細川藩の参勤の瀬戸内のルートを見ていると、赤穂の坂越に船が入ることがある。寛延二年の重賢公の参勤の記録では「しゃくし」と書かれているが、坂越の事である。
「しゃくし(じ)=尺師又は釈師」なのだそうだが、ここには興味深い伝説がある。
秦河勝が「うつぼ船」にのって漂着した地とされ、ここに大避(おおさけ)神社が建立されている。
うつぼ船についてはUFOめいた言い伝えが各地にあるようで、加門正一著の『えど「うつろ舟」ミステリー』等と云う興味深い著作がある。
梅原猛の著作に「うつぼ舟」シリーズがあるが、その最初の著作が「うつぼ舟1・翁と河勝」である。
能楽の祖といわれる河勝について、世阿弥の「風姿花伝」の一節に興味を抱いた事から始まり、「翁は河勝なり」という一文から最初の著作の「翁は河勝」に至っている。
ちょっと興味をそそるので購入の手配をした。
能 翁 http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_067.html
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・・うつぼ舟1 翁と河勝 梅原猛 角川学芸出版・・
中世の神々が降りて来た。その容《すがた》、滑稽で、恐しく、妖しい。
梅原猛の中世―歴史・文学・宗教から読み解く画期的能芸論”(帯文)
“梅原猛に“もの”が取り憑いた。八十三歳。能の創始者・秦河勝は、流されて、大荒大明神という、怨霊となった。その齢、八十三。
梅原猛の初めての能芸論は、秦河勝の悲劇に始まる。
「“もの”が憑かねば“もの”は、書けぬ」―梅原猛自身が怨霊と化して、この「物語」は書かれた。”(帯裏紹介文)
目次:
第一章 大荒大明神になった秦河勝
{河勝誕生譚―「化人跡を留めぬ」/世阿弥のうつぼ舟―能楽の源流へ/赤穂・坂越・大避神社―うつぼ舟の漂着地・生島/船渡御―ひとつもの・歌船/河勝の孫・東儀氏―先祖供養}
第二章 広隆寺と牛祭と秦氏
{大避神社「船渡御」・広隆寺「牛祭」―十二日という“日“/蜂岡寺から広隆寺へ―秦河勝の里・葛野/二体の弥勒―宝髻弥勒の秘密/奇祭・牛祭―祭文の奇妙/「天照」の謎―若王子の「天照神力」/摩多羅神と二童子―芸能の神と牛祭り/半跏像と半島の神―「天照」の御正体/秦氏と平安京―薬師信仰とキリスト教}
第三章 川勝一族の里・田原本
{秦薬寺・川勝の寺―長男・川次の誕生寺/補巌寺・観音信仰の寺―至翁禅門・寿椿禅尼}
第四章 三人翁・奈良豆比古神社
{日本中世が降りて来た―室町憑依/文献とフィールド―吉川幸次郎と梅棹忠夫/大和の金春―金春欣三氏/おそろし殿―しゅく神を祀る/奈良豆比古神社へ―病平癒の神舞・翁舞}
第五章 呪術としての翁舞
{三十三身から六十六番―翁舞の誕生/黒男の呪力―業病平癒}
第六章 黒い翁の呪力
{翁舞を見る―「あげまきやとんどや」/黒い翁の正体―奈良豆比古神社の「黒男」}
第七章 ディオニソスの熱狂
{翁舞と『悲劇の誕生』―ディオニソスとアポロン/三番叟の異形―コブ持つ黒い翁/宿神―坂・境という“呪場”/林羅山「二荒山神伝」―摩多羅神は神か仏か}
第八章 摩多羅神と芸能
{師と弟子の秘儀―即身成仏の修法/多武峰の翁―摩多羅神面/太陽信仰―ハスの道}
引用参考文献一覧