津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■松寿庵先生 第133講

2015-03-06 10:00:38 | 史料
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■「旦夕覺書」--月・12

2015-03-06 07:20:56 | 史料

                  貞享四年一月四日、大矢野源左衛門鍛冶屋七左衛門を無礼討ちの顛末。

                一、右の大矢野源左衛門皆共一同に新知被下候 其翌年正月三日か四日に寶町山本玄長とか申弾蔵方へ出
                  入仕候 其屋敷の近邊かちや町通り候刻子わるさ仕候故親しかり/\割木を投打仕候處に通り懸り源
                  左衛門ひたひに割木當り少し皮打裂申候 其儘親逃申候故追かけ打果申候 其時分拙者追廻御馬御殿前
                  通り申候刻林仁左衛門とか申歩の小姓廻り横目にて知人にて候 大矢野源左衛門殿唯今鍛冶屋町にて
                  人を切被申候由にて走々参候故源左衛門は何方に居候哉と尋申候得は組脇蓑田左五右衛門へ被参候
                  由申候故其儘参候へは早々宿に歸り申候 左五右衛門屋敷は唯今宮村武左衛門屋敷と一ツ成申候 源左
                  衛門は歩御使番の時の屋敷にて唯今菅九左衛門隣屋敷にて座敷に這入申候へは唯今西山八郎兵衛被
                  参候 源左衛門兄彦四郎組頭大矢野彦四郎は西山組脇にて候 源左衛門申は傳右唯今八郎兵衛被参候う
                  つけたる事西山被申候 打果候者町人と存候 刀差居不申由咄候へは先御仕合にて候 刀を差居不申者
                  にてと被申候ゆゑいや刀さし候とて遠慮可仕様無御座と返答致し候由近比御番頭口上には合點せ
                  ぬとてしかり申候故いかにも/\道理先々口上書可入候 拙者手跡あしく候へ共御右筆山崎傳左衛門父
                  子向屋敷にて見習申候硯々と申候て下書調申内同名半助参候故拙者ゟは半助能筆迚好(コノミ)半助に書せ申
                  候 西山は其刻も能番頭と申他國にも御使者に節々被参候 結構成人にて候得武道と申事は本にて常
                  には
入不申候へ共ケ様の時早源左衛門見おとし申候 定て西山は後の吟味にて刀さし申さぬは町人に
                  て可有候 刀差申せは牢人か後の吟味やかましく存被申たるにて刀さしたる者は切兼可申様成口上故
                  にそなたは心に叶はぬと存候 尤西山殿少念入過たる口上なれ共彦四郎殿御組頭にて贔屓の心にて被
                  申たると存候由拙者申候へは兄の彦四郎いかにも/\御察の通と申候 源左衛門身にしては参打果申
                  節に當り後の吟味の刀さしさゝぬに構ひ可申様なく候 尤其刻迄も源左衛門はせき居申候故尚以聞咎
                  申候 ケ様成る時節は見廻に被参候者も可尋事も米銀勝手の咄とは變り常々武道を心かくるとかけぬ
                  と顕れ可申候 山名十左衛門殿にて津川流水(辰房・流随)咄被申候 林外記時伊藤角右衛門額に手負小笠原備前殿屋
                  敷の土路口外記屋敷より近く引取り申刻角右衛門常々心安き仁名は不被申候角右衛門手負候哉相手は
                  と尋申候へはうつ氣者手負て相手とはおれか仕留たと高々と申候故其仁大勢の中にて右の仕合事の
                  外迷惑そふに脇から笑止に存候假初の事にても心知らるゝ事兎角常々の咄とは何その時ならては
                  善悪知れ兼候と咄被申候事覺候 昔より手負に心をつくると申事は犬うつわらへもたか館の草双紙心
                  を付見申候へは次信手負たる時弟の忠信か鎌倉権五郎か世を渡る上手の真似は親かおしへす銘々分別
                  出申候 深手にても浅く偖々見事常々の口程あるの偖も能く切れたのと其人に先力を添る事は拾
                  人並みの者は存候 夫ゟ下おろか成と申人も武道は格別右の角右衛門にしかられたる人名は不承候へ共
                  角右衛門はおとりたると存候 西山も大矢野には口上不足に聞へ申候 常々古咄聞候へはおのつから能
                  き士に見へ可申候 武士には高下昔當世無之候

                一、右の通にて大矢野暫く遠慮仕居候 其刻山名殿に参候へは此間源左衛門事に付色々古き咄聞申候 沼田
                  小兵衛此前若き時山鹿入湯之刻町家ゟ外に物ほし棹つき出申に沼田顔に當り候故供の小姓其まゝし
                  かり可申と内に走り入可申と仕候へは小姓を以の外しかりうつけめ怪我じゃと却て小姓をしかり或
                  時は内より外へ水か湯か小兵衛にかけ両度迄右の通との事を御聞候由其外は覺不申候 偖は御吟味つ
                  よく御座候と存候へ共神以終に源左衛門切間敷者を切たると申人もなく候 同名文左衛門なとも此中
                  大矢野事に付何の角のと批判候へ共切るときらぬは切たるか能きと被申候 拙者心底には神以文左衛門
                  初として切たるか能きと被申候 子に打かけたる割木と心付候はゝたとへ目打潰されても切申道理に
                  てなくとは存候へ共相役同前殊に前々ゟ心安く咄候故に終に口外は不仕心に計存居候 源左衛門暫
                  く遠慮仕御免被成候て御案内役も御除け被成候て御番方に御出被成候 右之通前年九月十二日に新知
                  被下御小姓組に被召加可被召仕候と思召候處に定て御心に叶不申様子と何も申候 其刻は筑後殿御存生
                  にて別て萬事御吟味被成候時分にて御座候 前廉十左衛門殿御咄候事書付置候 小兵衛殿山鹿入湯の時
                  の事見可被申候 怪我と御座候てはたとへ自分身の上いか様の片輪に成候ても怪我と心付打果可申
                  道理はなく候 我身の災難にて免れざる天命と申にて可有候 誰も切捨可申候 尤其時も切たるとの御咎
                  も無之世上の沙汰同名文左衛門抔被申候道理に皆々申然れ共御意に叶不申候故に御取立被成百日も
                  立不申内にて役儀御免被成外様に御出し被成候にて知れ申候 大矢野跡に古賀喜兵衛歩御使番にて居
                  申候を御中小姓に被召直源左衛門跡役に被仰付候 偖源左衛門か身に成候ては何心なく参候處に右之
                  通に額に割木當り肝つふし候て迯申候はゝ追かけ申候共町家の事何方へ可参様なく是々怪我と思ふ
                  程にゆるすそ其儘居申候儀と申候はゝ定て殊之外迷惑がり申候て偖々不調法千萬子を打申割木御額
                  に當り疵迄付申候に御免被下候事難有奉存候と其身は不及申近邊の者迄罷出悦可申候 歩行にて歸り
                  申事不成候はゝ其所に休息仕駕にて歸り申つく々々と了簡仕候はゝ彌能く堪忍仕候と心にも可存候
                  此間の沙汰を定て色々可申哉可切事と先十人か九人可申候 切間敷事とは十人に一人可申候 總體我身
                  の勇臆を心にて吟味仕兄弟親子にも此勇臆は必々にて談合の難成事併自分に埒明不申候はゝ他人に
                  ても如斯けかと存候故堪忍仕候得共御奉公も難成體に成候へ共怪我と知りては打果不被申各何と思
                  召候哉定て世間にて色々沙汰可仕候へとも我等の心にも心ながら其時腹立申候得共子に當る者か
                  拙者の頬に當り申候災難と存能く堪忍仕と存候 然共 上の思召所如何と奉存候と極申候はゝ静りたる様
                  子大形の者は怪我と存候て打捨可申に落付たる仕方と可成と存候 或時傍輩中の喧嘩に不斗あたりたる
                  とは替り申候 我子せっかんは定たる事人間上下共に世に多き事にて候 又拙者ならば怪我と存候はゝ
                  尤養生仕罷出申被召仕様前に替り御意叶不申様に存候はゝ其時御知行差上可申候 尤組頭にも相談に
                  及不申候 四十二の時に候故若きとは不被申三十五六迄三十内外に候はゝ成程怪我と存候ても打捨申
                  たる事は能くも可有之哉たとへ二十内外にても大勇は世間の評判主君の思召にも構ひ申間敷候 木村
                  長門守は討死の時二十六と覺申候 各吟味の為に拙者存寄書付申候 我か身の腹立申とて怪我と存打
                  果申は道にそむきたる事能々可有御吟味候 

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            参考:切捨御免 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E6%8D%A8%E5%BE%A1%E5%85%8D
                放牛地蔵 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E7%89%9B%E5%9C%B0%E8%94%B5

 この事件は後に、自分のいたずらのせいで父親を無礼うちにされた子が、亡き父の霊を弔うべく放牛地蔵と後世よばれる地蔵107体を建立したことで熊本の人々にはよく知られる処である。そのことが有名になり、大矢野源左衛門の行為に対する一般の人々の思いは決して良くない。上の記録によると10人の内9人が源左衛門の行動を是としている。
悪人呼ばわりする声さえ聞こえるが、これは武士の名誉を保つために法的に認められた権利であった事を理解しなければならない。
友人の思わぬ事件に、傳右衛門(旦夕)の筆も歯切が良くない。私は過去にこのブログで数多くの同様の事件の記録「手討達の扣」をご紹介してきた。一方ここに記す沼田小兵衛の如く事件にすることを避ける素晴らしい行動も多く記録に残されている。武士としていかに生きるか悩ましい処ではある。 

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