津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■秋葉社参詣

2015-03-30 11:31:51 | 徒然

                                                              表示が秋葉社     表示が観音社

■肥後先哲偉蹟から 竹原勘十郎(紫海)8・了 の最後に登場した、治年公の秋葉社・観音社参詣に関わる記事が面白い。
参詣にあたり付き添う人たちが刀を差すか差さぬかの議論である。

この秋葉社、観音社というのは熊本の花畑邸内にある御社である。はっきりしたことは承知しないが、秋葉社は火伏の御社であろうか。
「御問内同然の御庭とは乍申、ちと廣過候得共、太平也」だから、脇差だけでもよかろうという治年周辺の判断の様であるが、竹原玄路には時代の流れには逆らえないというような寂しさが伺えるようだ。花畑邸内とはいえ、殿さまも御居間から庭下駄でちょっとという訳にもいかないのだろう、用人や近習がついて行くについての帯刀の話である。 
絵図(御花畑全図)にあるように秋葉社並びに観音社は花畑邸の南の端に位置する。現在の花畑公園の東、花畑町13番あたりに成るのではなかろうか。
広大な屋敷の約半分は庭づくりが為されており、ゆたかな木々の森があってその中に両社が鎮座している。
すぐ近くには番所が設けられており、藩主が在国中は度々参詣をされたのであろう。
御居間からか玄関からかどこから出られたのか判らないし、どんな道筋であったのかも窺い知れない。


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■肥後先哲偉蹟から  竹原勘十郎(紫海) 8・了

2015-03-30 06:57:44 | 史料

                一、年月は覺えず、爾が事を呵(シカ)るもの、多さま/\に申す者、ケ様々々の事は實なる歟と御尋あり、難
                  有事なり、夫はケ様々々、是は無き事なり、是は實なりと、明白に申上ければ、爾豪気の者故不
                  思に人を呵り、人の悪き事を、目前に恥を與へる様の事可慎、口を守る事如瓶せよと、御呵なり、
                  さて此比は爾が事をよく云、推擧する者多し、加録升進の事を聞、爾いかゞ思ふぞと御意あり、玄
                  路申上るは、人として人として加録升進、不望はあるまじきなり、然しながら、君の御為には命を捨て
                  禄を捨つべきなり、今玄路を御取立なされ、厚禄を給はり候はゞ、専身の為に、さま/\に申上
                  て、御意に入候なとゝ、諸人目を附て、様々の事を、風説致すべし、人傑を得給ひては、大禄を給る時
                  は、人心皆是に目を附て、重ずるなるべし、玄路如き愚昧なる者は、大禄を給はり候へば、人の憎
                  みます/\強くなり、上の成され候事も、彼申上候て取計候など申候ては、君徳薄くなり申候、御
                  用に不立愚人なりと、人の云を、予が本望と存ずるなり、必加録し給ふこと勿れと申上るに、功に随
                  ひ勤に因て、禄を増し席を進るは、君の道なり、玄路申上候は、君の御意は、其人に應じられ候こ
                  と第一なり、於玄路器量もなく、才智もなし、御代に食禄の大恩を報じ奉ん為に、見聞の趣、有の
                  儘に申上候なり、是功と云にも非ずと申上候へば、何ぞ望有之やとお尋なり、若や長壽にて隠居仕候
                  はゞ、微禄の子孫、養兼可申候、其節恵み給へと申上ければ、必五十口を扶持し給はん事を約し玉
                  ふなり、予命つれなく其約を果し玉はずして、遂に空しく成給ふなり、此時の御咄に申上候は、今
                  大功ある人は、大禄を給ふなり、然れども、其禄を傳へて、二代三代に至ては大方馬鹿なり、大
                  禄の者の子計、愚に至る譯は無之候へども、家来の手にそだちて人情を知らず、自然と弱く、必愚
                  になり候、今御定高と申は、其身一代高禄にても、子孫は本知にかへり候なりと申上るに、左迄もな
                  らぬものなりと御意なり    同上(竹原玄路書付)
                一、寛政五年正月、御庭秋葉社観音社、御参詣の節、御先立御用人より帯刀の儀に付、竹原勘十郎方へ
                  問合の返書
                      拝見仕候、秋葉社御参詣の節、御先立帯刀之儀、御不審に被思召候由、依て刀は御止可被成思召
                      の由承知仕候、昔は御庭内部で刀を指申候、近年大通の面々武を忘れ、一本に相成、上も
                      御刀は御持せ、一本に被為成候、大詢公の時、専右の通に御座候、霊感公の御若き時分は、御
                      庭も刀をさし申候、私抔御庭内刀を指し、御宮の木の根抔に、刀を立懸置、御庭迄一本に成、
                      御先に立申候、今世は武は入不申候間、いか様御心附の通、御止にても可然哉、御問内同然の
                      御庭とは乍申、ちと廣過候得共、太平也、御廟も前には指申候、御門脇の石の上に刀は差置
                      申候、是も今は一本に成候哉、扨々太平也、武備の衰、可嘆可嘆、思召次第に可被成候、御尤
                      とは於私は不奉存候、以上       記録

                                        (了) 

 

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