(日向延岡への御使い)
一、熊本ゟ日向國懸唯今は延岡と申牧野備後守様御子孫之由五十年以前有馬左衛門佐様被成御座候 其時
九州の廻状唐船の事に付急きの御使に罷越申候 八月末にて俵山を下り申刻大雨雷雨にて松明もてふ
ちんも消へて道も見不申いなひかりの影にて道筋見へ歩行にて七曲と申下り坂別て致難儀候 歸候て
承候 其夜熊本も右の通にて京町へ松山権内妹両人共にとんとの淵に身を投果候 御吟味にて権内は
御暇被下候 偖漸々下り高森の高森吉右衛門御惣庄屋所に参候 夫ゟ岩上口に此方の御關所御座候 岩上
より日向へは大形下り坂迄或は大すゝき左右茂り道計少し明夏はくちなわ多く薄の上ゟ落申由人馬
もすくなく提灯傘も初て見申候由是にて察可被申候 熊本にて承候へは三十里餘と承候故鶴崎道中の
積りにて一日一夜に着可仕と食も熊本ゟ致持参候にて可参と存候へは思の外道も遠く日之影綱の瀬
と申所は一里有之人馬替り申候谷へ下りいかたにて川渡りから尻馬にても馬そいと申夫二人つき参
中々乗られ申道にてなく偖馬も野につなぎ申えお引に参候に付中々埒明兼申候旨食給候時に漸鹽に赤
からしを馳走に出申候 銭もなく銀子持参候へ共右の仕合故人馬の代も遣可申様なく候て所々にて庄
屋名を書付尤道法も委曲書付申て岩上(神)御關所迄歸申候 折節平野武左衛門と申歩の小姓拙者幼少の時
分ゟ三盛心安く被参候年寄右の關所に居候故幸に存致談合銭を調申岩上より日向の内にて人馬宿賃拂
候て請取とり候てくれ候様にと申御用同前の事とて態々百姓両人武左衛門申付遣申候 偖日向へ着仕
客屋に参何の平之丞と申者罷出取次申候 拙者へ尋申候は此法に居申候平野萬之丞と申者暇遣申候 承
候へは此比子共を両人共に越中守様被召出候様沙汰承申候 兄弟共いか様の位に被召出候哉親萬之丞
儀は知行も遣候て代々召仕候 惣體家の法度にて暇遣候者の所へ見舞不申候様に申付置候處萬之丞
心安く語申候侍船に乗組候處に見舞に参候儀不届に存奉公も構候て暇遣申候 右の通に御座候へはさ
のみ首尾悪敷と申事にても無御座候と咄申候故拙者申候は親は承及知る人にても無御座候 世忰久右
衛門・作右衛門両人共に拙者心安咄由申候へは偖はさようにて御座候哉いか様の位に被召出候哉と
尋候故中小姓と申に兄弟共に召出し申由申候 其後間もなく日奈久御入湯の内熊本ゟ是も急きの御用
とて松野八郎左衛門御奉行勤被申候 只今郡源太夫屋敷へ居被申候間町馬も呼寄門外に居申八郎左衛
門は拙者可参とて玄關の次に出臥候て文箱渡被申候 日奈久迄段々先々馬の事申遣候随分急き参候へ
と被申候て夜通に参申候て日奈久へ着仕候へは一里餘有之處へ御出被成候故御跡したひ候て大河原
治部之進を以御文箱差上申候 折節稲津次郎兵衛御供に参居候に付拙者に逢可申とて其儘被申候て
先日日向へ御使に御出之由承及申候 日向にて久右衛門・作右衛門事尋申候に偖々兄弟共に中小姓とは
能く心を付申たると悦被申候 惣體箇様の時は其身の位能申たるか能由承申候 歩使番と申事は御家は
かりの名にて候因幡國なとにては八人衆と申由昔ゟ御駕跡に八人御供仕候より右の名と承及候 其家
々にて色々な替り申候へ共歩と申計にて中小姓同前 妙解院様最前三十人被召抱定御供勤の以後骨
折申年も寄候とて六十人に被成おれか者と御意被成候由いな事御意被成候 尋申候へは皆々御意に叶
たる者迄にて道中は不及申江戸にても御使其外御用相勤使者歩とも名付被成候由承及候 就夫 御代
々御取立被成候者多く拙者共同前村井源兵衛御中小姓望申候へ池部悰川甥椋梨彌八郎同前と坂崎清
左衛門殿内意被申候へ共定御供望歩の御使番と源兵衛望申由拙者に咄申候 御代々の事他所にても
能承申たると存候 偖日向ゟ歸候て米田助右衛門殿月番にて参候て物書段々日向にての様子申達候へ
は存知の外遅く歸候由御申候旨拙者申候は御尤と存候私儀鶴崎道中の道法にて一日一夜には着可仕
覺悟にて熊本ゟ食も用意仕候處に鶴崎道中ゟは山坂谷峰多く馬も野につなき置候を引に参候て馬を
飼申事の外田舎にて銭なとも無御座岩上の御關所番人頼申候百姓を遣宿ちん人馬の代も遣申候 如斯
書付参候とて道法人馬継申候村々書付見せ申候 其後罷出申候は偖々被入念能く御書付被成候 是は此
方に留置寫させ置可申候由にて留置れ候 其後戻不被申候故其書付は見へ不申候 其後仲光半助も日向
へ御使者に被参候て難所の咄木曽路なとよりは道あしく田舎にて萬事不自由に候 熊本ゟ外に道御座
候得とも道法遠く御座候由平野作右衛門咄申候 唯今平野久右衛門伯父にて御中小姓にて果申候 拙者
歩御使番勤候刻は近使・中使・遠使とて多く十年勤候内如形の方々仕候 定御供の歩御使并御先供は熊本
御供計相勤申候 御泊り御鷹野野(ママ)にも御免被成候得共村井并拙者は御駕奉行故熊本にても両人にて勤申
候 後に御案内は熊本にて御供に出候様に外には水前寺にも御供御免被成候 右の仕合ゆゑ村井并拙者
は數十年別て/\無隙に勤申候 然共少も/\苦に不存相勤申候 拙者三十にて御籠奉行相勤候 歩の
御使番の時は給候物も嫌ひなく鹿猪も給申候へ共御奉行に成候ては日忌申候故無勿體存給不申候 五
十念に成申候 其前江戸より塔の澤と申相州の内小田原より三里程御座候 たむし御養生に被為成御入
湯候 歩の御使番の時にて御供に参山中には朝晩鹿を給申候 老父存生にて咄聞せ候へは偖々湯に朝暮
入候て猪給申は無勿體存候 必々癩病煩候者と被申候 鶏は不及申或時江戸吉祥寺の老僧虎白和尚拙者
小屋の隣に居被申候て鶏時をうたい申たるを聞申され使僧にてもらひ被申候 廿四五の時にて偖々お
しく存候へ共和尚ゟもらひ被申候故不及力遣し申候 八十に成候て近年庭鳥給不申名君家訓見候て止
申候 鳩も薬と承候得共 八幡信 申は給不申候由同名文左衛門は若き時分不被申候 是も子孫の為
と存近年給不被申候 漸々八十に成候て如斯候