乗物より御出被成候時尤此方同前にて御迎に五六人出居申候 御駕に御刀も御扇子色々被召置其儘
御出被成り候 跡にて右の罷出候者御刀御扇子色々持候て参見申此方とは替りたる儀と存候 土佐守様御
居屋敷にては朔日十五日廿八日毎度御門くゝり戸足軽共御門番に上番と見へ上下着或は羽織にても
侍と見へ申者一人ツゝ居申候 不断の儀は不存候 此方屋敷などで表御門にも規度仕候御客御振舞の
時は御鐡炮頭両人御門番居向合に少高く御座候處に詰居申候 或時土佐守様御門前御通候時に右の
上番と見へ申者罷出居申候 御手を被出候 其刻拙者に御意被成候は今日は客か有かと御尋被成候故い
や御禮日には上番罷出居申由申上候 少御不審の様に奉存候 井伊掃部頭様御居屋敷は前々ゟ不断御門
は開き居申候 就夫上番上下にて不断御門番居申高き所に居申候 上下の御屋敷共に加藤主計頭清正同
忠廣御二代の御屋敷と承申候 掃部頭様御拝領被成不断御門開れ候事は譯有由承候 委細は不存候 唯今
は不存候 拙者見申時分夫々御家/\替候事多く備前御城主伊豫守様には御心安く度々御供に参
候 御廣間御番人物頭は小屋より鎗持せ出申候 皆共居申腰掛の後に御家中下々居候 腰懸御座候 見候へ
は腰懸の板より上に段々鎗かけ候故何本も懸り下々も其儘取能見へ申候 角入に咄申候へは前々より
向の御下屋敷より御番に出候者鎗もたせ申候 定て御居屋敷の者頭は尚以持せ可申と被申候
一、此方上御屋敷御作事出来仕上に被成御座候事は當年迄三十九年に成申候 其前は芝に被成御座候上御
屋敷御作事致出来皆共小家等なと萬事御作事方堀次郎右衛門殿御聞候故御屋敷内惣雪隠もすくなく八
丁堀より芝なとより鎗持せ参候衆も小屋々々の塀持置候 又馬屋計にて見申候へは馬の置所も見へ
不申候 鎗かけの儀は松平伊豫守様にはヶ様/\抔と咄申候へはとくより承候はゞいかにも成申事候得
共最早内の御作事萬事調申御庭御屋敷にひけ申故立可申所なく成申候 鎗かけは裏御門番居候向の壁
にと申候へ共夫も二階に火事道具入置候所にて出入につかへ申候 拙者小屋角小屋同名半助と相小屋
にて居申候 雨降候時分大分水落致難儀次郎右衛門殿に申候へは尤とて御屋敷の小屋不残角々にはとい
かかり能成申候 二階にて鬚そり申にも敷居高く候故是も二階に上り恰好能く下ヶ申か上ヶ下ヶに初
ゟ氣を付候はゝ能く可有之候 別に御物入は御座有間敷候 惣躰我物にいたし物事心付申候はゝ小屋に
居申者後々迄悦可申と存候 此比承申候へは上御屋敷小屋の窓も能かけんに明り惣雪隠も所々に御座
候由承申候
蜂須賀
一、前廉芝に御座候時分松平阿波守様年始の御供に参候へは御門番共丸に萬字の御紋付候上下一両
人着仕候故拙者も不審に存尋申候へは皆共式にても大坂御陣を勤申候者の子孫には如斯暮々に拝領
仕由申候 其後ゟ召仕候子孫には遣不申由申候 木畑傳九郎咄承候 阿波守様に傳九郎弟居申候由に候知
行取も二様に御座候 代々地方を被下候者と御蔵にて米拝領仕候者と二色に御座候由咄申候 其家々に
て替り申候と存書置候