津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■肥後先哲偉蹟から  竹原勘十郎(紫海) 6

2015-03-28 07:12:39 | 先祖附

                一、竹原玄路翁 霊感公(重賢)の御供にて武域に罷たれし時、波風荒くて御船既に顚らんとしければ、皆
                  人色を失ひ、肝を潰しけるに、公と竹原氏のみ、神色自若として、御座しけり、竹原氏斯なん詠せ
                  られしとぞ
                          住吉の岸の光のあらんかぎり
                               身は沈むとも彌陀は頼まじ  以上池松記録
                一、今年正月二十一日、矢部間強谷と云所にて、御狩有ければ、竹原玄路歌に(寛政三年なり)
                          此里に君の御狩ははじめぞと
                               語り傳へん萬代までに
                  國の守の御巡座しけるを拝し奉らんと、老となく若となく、男となく女となく、幼き童部迄も、群
                  り來り、そこにひれ伏、かしこに蹲り、尊き御粧を拝し奉りけるは、身に餘り難有事にありける
                          たぐひなき君の御影を住民の
                               ちまたにみつる御狩野の道
                  御借を祝して
                          はてしなき君の恵に御狩野の
                               草木もなびく千代の春風 
                  竹原勘十郎、波野原にての歌
                          白妙に菊も尾花も打なびく
                               波野の原の秋の夕風
                  年久敷むつみせし友の東にありけるが、肥後に下りて、又東に歸りけるを、詠て送ける
                          老ぬれば又逢時も難き世と
                               思ふ別れぞ悲しかりける
                  堀大夫(勝名)、江戸に旅立玉ふを送りける
                          事を執る人の心のます鏡
                               くもらば拂へ塵の世の中
                          すなほなる道な迷ひそ朝夕に
                               越ゆる山路は霧深くとも
                          いさぎよき心の剣切拂へ
                               迷ひのきづな世にかゝる時
                  安永の比、竹原東上の節、波荒く□船覆りければ
                          住吉の神しすてじば沖津船
                               磯邊によせよ八重のしほ風
                  されども猶浪風やまざりしければ、道を凝るの歌 前に出づ を詠みたりければ、浪風漸く静まり、住吉の磯
                  に船漂い着しとぞ、此事國に申送られしかば
                  奥方返し
                          住吉の神の恵の無かりせば
                               再び斯る言の葉も見じ             吹寄 

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