津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■室津本陣肥後屋と名村氏

2015-03-27 07:02:49 | 歴史
 永青文庫の諸家先祖附には残念ながら残されていないが、名村左太夫なる人物その他子孫・一族と思われるものが侍帳に度々登場する。
又以下に見るように「御書出」も数通残されている。下は私が各史料からまとめたものだが、これによると名村氏は室津の本陣「肥後屋」を預かると共に、肥後藩から百石の知行を拝領していたことが判る。室津には六軒の本陣があったとされるが、その中でも肥後屋が一番大きかったとされる。
史料からすると色々な情報や書状などがここに届けられ、或時は使者をのせ、或時は早舟を出して小倉や鶴崎に伝達されたものらしい。
単なる本陣を管理した人物ではなかったように思われる。

● 名村九大夫    播州室御宿 百石 (於豊前小倉御侍帳) 
● 名村左大夫
    1、左大夫  江戸京大坂衆 百石 (真源院様御代御侍名附)
             百石 (真源院様御代御侍免撫帳)・・佐大夫
    2、左大夫  百石 幡州室津御宿

    何代か不明   他所御合力御扶持方等被遺衆 百石
               
            細川綱利公御書出(寛文元年)百石
            細川宗孝公御書出(享保十九年)百石
            細川重賢公御書出(寛延元年)百石
            名村左大夫知行(年代不詳)
 
名村氏についていろいろ調べていたら、広島大学の鴨頭俊宏教授の次のような論考が公開されていた。

               瀬戸内海の公用通行に関わる情報と播磨室津・名村氏 : 長崎上使御下向の事例を手掛かりに

この名村次兵衛なる人物も室津の人である。大変興味深い論考で、瀬戸内の海路を経て諸藩が緊急の情報を得るについて重要な役割をしていたものと思われる。名村次兵衛と本陣・肥後屋の名村左太夫との接点を知りたいところだし、名村左太夫が100石の知行を頂戴してどのような働きをしたのか、大変興味深いものがある。しかしながら永青文庫の史料には手が届かず、なんともくやしい。
熊大の学生さんが調べてくれないだろうか・・・・・・・・
 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■松寿庵先生 第136講 (本になりました)

2015-03-27 07:00:42 | 史料
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする