うっかりして応札できず入手することが出来なかった朽木内匠の奉公附である。
最後尾にある日付と当時の年齢が書かれている貴重品である。文化13年11月36歳であることが判る。
内匠が「定彦さん」を順養子にしようと悪戦苦闘している時期である。
現在別にヤフオクで手に入れた「八代朽木家取扱之扣写」を読み始めたところだが、差出人不明の「内匠宛」書状がある。(上)
定彦を順養子として、後に内匠の子を定彦の順養子にしらたどうかといっている。盛んに「血脈」という言葉が出てきて、男系の血脈は「昭直(内匠の曾祖父)でとぎれ、その後女系でつながれて内匠・定彦に至っている。大和守(三渕藤英)を祖とする朽木家の血脈と、藤英の弟・細川藤孝(幽齋・公方家の流れ)の血脈があるが、内匠と自分は松井家の血脈だが公方流(細川家)の流れであり、こちらに典禮・丹右衛門・式部などが在るといっている。
そして孝道として朽木家の血脈を大事にして後々につなぐことが大事だと説いている。
松井家の流れとしては、松井分家4代の賀之が昭直の女婿であり、6代の典禮はその実子だから朽木家女系の血を引き継いでいる。
式部は松井本家の11代督之(ただゆき)だが、賀之之二男(典禮弟)である。
この時期朽木家の血脈は朽木系の定彦、昭直の女婿、松井流の松井分家の8代・賀之の子典禮とその弟督之(式部・本家11代)と、丹右衛門なる人物の四人しかいなかったということである。丹右衛門とは内匠の子・多仲のことか?
この文書の十数ページと「定彦さん」自筆の書状二通を読み解くと、なんとか「朽木家の成立しなかった順養子」問題の真実に迫れそうである。