津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「旦夕覺書」--月・19

2015-03-13 11:25:20 | 史料

                  (日向延岡への御使い)
                一、熊本ゟ日向國懸唯今は延岡と申牧野備後守様御子孫之由五十年以前有馬左衛門佐様被成御座候 其時
                  九州の廻状唐船の事に付急きの御使に罷越申候 八月末にて俵山を下り申刻大雨雷雨にて松明もてふ
                  ちんも消へて道も見不申いなひかりの影にて道筋見へ歩行にて七曲と申下り坂別て致難儀候 歸候て
                  承候 其夜熊本も右の通にて京町へ松山権内妹両人共にとんとの淵に身を投果候 御吟味にて権内は
                  御暇被下候 偖漸々下り高森の高森吉右衛門御惣庄屋所に参候 夫ゟ岩上口に此方の御關所御座候 岩上
                  より日向へは大形下り坂迄或は大すゝき左右茂り道計少し明夏はくちなわ多く薄の上ゟ落申由人馬
                  もすくなく提灯傘も初て見申候由是にて察可被申候 熊本にて承候へは三十里餘と承候故鶴崎道中の
                  積りにて一日一夜に着可仕と食も熊本ゟ致持参候にて可参と存候へは思の外道も遠く日之影綱の瀬
                  と申所は一里有之人馬替り申候谷へ下りいかたにて川渡りから尻馬にても馬そいと申夫二人つき参
                  中々乗られ申道にてなく偖馬も野につなぎ申えお引に参候に付中々埒明兼申候旨食給候時に漸鹽に赤
                  からしを馳走に出申候 銭もなく銀子持参候へ共右の仕合故人馬の代も遣可申様なく候て所々にて庄
                  屋名を書付尤道法も委曲書付申て岩上(神)御關所迄歸申候 折節平野武左衛門と申歩の小姓拙者幼少の時
                  分ゟ三盛心安く被参候年寄右の關所に居候故幸に存致談合銭を調申岩上より日向の内にて人馬宿賃拂
                  候て請取とり候てくれ候様にと申御用同前の事とて態々百姓両人武左衛門申付遣申候 偖日向へ着仕
                  客屋に参何の平之丞と申者罷出取次申候 拙者へ尋申候は此法に居申候平野萬之丞と申者暇遣申候 承
                  候へは此比子共を両人共に越中守様被召出候様沙汰承申候 兄弟共いか様の位に被召出候哉親萬之丞
                  儀は知行も遣候て代々召仕候 惣體家の法度にて暇遣候者の所へ見舞不申候様に申付置候處萬之丞
                  心安く語申候侍船に乗組候處に見舞に参候儀不届に存奉公も構候て暇遣申候 右の通に御座候へはさ
                  のみ首尾悪敷と申事にても無御座候と咄申候故拙者申候は親は承及知る人にても無御座候 世忰久右
                  衛門・作右衛門両人共に拙者心安咄由申候へは偖はさようにて御座候哉いか様の位に被召出候哉と
                  尋候故中小姓と申に兄弟共に召出し申由申候 其後間もなく日奈久御入湯の内熊本ゟ是も急きの御用
                  とて松野八郎左衛門御奉行勤被申候 只今郡源太夫屋敷へ居被申候間町馬も呼寄門外に居申八郎左衛
                  門は拙者可参とて玄關の次に出臥候て文箱渡被申候 日奈久迄段々先々馬の事申遣候随分急き参候へ
                  と被申候て夜通に参申候て日奈久へ着仕候へは一里餘有之處へ御出被成候故御跡したひ候て大河原
                  治部之進を以御文箱差上申候 折節稲津次郎兵衛御供に参居候に付拙者に逢可申とて其儘被申候て
                  先日日向へ御使に御出之由承及申候 日向にて久右衛門・作右衛門事尋申候に偖々兄弟共に中小姓とは
                  能く心を付申たると悦被申候 惣體箇様の時は其身の位能申たるか能由承申候 歩使番と申事は御家は
                  かりの名にて候因幡國なとにては八人衆と申由昔ゟ御駕跡に八人御供仕候より右の名と承及候 其家
                  々にて色々な替り申候へ共歩と申計にて中小姓同前 妙解院様最前三十人被召抱定御供勤の以後骨
                  折申年も寄候とて六十人に被成おれか者と御意被成候由いな事御意被成候 尋申候へは皆々御意に叶
                  たる者迄にて道中は不及申江戸にても御使其外御用相勤使者歩とも名付被成候由承及候 就夫 御代
                  々御取立被成候者多く拙者共同前村井源兵衛御中小姓望申候へ池部悰川甥椋梨彌八郎同前と坂崎清
                  左衛門殿内意被申候へ共定御供望歩の御使番と源兵衛望申由拙者に咄申候 御代々の事他所にても
                  能承申たると存候 偖日向ゟ歸候て米田助右衛門殿月番にて参候て物書段々日向にての様子申達候へ
                  は存知の外遅く歸候由御申候旨拙者申候は御尤と存候私儀鶴崎道中の道法にて一日一夜には着可仕
                  覺悟にて熊本ゟ食も用意仕候處に鶴崎道中ゟは山坂谷峰多く馬も野につなき置候を引に参候て馬を
                  飼申事の外田舎にて銭なとも無御座岩上の御關所番人頼申候百姓を遣宿ちん人馬の代も遣申候 如斯
                  書付参候とて道法人馬継申候村々書付見せ申候 其後罷出申候は偖々被入念能く御書付被成候 是は此
                  方に留置寫させ置可申候由にて留置れ候 其後戻不被申候故其書付は見へ不申候 其後仲光半助も日向
                  へ御使者に被参候て難所の咄木曽路なとよりは道あしく田舎にて萬事不自由に候 熊本ゟ外に道御座
                  候得とも道法遠く御座候由平野作右衛門咄申候 唯今平野久右衛門伯父にて御中小姓にて果申候 拙者
                  歩御使番勤候刻は近使・中使・遠使とて多く十年勤候内如形の方々仕候 定御供の歩御使并御先供は熊本
                  御供計相勤申候 御泊り御鷹野野(ママ)にも御免被成候得共村井并拙者は御駕奉行故熊本にても両人にて勤申
                  候 後に御案内は熊本にて御供に出候様に外には水前寺にも御供御免被成候 右の仕合ゆゑ村井并拙者
                  は數十年別て/\無隙に勤申候 然共少も/\苦に不存相勤申候 拙者三十にて御籠奉行相勤候 歩の
                  御使番の時は給候物も嫌ひなく鹿猪も給申候へ共御奉行に成候ては日忌申候故無勿體存給不申候 五
                  十念に成申候 其前江戸より塔の澤と申相州の内小田原より三里程御座候 たむし御養生に被為成御入
                  湯候 歩の御使番の時にて御供に参山中には朝晩鹿を給申候 老父存生にて咄聞せ候へは偖々湯に朝暮
                  入候て猪給申は無勿體存候 必々癩病煩候者と被申候 鶏は不及申或時江戸吉祥寺の老僧虎白和尚拙者
                  小屋の隣に居被申候て鶏時をうたい申たるを聞申され使僧にてもらひ被申候 廿四五の時にて偖々お
                  しく存候へ共和尚ゟもらひ被申候故不及力遣し申候 八十に成候て近年庭鳥給不申名君家訓見候て止
                  申候 鳩も薬と承候得共 八幡信 申は給不申候由同名文左衛門は若き時分不被申候 是も子孫の為
                  と存近年給不被申候 漸々八十に成候て如斯候
                  
                   

                   

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■「旦夕覺書」--月・18

2015-03-13 07:04:15 | 史料

                 (藪三左衛門のこと) http://tikugo.com/osaka/busho/hosokawa/b-yabu-masa.html

                一、三齋公御代に藪三左衛門殿は御家ゟ立退紀州大納言頼宜公へ三千石にて被召出候由紀州にて毎年正
                  月初に御鷹狩に御出被成候儀御吉例にて御供は大名多く相應/\に人も多く召連銘々場所に結構成
                  るどんす或は絹幕に定紋付け瓣當も長持に魚鳥料理させ荷物も多く持せ給へ申事も埒明不申揃申
                  儀度々延引候 藪三左衛門殿召出候て御供に被召連候て御覧被成候へは布の幕うち主従共に腰瓣
                  當三左衛門は将机にて幕をしほり一番に給仕舞居申候を御覧被成
                  三齋所に居申たる様子顕れ見へ申候 向後何も御家來共絹幕無用布に仕瓣當もかろく三左衛門ことく
                  可仕旨被仰聞候由承及候 親藪内匠殿は豊前米田監物肝煮にて壹萬貮千石にて被召出候由
                      内二千石は與力の様に内匠殿家来にては無之候へ共或は縁者又は所々にて手に付働有之者の内湯浅三太夫は五百石被下候
                              弟出羽右衛門湯浅角太夫代に御暇被下候 
服部・真野・松村大勢内匠上りと申候        其刻監物殿は六千石にてさのみ

                  内匠殿におとり不申監物か内匠被召出偖々能き者御家に参候とて歓被申候由御聞候由にて長岡筑後
                  殿御咄候由白木貞右衛門咄申候

                一、光尚公御代江戸にて藪三左衛門被参候へは其儘御逢被成三左今日暇ならは緩々と居語り可被申候御
                  手前にて茶を振舞可申と御意被成三左衛門も忝かり御意にまかせ御茶も被下候て歸被申候刻御送被
                  成偖々三左衛門はおしき者を 三齋の御出し被成候唯今にても歸参可仕ならは一萬石餘も可被下と
                  御意被成候由同苗不白其時分御兒小姓にて見申候 男も如形能く偖又御茶被下候様子 三齋公御側
                  被召仕候と見へ申様に御座候由不白被申候 唯今小納戸役に藪七郎右衛門と御座候は三左衛門殿子孫
                  と承候由十年程以前熊本ゟ紀州へ横山藤左衛門御番頭の時被参候 被歸候て承候 紀州は御家老の外大
                  名は跡へり候て被仰付候に藤左衛門被参候刻も三千石迄は取不被申孫にて候様に被申候 松平安藝守
                  様御家も紀州様同然と承申候

                一、江戸より紀州へ御使に参候大坂へ着仕見申候へは紀州大納言様御家老中へ被遣候御文箱の葢のわき
                  つゝら入申所にふた合兼もめ申候哉名書の所は其儘にてわれ候故大坂にて能仕候 重ても可有事に
                  て候間書置念に入別の箱に入候か上を能くそこね不申われぬ様に御心得可有事と存候 松平左京大
                  夫様へも御文箱参候 是は道中池鯉鮒の御一宿に差上申候 御宿の外御幕は布白地に紺の御紋付申候
                  御玄關の幕はそんすのまん幕色替りに御座候

                 (綱利公室本源院様養父・松平頼重公への使者を勤む)

                一、熊本ゟ松平讃岐守頼重公御代高松へ御鷹の鴨并名酒持せ参候御書奉行は仲光平助・不破十之丞勤申候
                  砌江戸ゟ大坂迄高松へ御書被遣候刻大坂ゟ小早の船頭持参仕熊本ゟ御飛札と被仰遣候得共讃岐守様
                  御意には其飛脚輕き重きと申殊にてはなく 越中殿無事の團直に御聞被成度思召旨にて御座候處に
                  大坂船頭之旨御断不罷出候由沙汰有之候 就夫今度御飛札と申参候得共右之首尾有之候はゝ随分御
                  断可申上候へ共時により召出可申殊も可有御座候間其心得仕候様にとの事に候 其刻近所に上月十郎
                  左衛門他所ゟ之御使者参候時分に出候使者番勤被申候故方々ゟ使者の様子承申候 大形は其家の歴々
                  家老なとの事尋年なとも尋申候儀に候 其心得仕候へと被申聞候 偖右之被進候荷物山坂日影なと心付
                  念を入候て持参仕候様に被申拙者申候は高松へは船にて参候候由汐時にゟ直に御客屋に船着申と承申
                  候 讃岐守様御精進日承申其日は着不仕候様にと申候へは偖々尤に存候吟味仕書付可進候由被申候 其
                  刻迄は御書所に何も御取遣御一類様中の御精進日書付無之候 其後見申候へは御精進日は不及申色々
                  の御書付有之と見へ申候 不破十之進は酒好にて高松はからすみの名物にて候 御調被下候へと頼被申
                  候 鶴崎へ着仕候へは加々美善右衛門と申御船頭の頭申候は惣躰御中小姓ゟ上に屋形御座候船相渡申
                  候 今度もひらた船申付候由に申候に付拙者申候は兼々の御定と御座候得共今度熊本立申時御鷹の鴨並
                  名酒被進候間も山坂念を入日影の事迄御書奉行衆念を入候へと被申聞候 右の通に候故延引仕候は
                  ゝ熊本へ被仰遣御尋可被成候 其内逗留可仕候 ひらたに乗参候て右の御進上物に懸浪かかり申か雨な
                  とにぬれ候て被仰付候甲斐無御座候由申候へ共打寄讃談可仕候とて屋形有之船を渡し申屋形に御進
                  上物入候ても拙者居候所ゆるりと御座候 高松壹里手前に香西(コウザイ)と申所へ汐かゝり仕翌朝夜明候て客屋
                  の所に直に船着申候 御進上物加子共に持せ上り申候 無程横井角右衛門と申三百石被下御使番と承候
                  罷出取次申讃岐守儀一両日以前より少し程遠き所に泊り鷹野に参り申候間則御音信物等持せ遣可申
                  候右の様子に御座候間ゆる/\御休息候へと朝晩御料理被下候 其内色々の咄とも承候 拙者へ八代御
                  城下の様子尋被申候故私儀肥後の生れにて御座候得共熊本より十里餘御座候故未見不申候由答候へは
                  いかにも左様に可有御座候私事は水戸殿よりつけ被申候て参り候 西國にても高松は名所多く承及申
                  候 近き頃八島壇の浦なと見申候 御自分は若く殊には御生國と御座候へはいつにても御覧可被成と思
                  召儀は餘儀なく候 其刻老父存命の内にて高松平野三悦とか知人有之状遣候 届候へは即刻見舞に被参
                  候 永屋権太夫親類是も状届候へは見舞被申候 両人共に唯今名致失念候 夕飯被下候て御返書出申候遠
                  方に被成御座候故不召出候とて御銀壹枚被為拝領候 歸候刻干鹽にて御客間御門より町を通り船場に
                  出申候 小早船の加子揃着物にてかたをかし候て本船に参候 御町通申にも水打偖も/\も上下貮人にて
                  通り迷惑仕候事覺申候                 

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