前回の内匠に対する紫英の書状に対する返書(下書)と思われる。
どうやら定彦順養子の事は、八代・内匠の養父七代・昭直(雄山)からの申し入れによるものらしい。
内匠に異存はなく「内決」したが、肝心の相聟で義兄である定彦の父・昭信(離縁して宇土細川家に帰る)がこれに反対している。(前回書状)
今回書状では内匠は、文中で定彦に殿付しているところを見ると、紫英が定彦の実父・昭信であることを物語っているように思える。
なんとか説得して「定彦順養子」の一件を納得させ、願書を提出したいとの強い想いがつづられている。
下書
此日者御委細之御返書被成下夫々奉拝見候
誠厚思召入処乍憚御尤御儀奉存候併
順養子之儀ハ何■難奉■
尊意思召を奉背猶申上候処重畳候私身分
にてハ不幸多罪ニ茂相當可申候得共此節之儀ハ
御隠居様ゟも御内意被 仰付候次第茂御座
候上私儀茂此間申上候通去年以来能々
相考申候處先祖之血脈と申乍恐
少将様江茂奉對申候而者是非跡を譲不申
候而者私心底何分難相濟其上信記儀ハ
先祖ゟ之血脈女系ニ茂無御座候得者節角先祖
之血脈之定彦殿幸此家ニ被居事ニ候得ハ
是非是ニ跡を譲申候方先祖江對し候而ハ
私ニ限り不申子孫之身分之処ニ而ハ孝道ニ
相當可申哉と乍憚奉存候
守節院様ゟ茂家督之処ハ御断被遊度
被思召上候旨御書残被置段御返書ニ
相見候得共是者乍恐強而御断被為成候
訳相之事ニ而茂有御座間敷哉と乍恐奉存候
御書面ニ茂定彦殿事御用ニ相立被申候
処御心元なく被思召上家来ニ取■家を
納メ被申候事中/\出来兼可申を被思召
上候由私拝見及候処ニ手者少茂左様ニ者相見
不申■分惣躰之儀茂宜拝見申候 私儀者
猶又氣薄生付ニ而御座候得共定彦殿
當年之年齢ニ而家督さへも仕當時迄御成
ニ相勤居申候事ニ御座候得ハ定彦殿迚茂
勿論相勤不申候を申訳茂無御座一旦相勤
被申萬々一御見込通ニ相勤不申節ハ跡之処ハ
信記■次郎茂居申候事ニ御座候得者とち
らにと跡を譲被申候得者何そ跡ニ他家ゟ
養子と申候事茂無御座候得者一旦者幸
先祖之血筋之定彦殿事に得ハ相勤
被申候方宜様乍憚奉存候 此節■而定彦殿
氣薄家来御取扱家を納メ被申候事茂出来
兼可申と申候処被 仰立候而者先々
上ゟ被召仕候と申候而茂御断ニ而茂奉願不申
申し候而者相成不申候物之様ニ被存候 代替り之処
度々ニ相成候共其身之■■ニ而御座候得者
減候共又々本々之様ニ茂返知ニ茂相成候事
御座候得者定彦殿万事ニ心を御用信記抔
茂文武藝術等出精いたし候ハヽ御知行茂減
申間敷奉存候何分ニ茂順養子之処ハ近々ニ
取極メ可申奉存候 誠ニ御返書を奉拝見
思召を奉背候処返々■■■■不幸ニも
相當り可申候得共先祖 御隠居様ニ對し
奉り候而者孝道ニ茂相當可申私身ニ而ハ
誠以孝不孝と申候処ニ而身分如何可仕様も
無御座候得共相考申候処何ニ先祖之血筋を
相立候方宜様ニ奉存候 最早兄弟中江茂
咄合以川連茂(いずれも)私存念之処同意ニ御座候間
何卒近々願書茂差出申度奉存候
尚右之段申上候以上
朽木
四月 内匠
紫英様