宮川八郎兵衛は工馬助を祖とする宮川仲家の八代目(900石)である。
過去三件の色違いのデザインだが、こちらは「上鳥毛紺朽葉角違染分」と名付けられている。それぞれのお宅で指物の名前が異なるのも面白う。
どちらも「紺ー朽葉」の色違いなのだが、それぞれのお宅で微妙に色が違うのだろう。
見分けが付かないのではないかと少々心配する。
宮川八郎兵衛は工馬助を祖とする宮川仲家の八代目(900石)である。
過去三件の色違いのデザインだが、こちらは「上鳥毛紺朽葉角違染分」と名付けられている。それぞれのお宅で指物の名前が異なるのも面白う。
どちらも「紺ー朽葉」の色違いなのだが、それぞれのお宅で微妙に色が違うのだろう。
見分けが付かないのではないかと少々心配する。
かって■芦村嘉左衛門殿(10代目)をご紹介したが、これは文久三年の「甲向立物・幕紋図」であった。
今回の芦村家に関する史料は芦村十郎左衛門殿、芦村家では十郎左衛門という名乗りの人が多く6代か7代か、現況人物の特定ができないでいる。
この指物附、先の二件「小田原三左衛門殿」「荒木助左衛門殿」の指物と同様のデザインが面白い。
「三幅■連紺朽葉半分筋違之際分ケ 鳥毛之出シ」とあるが、ほぼ前の二件と余り変わらない。
さて■の文字、「田の下に町」なのだが、まさかそのまま「田町」ではあるまい。これをなんと読むのかまた頭の痛いものが出てきた。