津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■散歩10分

2015-03-25 16:02:37 | 徒然

 

良い天気に成ったので近所の桜を眺めようと思い散歩に出てみる。一回りして近くのコンビニまで足を延ばして歩くうちに、左足の膝うらに強烈な痛みが走って、しばし片足立ちで痛みが静まるのをまつ。いま一つ用事があったのだが取りやめ帰ることにする。横断歩道をケンケンしながらわたっていると、私より随分年上のご婦人が「ひざを痛められましたか」と声を掛けられる。「完全に良くなってからでないと動いちゃだめですよ」と仰る。ご尤もとお礼を申し上げて何とか帰り着く。30分ほどゆっくり歩くつもりが、わずか10分の散歩と相成った。
夏を前にウエストを少々落したいと思っているが、散歩もできないこの有様ではとても目的達成は程遠い。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■肥後先哲偉蹟から  竹原勘十郎(紫海) 4

2015-03-25 08:24:43 | 史料

                一、或時竹原勘十郎御咄の内に、勘十郎は切鎌じゃと云物と聞たり、餘り切廻しければ、足元か手元へ
                  切込ぞと仰せられければ、勘十郎直に御請申上けるは、不肖ながら御侍の御人數に入れ置かるゝ此
                  勘十郎にてござ候へば、刀にても脇差にても相應に所持は致居申候、何しに鎌ぐらゐを頼みに存ず
                  る、百姓心は無御座候、兎角に君の御機嫌を取り、虎の威を借る狐共の自慢くさき鼻の先を、腕骨の
                  續く限り切廻して、振りはづしたら、手足のみか、此しわ腹に切込候ても支へ申さず、是兼て心に存
                  る計りの覺悟にてござ候と、滞る處無く申上ければ、君笑はせ玉ひて仰せられけるは、勘十郎は目
                  差向ふの鼻の先位と、主人の一大事に捨べき大切なる命と、たやすく替んと思ふか、腹を切らば
                  むだ腹は無用にせよと仰せられき  肥後落穂集
                一、竹原玄路翁、和歌は東武久志本常典門人なり、常典子常夏、玄路翁の噺せし序に、國にて或者玄路
                  翁に古歌を自分に詠たる歌とて、添削を請ければ、散々に直し申したる由咄しければ、常夏申ける
                  は、太宰彌右衛門、阿弥陀経を直したり、増上寺にて阿弥陀経勿體なくも修纂して、無間地獄に堕
                  罪彌右衛門と云狂歌をして笑ひけるを、彌右衛門聞て、梵字にて書たる物ならば知らず、凡漢字に
                  書くものには、文章の規格あり、規格に合ざる故に直すなりと云し、されば和歌にも企画あり、規
                  格に合ざる古歌は直しても害あるまじと云し、玄路翁の事跡銀䑓遺事に委し  残疑物語
                一、竹原勘十郎殿は和歌の達人なり、その病褥にあるや他の思念なし、只心中に和歌を詠ずるのみ、是を
                  以て病苦を忘れんと云、いや自ら書せんと云れしが、終に夫に及ばずして、逝せられしとぞ  霊从堂秘録
                一、霊感公薨じ玉ひ、大詢公御代になりて、佞人の輩事を執事ありしかば、霊感公御小祥忌の時、竹原
                  勘十郎玄路の歌
                           物換り星移る世の有様を
                                 君は草葉のかげに見るらん      塵籠
                一、竹原勘十郎玄路一名惟親、紫海又廣陵と號す、隠居後穀齋と穪す、墓は出町往生院にあり、墓石に最勝
                  院穀齋玄路居士、寛政甲寅歳十一月九日とあり、甲寅は六年なり

                                      つづく 

                   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする