津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■雑色草書(25)

2017-12-24 07:18:59 | 史料

 一七三
    覚
 在人畜之者町方え入込、奉公人之姿、或定日雇等ニて致     人畜(にんちく)
 渡世候者多相聞候ニ付、其子細人別遂吟味、書付相達可
 申段、去ル寶暦九年卯十二月申觸候處、翌辰之春ニ至り、
 夫々差出を以相達候、右之者共之内、在所え引取可致渡
 世分ハ、急度引取せ可申候、若數十年町家え罷在、本所
 え可引取所縁無之者ハ、町人數ニ被替下、又ハ養子等ニ
 も可被仰付候條、御法之通双方申談、願書可相達段去巳
 二月令沙汰候處、本所ニ難引取者共町人畜入込之儀、双
 方より願書追々相達候、人畜替之儀ハ不容易事ニ候得と
 も、右何れも年久敷町家え出居、農家之働難成、其上在
 所えは可引取所縁等も無之由ニ付、夫々願之通町人畜入
 被仰付候、則帳面一冊相渡候
一以来、家来分又ハ定日雇等之名目を以、人畜違之者借家
 等ニ差置候儀一統難叶候條、其旨を相心得、別當・丁頭
 幷五人組共ハ相互常々心を付合、紛數者入込居候ハヽ急
 度可申出候、若隠置後日相聞候ハヽ、丁役之者共可為越
 度候
  但、親族之内在所ニて渡世難成、當分為稼一所ニ参居
  候儀、相對を以差置候儀ハ難叶候條、此方え相達受差
  圖可申候、勿論奉公人たり共、其主人之別家ニて懸勤
  等之名目を以差置候儀都て難叶候、出店等有之者共、
  為店番遣置候類も有之節ハ、其譯書付を以相達、受差
  圖可申候
 右之趣町中不洩様夫々令沙汰、家持之者共は別當手前ニ
 判形取之相達可申候、以上
   六月十三日      町御奉行所
              惣月行司東古町
                    別 當 共
  右寶暦十二年六月日帳
  但、段々扣有之候

 一七四
一仲間と申儀、以来ハ同役又ハ同僚と調可申旨
一人畜と申儀、以来ハ在人數・町人數と調可申旨
 右之通、平太左衛門殿より吉海市之允え被申聞候事
  右安永三年十一月七日

 一七五
 安永八年九月十六日日帳
一長岡典彌殿、明朝六ツ時過より新開邊迄為試早乗有之筈
 之由、尤坪井廣丁・米屋町・通り丁・唐人町筋石塘之様
 ニ被罷越筈ニ付、町中道筋ニ小荷駄等有之節、片付置候
 様規度無之通達有之度との趣、隼人様家司役より佐貮役
 え頼来候、ケ様之儀是迄見合も無之、右道筋町中え及達
 候儀、如何可有之哉、不落着ニ付、平太左衛門殿え相達
 候處、當時津出馬多キ時分、右之通ニは難及達旨候段、
 致返答候様ニとの事ニ付、其通及返答候事

    津々堂付足し 長岡典彌とは細川刑部家五代・興行の二男であり、隼人様とは細川刑部家六代の興彭(宗家・細川重賢弟)である。
           馬で朝駆けをするから道筋の邪魔なものを取り除いて置いてほしいとの、刑部家家司からの申し入れである。
           佐貮役とは奉行の秘書役ともいえる役職だが、ここからその旨町役へ達しがなされたのであろう。
           ご連枝とはいえいささか過ぎたる申入れではある。
           このような話は今までに例がない事であり、当時は津出馬が多い時分で、町方では受け入れがたいというのである。
           典彌の申し入れに対し、時の大奉行堀平太左衛門が駄目を出している。当然と言えば当然の成行だが、平太左衛門

           の力量を伺わせる話ではある。典彌殿の反応がどうであったろうかと興味深い。
           この典彌殿は隼人様(興彭)の順養子と成り、刑部家七代当主と成る興貞である。


 一七六
          紺屋町別當
                  鹽飽屋
                    白木茂七郎
          京壹丁目貮丁目別當
                  會津屋
                    甲斐吉次郎
 右は、他所より之御使者参着之砌、御客屋近所失火之節、
 退所ニて候事
  但、式稿日帳ニ有り

 一七七
一宇土町平十郎と申者、賣薬願出候ニ付、醫業吟味役、田
 中柳宅、合志杏庵え薬方書等相渡候處、右両人より相達
 候ハ何れも醫家日用之薬方迄ニ候、ケ様之類迄も賣薬被
 指免候ハヽ、何分際限不可有候、即數有之、妙方と申歟、
 又ハ備急卒候薬方ニて、急ニ整製難成類、或ハ其家代々
 一子相傳と申様成薬方ニ限り候様有之度候、右躰醫家日
 用之薬迄も賣薬ニ相成候てハ、醫家之薬を俗家より奪申
 様ニて、一統風俗も如何ニ成行可申候、依之賣薬之儀
 ハ、得斗御吟味之上被指免候様有之度段有之候事
  右安永八年三月十六日

 一七八
一軒帳前書此方え扣無之候、左之通
  町家賣買之覺
一生所不知者、一切家を買せ申間敷候、他所他國ニて如何
 様之障り可有も不知候、第一宗門之儀吟味可仕事
一縦請人有之ものにても、不慥成者を無念ニて請ニ立申儀
 も、自然可有之候間、請ニ立申子細をも能々相改承届、
 其上ニて家之賣買可申付候、惣て借家を借り候もの共之
 手前も、能改、家主手前より受人を立せ借候様可仕事
一家を賣 「蔚山町軒帳ニハ買と有り」候者付て、身躰
 善悪ニより家屋敷ひろめせはめ申儀、ケ様之者ニハ、町
 年寄参談之上ニて賣買之儀可申付候、又其町之年寄分ハ
 家を賣候事無用候、無據儀有之候ハヽ、其段可相達候、何
 時も家を賣候者、其子細書記、勿論請人之判形をも此帳ニ
 取揃へ可指越候 「 蔚山町軒帳ニハ此所ニ然上ハ之三
 字有り」見届候上、此方よりも則此帳ニ判形可出候、無
 届家之賣買仕候者、其町之年寄共迄可為越度候間、可得
 其意候、以上
   安永四年乙未九月 町御奉行所市督之印
               新坪井町
                    別 當 共
  右之通候事

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