一、年月は覺えず、爾が事を呵(シカ)るもの、多さま/\に申す者、ケ様々々の事は實なる歟と御尋あり、難
有事なり、夫はケ様々々、是は無き事なり、是は實なりと、明白に申上ければ、爾豪気の者故不
思に人を呵り、人の悪き事を、目前に恥を與へる様の事可慎、口を守る事如瓶せよと、御呵なり、
さて此比は爾が事をよく云、推擧する者多し、加録升進の事を聞、爾いかゞ思ふぞと御意あり、玄
路申上るは、人として人として加録升進、不望はあるまじきなり、然しながら、君の御為には命を捨て
禄を捨つべきなり、今玄路を御取立なされ、厚禄を給はり候はゞ、専身の為に、さま/\に申上
て、御意に入候なとゝ、諸人目を附て、様々の事を、風説致すべし、人傑を得給ひては、大禄を給る時
は、人心皆是に目を附て、重ずるなるべし、玄路如き愚昧なる者は、大禄を給はり候へば、人の憎
みます/\強くなり、上の成され候事も、彼申上候て取計候など申候ては、君徳薄くなり申候、御
用に不立愚人なりと、人の云を、予が本望と存ずるなり、必加録し給ふこと勿れと申上るに、功に随
ひ勤に因て、禄を増し席を進るは、君の道なり、玄路申上候は、君の御意は、其人に應じられ候こ
と第一なり、於玄路器量もなく、才智もなし、御代に食禄の大恩を報じ奉ん為に、見聞の趣、有の
儘に申上候なり、是功と云にも非ずと申上候へば、何ぞ望有之やとお尋なり、若や長壽にて隠居仕候
はゞ、微禄の子孫、養兼可申候、其節恵み給へと申上ければ、必五十口を扶持し給はん事を約し玉
ふなり、予命つれなく其約を果し玉はずして、遂に空しく成給ふなり、此時の御咄に申上候は、今
大功ある人は、大禄を給ふなり、然れども、其禄を傳へて、二代三代に至ては大方馬鹿なり、大
禄の者の子計、愚に至る譯は無之候へども、家来の手にそだちて人情を知らず、自然と弱く、必愚
になり候、今御定高と申は、其身一代高禄にても、子孫は本知にかへり候なりと申上るに、左迄もな
らぬものなりと御意なり 同上(竹原玄路書付)
一、寛政五年正月、御庭秋葉社観音社、御参詣の節、御先立御用人より帯刀の儀に付、竹原勘十郎方へ
問合の返書
拝見仕候、秋葉社御参詣の節、御先立帯刀之儀、御不審に被思召候由、依て刀は御止可被成思召
の由承知仕候、昔は御庭内部で刀を指申候、近年大通の面々武を忘れ、一本に相成、上も
御刀は御持せ、一本に被為成候、大詢公の時、専右の通に御座候、霊感公の御若き時分は、御
庭も刀をさし申候、私抔御庭内刀を指し、御宮の木の根抔に、刀を立懸置、御庭迄一本に成、
御先に立申候、今世は武は入不申候間、いか様御心附の通、御止にても可然哉、御問内同然の
御庭とは乍申、ちと廣過候得共、太平也、御廟も前には指申候、御門脇の石の上に刀は差置
申候、是も今は一本に成候哉、扨々太平也、武備の衰、可嘆可嘆、思召次第に可被成候、御尤
とは於私は不奉存候、以上 記録
(了)