津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■志水隼太殿

2017-12-25 19:25:40 | 人物

 この志水氏は青龍寺以来の家格をもつ祖・清水新之允(雅樂助・伯耆・宗加)の一族六家の内の一家、隼太家(300石)の最後の当主八代目に当たる。いわゆる日下部与助系のお宅である。一門は下の略図のように枝葉を広げて活躍した。

                   

         +---九郎左衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→京都・九郎左衛門家
     宗加       |
 --+--志水清久--+--九左衛門---次郎兵衛(九兵衛)=====久馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→凍家(1,200石)
  |      |
  |      |日下部与助          新之丞克重
  |      +--元五---+==恵重---+---吉之允・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→新九郎家(1,000石)

  |      |    |     |     ‖
  |      |    |     |  圓光院(筑紫重門・細川幸隆女兼夫婦の女)
  |      |    |     |
  |      |    |     +---権之助・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→隼太家(300石)
  |      |    |     |
  |      |    |     +---四郎兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→源九郎家
  |      |    |
  |      |    +--久馬(九兵衛為養子)
  |      |    |
  |      |    +--菊 (庄林隼人・一心室)おうを
  |      |
  |      |  雅楽      牛之介       
  |      +--恵之---+--元茂--+--新九郎(不満・若年絶家)
  |      |    |    |
  |      |    |    +--●蝶(兄・新九郎跡目相続300石)
  |      |    |      ‖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→長瀬三七
  |      |    |     長瀬助之允
  |      |    |
  |      |    +--恵重(元五為養子)
  |      |     
  |      +--要善院日富 志水家菩提寺・真浄寺創建
  |      |
  |      +--加兵衛 悪兵衛清秀養子(清久系系図による)
  |     
  | 清秀      賜姓松井            
  +---悪兵衛---+---掃部---+--三左衛門---三左衛門 (病死絶家)
         |    |
         |    +---加兵衛
         | 一安
         +---半右衛門 継・松井家家臣下津氏 
         | 清重
         +---又右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→八代松井家家臣・志水小八郎家
         | 清通
         +---九太夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→豊後竹田中川家家臣・志水家
         |
         +===加兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ 一太家(300石)
                                                                                                      → 三弥家(250石) 

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■作閥

2017-12-25 11:49:07 | 徒然

 朽木定彦さん関係の文書の読み下しがなかなか進まない。まだ9通ほど残っており全く先が見えない。
現在読んでいるのは三渕嘉門が兄・帯刀(松井本家九代微之)、弟・内匠へ宛てた書状の写しである。
共に松井営之(八代当主)の子息である。この書状は紫英が三渕嘉門を訪ねていろいろ話を聞いた状況を伝えている。

そんな中に「作閥」という言葉が出てくる。非常に興味深い言葉である。

松井家九代微之は妾腹の子である。営之の正室は二番家老米田家の八代・是福女久美なのだが男子が生まれなかったらしい。
「度支彙函」には「長岡主水(営之)殿妾腹之男子岩次郎(微之)を嫡子ニ被定置段被申聞候 此段為ご存知申達候由、安永二年三月廿三日達の事」とある。三男・誠之は松井分家に入り、四男が三渕嘉門(澄昭)、六男が朽木内匠である。

代々当主は細川家やご連枝、三卿米田家・有吉家から正室を迎え、また兄弟姉妹も上級家臣と結婚してまさに「閥」が作られていく。
松井宗家を頂点にして閥のヒエラルキーが構築されると、この大きな勢力に対抗しようとする者は生まれそうには思えない。
維新に乗り遅れた一因はこの巨大な「閥」によると考えてもあながち間違ってはいまい。

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