津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■無題

2015-03-21 20:47:46 | 徒然

                                  今日は自画像をかいてみました。73歳白髪頭、団子っ鼻、ほくろ二つ・・・・・こんな感じです。

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■桂米朝師匠逝く

2015-03-21 15:54:15 | 徒然


                                             
落語家桂米朝師匠が亡くなられた。

私の書棚に「やなぎ句会」が発刊した二冊の本がある。一冊目は1999年3月刊行の「友あり駄句あり三十年」という本である。
入船亭扇橋・永六輔・大西信行・小沢昭一・桂米朝・加藤武・永井啓夫・柳家小三治・矢野誠一・江國滋・神吉拓郎・三田純一の諸氏の名がある。
この本が発刊された時には、江國・神吉・三田の三氏はすでに鬼籍の人であった。
句会の様子が面白おかしく紹介されていてこの本を読んで俳句の楽しさを知った。

二冊目は2009年7月刊行の「五・七・五 句宴四十年」である。
この時のメンバーは、入船亭扇橋・永六輔・大西信行・小沢昭一・桂米朝・加藤武・柳家小三治・矢野誠一 であり、永井啓夫が鬼籍の人となり八人になっている。
この本の中ではそんな鬼籍に入られた人を偲びながらも、ダジャレを飛ばしながら悪戦苦闘 苦作にはげむ皆さんの関係がまことにうらやましく感じられた。
ゲストに迎えられた俳人某氏はのちに「あれは句会ではありません」と言いながらも、その温かい雰囲気を楽しんだらしい。

この本の刊行にあたって座談が行われそんな中で小沢昭一が「ほんとに十二人から九人になるの、ばたばたっとだったから」
大西が「もういまや深刻に何人になったらやめるかと、差しになったらやめようって (笑)」
これを小沢がうけて「二人でもやるかい、将棋みたいに(笑)」

そんな小沢昭一も亡くなり、 米朝師匠が亡くなられ会の皆さんの悲嘆や如何ばかりかという感じがする。皆様のご健勝をただただ願うばかりである。

米朝師匠の俳号は「八十八」、米の字からきている。そんな師匠の自選三十句の中から幾つかををご紹介しよう。

                 打上げを見て帰りきて庭花火
                 うちの子でない子がいてる昼寝覚め
                 春の夜の猫いずこかへゆきにけり
                 夏の世に置きたいような女なり
                 ふうわりと一ひら散し牡丹かな
                 何となくいつもの道や春の宵
                 打水に打たれたがりの裸ン坊
                 携帯にとりかこまれているあつさかな
                 停電で聞こえ出したり虫の声

句作は作者の人柄が出るように思える。ご冥福をお祈り申し上げる。 

                 

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■熊川城主・沼田氏

2015-03-21 09:20:11 | 史料

 以前ヤフオクで偶然に、福井県遠敷郡上中教育委員会が発刊した「若狭街道熊川宿」という26頁ほどの冊子を手に入れた。
熊川宿と云えば細川家の宿老・沼田氏が納めた土地である。城主・沼田光兼の嫡女が細川幽齋の妻となった麝香である。
この山深い場所で麝香は生まれ育ったことに成る。
しかしながら 京都と若狭を結ぶ重要な拠点であるこの場所は、天下を目論む重要な人々が往来しており単なる山間の田舎町というとらえ方ではいけないのであろう。上図はこの冊子に所載されていたものを引用させていただいている。
熊川城の位置は記されていないが、中央下方にその方向を示す書き込みがある。
室町時代に創建された得法寺に沼田氏の供養塔が残されている。かつては五重の層塔であったとされるが現況はいささか姿を異にしている。
古いたたずまいを今に残す熊川の町である。

                                                                            

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