一、御十年餘に成可申候山名十左衛門藤田助之進父子北の關にて打果し被申候 翌春御参勤の道中は大形
心かけ申候者は心底に用心仕居申候 三島御一宿の夜中に火事と申候 其時分は歩御使番勤候節にて宿
も遠く三島明神前にて四五人相宿にて居申候 拙者は常に枕元に御供衣類幷わらし召置候 明神の釣鐘
つき申候故目覺何事かと尋候へは宿主火事にて御本陣近くと申候故其儘起わらし踏罷出申候 大矢野
源左衛門宿は皆共宿ゟは御本陣近く候故大矢野は拙者ゟは早く出候て御本陣に出候へは近邊の宿に
居候物頭小姓組大形出申御小姓頭寺本八左衛門に逢申候へは火も鎮り申候間銘々宿に被歸候へとの
事にて歸候由御本陣より四五十間程に参候得共大矢野右之通申候故拙者も同道にて歸申候 後に承候
へは御本陣隣家に大木隼人 舎人殿事 宿にて御先番にて立被申候跡にて出火の由御本陣の間に溝一間余有
之不断水流申候迄にて箱根山の方の角にて御本陣近く御座の間の雨戸御けはなし被成鴨居ともに
はなれたる由承候 右の通にて拙者相宿の者共草臥拙者一人出申候得共つく/\と案候へは大矢野に
逢申候ても御本陣迄参り候て御番の衆に成共逢申候て歸候筈存候 拙者出候儀は大矢野ゟ外の人は不存
候 尤草臥出不申候者ゟは能得共夫は心懸なく心付ぬと申迄にて善悪に不及候 心懸参候拙者にて候
故此事失念不申候 物前なと證據と申もケ様の事にて可有之と存候 大矢野は拙者と同年にて御座候 利
口發明中々拙者は及不申と兼々存候 大矢野・林兵助・村井源兵衛拙者四人一同に御取立被成候得共歩御
使番の時ゟ別て御意に叶たると存候事多く無恙勤申候はゝ兵助ゟは能く可被召仕に残念に存候 四人
共に御中小姓の時拝領願申時大矢野は貮貫目林兵助は壹貫貮百目村井は五百目拙者は七百目願申候
其刻御中小姓の願に壹貫目ゟ上の願は叶申間敷候 横山九郎右衛門御中小姓の時壹貫目願申候は親五郎
太夫千三百五拾石取候間拂申につかへ申間敷と其時さへ色々と沙汰仕候 今度四人共に親も小身に候
へは九右衛門とは替り可申候 五人扶持廿石の躰にて天窓から拝領と願可申事と御家中沙汰仕候由同
名文左衛門も被申聞候 拙者事随分吟味仕七百目願申候 村井も同前に存候得共少成とも輕く願ひ申候
へ不足は節齋きもいり可申とて五百目願申候 其時分大矢野も林も妻を持居申候間勝手向不成事尤と
拙者は存候へ共世上にて色々申たると承候 其時分は米渡りにて候 百目にて貮石六斗にて大矢野に米五
拾貮石御借被成候 其時は四人共に御意に不叶召れ候ては不叶者共故と申由も承候 其一両年前兵助は
於江戸不破五郎右衛門頼候て結構に具足をおとし候由いか様達 御耳候哉兵助は勝手も能と御聞被
成候に兵助借銀願候はゝ残る者とも願申は尤に思召との事拙者は以後承申候 何事も上は正直に被成
御座候に下としては必々大形は御奉公に事よせ米銀共に願申儀諸人多く候間能々各心にて吟味被仕
萬事願事天明らかにおのつから罰を蒙申候 去る人勝手不罷成候由誓紙を以願上五拾石御加増被下候
其者の米を川尻に預け置候由林兵助川尻に兄とも御船頭仕居候故江戸前暇乞に参候て承申候由にて
拙者へ咄申互に肝つふし申候 偖其者頓て病気に成目見へ申さぬ様に成り候て果申候 其外御奉公に事
よせ娘の祝言の用意の何の角のと御奉公に事よせ申事誠に/\無勿躰事拝領の禄の内にて養子養申
随分相應ゟ内にいたし申候はゝ子孫繁昌可仕と老父は一人娘持終に能きる物こしらへきせ不被申候
或時老父何方よりかりんす一巻もらい被申候を老母・角入を呼注文かゝせ京に角入方ゟ染に遣被申候
其刻老父他所ゟ戻り見被申心に叶ひ不申由男の子は公義に衣類入申候女の子はたとへ祝言仕候ても
奥に通申者は男の兄弟伯父甥従弟迄にて他人に逢申物にてなく候 まして幼少の内不入事とて老母を
しかり被申候 其時一人の娘に何の談合可入事か早く注文調被申様に角入に被申候 角入も乍迷惑調被
申候 うこんにちらし紋にて妹久敷持居候故能覺申候 如斯調候に落涙書兼申候 拙者は右之通直に
見聞申候ても中々老父真似百に一ツも成不申候得共子としては少成とも志継申儀孝行の第一と承候
故委細書置候 各子孫繁昌實願申候はゝ必々老父真似可被仕候 兄弟三人共に八十迄存命如此の仕合
は皆々老父志顕れ申候と存候