津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■翁と河勝

2015-03-26 09:17:47 | 書籍・読書

                                                                      

 細川藩の参勤の瀬戸内のルートを見ていると、赤穂の坂越に船が入ることがある。寛延二年の重賢公の参勤の記録では「しゃくし」と書かれているが、坂越の事である。
「しゃくし(じ)=尺師又は釈師」なのだそうだが、ここには興味深い伝説がある。
秦河勝が「うつぼ船」にのって漂着した地とされ、ここに
大避(おおさけ)神社が建立されている。
うつぼ船についてはUFOめいた言い伝えが各地にあるようで、加門正一著の『えど「うつろ舟」ミステリー』等と云う興味深い著作がある。
梅原猛の著作に「うつぼ舟」シリーズがあるが、その最初の著作が「うつぼ舟1・翁と河勝」である。
能楽の祖といわれる河勝について、世阿弥の「風姿花伝」の一節に興味を抱いた事から始まり、「翁は河勝なり」という一文から最初の著作の「翁は河勝」に至っている。
ちょっと興味をそそるので購入の手配をした。

能 翁 http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_067.html 

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・・うつぼ舟1 翁と河勝 梅原猛 角川学芸出版・・

“翁、摩多羅神、ディオニソス。
中世の神々が降りて来た。その容《すがた》、滑稽で、恐しく、妖しい。
梅原猛の中世―歴史・文学・宗教から読み解く画期的能芸論”(帯文)

“梅原猛に“もの”が取り憑いた。八十三歳。能の創始者・秦河勝は、流されて、大荒大明神という、怨霊となった。その齢、八十三。
梅原猛の初めての能芸論は、秦河勝の悲劇に始まる。
「“もの”が憑かねば“もの”は、書けぬ」―梅原猛自身が怨霊と化して、この「物語」は書かれた。”(帯裏紹介文)

目次:
第一章 大荒大明神になった秦河勝
 {河勝誕生譚―「化人跡を留めぬ」/世阿弥のうつぼ舟―能楽の源流へ/赤穂・坂越・大避神社―うつぼ舟の漂着地・生島/船渡御―ひとつもの・歌船/河勝の孫・東儀氏―先祖供養}
第二章 広隆寺と牛祭と秦氏
 {大避神社「船渡御」・広隆寺「牛祭」―十二日という“日“/蜂岡寺から広隆寺へ―秦河勝の里・葛野/二体の弥勒―宝髻弥勒の秘密/奇祭・牛祭―祭文の奇妙/「天照」の謎―若王子の「天照神力」/摩多羅神と二童子―芸能の神と牛祭り/半跏像と半島の神―「天照」の御正体/秦氏と平安京―薬師信仰とキリスト教}
第三章 川勝一族の里・田原本
 {秦薬寺・川勝の寺―長男・川次の誕生寺/補巌寺・観音信仰の寺―至翁禅門・寿椿禅尼}
第四章 三人翁・奈良豆比古神社
 {日本中世が降りて来た―室町憑依/文献とフィールド―吉川幸次郎と梅棹忠夫/大和の金春―金春欣三氏/おそろし殿―しゅく神を祀る/奈良豆比古神社へ―病平癒の神舞・翁舞}
第五章 呪術としての翁舞
 {三十三身から六十六番―翁舞の誕生/黒男の呪力―業病平癒}
第六章 黒い翁の呪力
 {翁舞を見る―「あげまきやとんどや」/黒い翁の正体―奈良豆比古神社の「黒男」}
第七章 ディオニソスの熱狂
 {翁舞と『悲劇の誕生』―ディオニソスとアポロン/三番叟の異形―コブ持つ黒い翁/宿神―坂・境という“呪場”/林羅山「二荒山神伝」―摩多羅神は神か仏か}
第八章 摩多羅神と芸能
 {師と弟子の秘儀―即身成仏の修法/多武峰の翁―摩多羅神面/太陽信仰―ハスの道}
引用参考文献一覧
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■肥後先哲偉蹟から  竹原勘十郎(紫海) 5

2015-03-26 07:28:40 | 史料

                一、一年、君江戸へ御上りの御道中、御馬上に而御通り遊ばされ候、御茶瓣當殊の外後れ申候、素よ
                  り此所は水の少なき處にて、折節御咽乾き、水水と召候へば、御近習衆走り廻り、水を求候へ
                  ども、近邊には水なし、漸御茶瓣當追付奉り候間、御茶差上候處、後れ候とて、御茶道御叱遊され候
                  節、竹原勘十郎漸追付申され、御茶道に申され候は、迷惑致されな、君は御馬にこそあれ、歩行の
                  御供、追付ものか、殊に水なき所とは、君にも兼て知召候、御馬に後れじとは無理なり、斯る時は、
                  馬のばりでも差上よと、うろけに申され候間、皆皆餘りの言様哉とてひそまり居候へども、君に
                  は御聞遊されざる體にて、在せられ候、其節江戸御着即下、上野出火にて、人數差出され候處、御
                  自身も、御出馬にて、火事場へ御乗付遊ばされ、段々御手配、御指圖仰付られ候 中略 餘り御指圖遊
                  ばされ、御咽乾かせられ、水を々々と御意遊ばされ候故、御馬ひしやくに汲、差上候時、勘十郎
                  を御呼遊ばされ、何時ぞや其方が叱りし如く、ケ様の時は、馬のばりにても不苦と御意遊ばさ
                  れ候由、斯る時に恐敷御意にて、皆々承り候者、感入り奉り、泪を流し難有がり申候由  槇集記
                一、御鉢植の花仰付られ候 鉢植甚麁末に有之候間、竹原勘十郎殿、御鉢甚麁末に有之候由申上られ
                  鉢を替申すべしと申上候へば、御意に、勘十郎は鉢を見るか、我等は花を見るぞと御笑遊ばされ
                  候由   同上
                一、竹原翁、堀老(勝名)を進められし初に、御加増は堅く御断申上置れしが、感公(重賢)より再三命ありて、堀もも
                  はや三千石遣したり、其方にも必加増遣すべしとありければ、翁猶も辞せらるゝにより、公御不興
                  気にて、御入遊ばさんと成されしを、翁御裾を引留られ、辞退の理由を陳述されしかば、直に京
                  元吉の御枕刀に左の御書を添て賜りしとぞ
                          夫忠臣進諫者 固不顧其身也 而人主拒諫者 亦不顧其身也    家記
                一、重賢公御前に、或時竹原勘十郎罷出居候處、御袖に虱這ひ居候を、鳥渡取候て捨候處、夫は何歟と
                  仰られ候に付、虫にてござ候と申上候處、いかに細き虫にても、夫々に名はあるなりと御意に付、
                  あけぼの虫と申上候へば、朝虱と云事じやなあと、御意遊ばされ候由     新美氏記録
                一、竹原勘十郎殿、紀州の御館に御に行れける時、書院に控へあられるが、折節楠公の畫像の掛り
                  たるを、観居られしに、彼方の衆、御使の御名元はと申しければ、何心なく、楠多門兵衛といらへ
                  らる、彼人不審にて、押て又尋られければ、楠木田 門兵衛にて候と申されけるとなり

                                     つづく

                                           

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